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セントポール管弦楽団

  指揮者というのは難しい仕事だ。アマチャーのオーケストラには、団員が出来ないこと、知らないことが多い。私も学生時代は大学のオーケストラでヴァイオリンを弾いていたから判るのだが、指揮者はあれこれと音楽の基本から指導しなければならない。

  プロのオーケストラは団員が専門家集団だから指揮者の要求に素早く応えられそうだが、簡単にそうは行かないらしい。プロの集団といってもやはり人間の集団だから会社組織と同じである。指揮者は組織を改革しなければならない。と言っても、アメリカでは当時既にオーケストラの団員は全てユニオンになっていて、ユニオンの意向に沿わないと何も出来ない。大変に難しいのだ。

  練習や本番の時には、オーケストラという組織を常任指揮者は思い通りに働かせなければならない。年間150回以上の演奏会を催すのだから、ギクシャクし始めたら問題である。何の変更もなしに、考え方やコミュニケーションの方法でよくなる場合もあろう。組織の変更を伴うこともあるだろう。団員を入れ替えるとか、指揮者のよく知っている奏者を他のオーケストラから引き抜いてくることなどは現実的に困難である。民主的にやるか、専制的にやるかもスタイルとして簡単にかたづける訳に行かない。

  95年から2002年まで大植英次(現在、北ドイツ放送、バルセロナ響、大阪フィルで活躍)という日本人の指揮者が振っていた。10年以上いてマリナーの分まで在籍した勘定になるから問題はなかったのだろう。私はミネソタ・オーケストラが日本に来た時に聴きに行ったが、日本人指揮者が常任指揮者としてがんっばているのは大変に誇りに思った。

  セントポールにもオーケストラがある。だから、ミネソタ・オーケストラをミネアポリス交響楽団に名称を戻すべきだと思う。そのオーケストラはセントポール・チェンバー・オーケストラ(セントポール室内管弦楽団)という1959年にスタートした楽団である。団員は35名以下でこぢんまりとした楽団だが、その室内楽の質の高さには定評がある。私達が住んでいた頃の1970年には創設して10年くらいしか経っておらず、殆ど知られていない楽団であったが、現在はレコーディングもソニー、テルデック、フィリップなどから58枚も出している。レコーディングをするからいい楽団とは限らないが、一度チャンスがあったら聴いてみるとよい。私はモーツアルトの曲やドヴォルザークのセレナードを持っているがなかなかいい演奏(少し古く録音が悪いが)である。

  数年前に指揮者をしていたヒュー・ウルフ(その後フランクフルト放送交響楽団・ニューイングランド音楽院)の時に、この室内楽団は日本にもやって来た。この時、初めて生の演奏を聴いた。セントポールを出張や私用で訪れても、タイミングが悪くて演奏会には行けない。ヒュー・ウルフは若手の指揮者だが、この人は大変に熱心だったらしく、練習も細かく、プロ集団なのにパート毎に一生懸命にやるそうで、団員が指揮者に見事に応えているのがよく判る。アメリカ的といおうか、和気藹々とやりながら、指揮者の情熱に皆が引き込まれるらしい。日本人には真似できないダイナミックな演奏は感動と興奮の一語に尽きる。音を出す、楽器を弾く、しかも、複雑なパッセージを弾きこなす、というのは文化に関係なく出来る。それは、100メートル競争と同じで、肉体的なもの、技術的なことに過ぎない。どのように演奏するかは文化・伝統の問題である。ここが大きな壁で、日本の若手は技術的には素晴らしいのだが、長じて大成しないというのは、文化・伝統の領域に踏み込まなくてはならないからだ。


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ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。