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ミネソタの音楽・芸術事情

  ヨーロッパの中小都市では、音楽活動を含め文化水準がかなり高い。各都市には美術館やオペラ劇場がある。伝統と言ってしまえばその通りかもしれないが、日本には伝統的な歌舞伎や能を上演する劇場が各地にあるだろうか。アメリカでも主要都市の文化レベルは結構高い。ミネアポリスにも美術館が幾つかある。その中ではミネアポリス美術館が白亜の殿堂風の建物で堂々としていて立派である。作品も年代別にヨーロッパやアメリカに区分けされて展示され、日本や中国などの東洋美術品も結構有る。訪れるだけで楽しい。演劇では、ガスリー・セアターという商業演劇の常設館があり、市民はよく出かける。バレーにもプロのグループがある。

  音楽について言えば、クラッシクではミネソタ・オーケストラがある。ミネソタ・オーケストラなどと都市名でなく州名が付いているので、なんとなくダサく聞こえるのだ。話しは脱線するが、ミネソタにはミネアポリスとセントポールという2都市がミシシッピー川をはさんであり、何事につけても張り合うのである。だから、どちらか一方の都市名だけを付けられない。寄付金を集める場合にも州名の方が両都市には都合がいい。勿論、資金調達が主要な役割である委員会の選出にも都市が大きい方が有利だし、両市のフアンを獲得しなければならないこともある。メジャー・リーグの球団であるミネソタ・ツインズも州名を付けた球団名だ。球団名にはシアトル・マリナーズとかボストン・レッドソックスのように都市名がつくのが普通である。フットボールもミネソタ・ヴァイキングスでやはり州名がつく。アイスホッケーもミネソタ・ノース・スターズとなってしまうのである。

  私にはミネアポリスと言えば、ミネアポリス交響楽団が記憶にあった。しかし、ミネアポリスに来てもミネアポリス交響楽団はなく、あるのは田舎くさい名前のミネソタ・オーケストラだけだった。その昔、ミネアポリス交響楽団はレコーディングをよくやっていたので、私もSP版で数枚持っていた。ところが、ミネアポリス交響楽団がミネソタ・オーケストラに変身していたとは知らなかった。1970年代には、ミネソタ大学のノースロップ・オーディトリアムを主要演奏会場として使っていた。その後、ミネアポリスの街にオーケストラ専用のミュージック・センターができて移って行った。

  ミネソタ・オーケスラの前身であるミネアポリス交響楽団は1903年に設立されている。私達がいた当時の1970年代には、指揮者がスタニスラフ・クロヴァチェフスキといってポーランドの出身だった。もともとはピアニストで、第二次大戦で手を負傷し指揮者に転向する。クリーヴランドの名指揮者ジョージ・セルのところに来て、いろいろ勉強したらしい。ミネアポリス交響楽団に来て、20年という長い間、指揮者を務めた。アメリカの市民権をとり、現在もミネアポリスに在住している。もう50年間も指揮者生活を送ているという。2000年12月には、二度目の来日で、N饗でベートーベンの第九交響曲を指揮した。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。