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アメリカの新聞

  新聞はセントポールに『セントポール・パイオニアー・プレス』紙(発行部数20万前後)紙があり、ミネアポリスには『ミネアポリス・スター・トリビューン』紙(発行部数33万前後)がある。アメリカには全国版の日刊紙がない。しいて全国に配布している日刊紙といえば、当時、『ウォールストリート・ジャーナル』紙くらいだ。だが、『日本経済新聞』と違って、経済専門で一般情報は一切載せないから一般紙ではない。『ニューヨーク・タイムズ』といえどもニューヨーク市の一地方新聞に過ぎないし、『ワシントン・ポスト』など政治的な主張の強い新聞もワシントンのローカル紙だ。当時は『USツデイ』紙のような新聞はなかったから、全国紙は無いに等しかった。

  従って、日本の新聞事情と少々異なる。『朝日新聞』や『読売新聞』や『毎日新聞』などのように、全国に販売して、部数が数百万部などというのは、アメリカの新聞業界では考えられない。アメリカでは購読層が変化している。1970年に世帯数の76%あった新聞購読層が30年たった今では56%に落ち込んだ。2009年では大変な変化を遂げているだろう。テレビの影響である。テレビでは文字情報ほど詳しく解らないが、速報が可能なのと動画による強いインパクトが武器になる。更に、今ではメディアも多様化し、当時では考えられないような状況である。インターネットの出現である。プロのジャーナリストが活躍する時代から、インターネットを通じてアマチャーが台頭してきたのだ。ジャーナリズムとは呼べないような記事の波乱である。

  現在のアメリカでは、一都市一新聞である。昔は一都市に数種類の新聞があったのだが、テレビの影響もあり、どんどん淘汰されて一都市一新聞になった。だから、いまだに、地方に立脚した報道が中心である。アメリカの新聞を見ていると、地方のニュースが第一で、その次が国内ニュース、第三に国際ニュースだ。地方のニュースが中心と言っても誤解してはいけない。ヘッドラインには国内問題や国際問題が踊っている。日本の大新聞のように、地方版と言ってその地方のニュースが1ページほどでお茶を濁すということはない。各々の発行部数は少ない。週間発行の新聞も入れると、その総数は7千種類に及ぶ。ちなみに、日本では450種類くらい、但し、コミュニティ紙が増えているからもっと多いかもしれない。

  アメリカの新聞は政治的に明確な姿勢をとることが多い。日本でとられている客観報道というものとも少し違う。ジャーナリズムという概念が確立され、どこの大学にもジャーナリズム学部があり、日本のように報道は『常識の範囲』では収まらない。それは思想や倫理として確立されている。まず、パブリック・オピニオンをしかりと捉え、パブリック・インタレストを優先する。アメリカでオブジェクティブ・ジャーナリズムが取り入られたのは、1910年代にイエロー・ジャーナリズム(故意に作り話的な出たら目な情報を真実らしく報道すること)が猛威を振るっていたことに対する、ジャーナリストの良心と反省から生まれたものだから、日本のようにだた無責任に情報をたれ流すのとは違う。情報のゲートキーパーとしての認識と責任を持っていなければいけないし、主義・主張は正しい情報にもとづたものでなくてはならない。日本では役所に記者クラブと称して事務所を役所の費用で借りて、情報も役所の言う通りの報道するから何おか言わんやとなる。日本の新聞の紙面は皆な同じで、画一的でどの新聞を取っても変わりばえがしない。

  アメリカの大学には、通常、ジャーナリズムかマス・コミュニケーションという学部がある。全国に7千種の新聞媒体と、更にテレビやラジオ局があり、コマーシャル関係の会社も全国にあるから、卒業しても働く場がある。日本では早稲田大学に昔から新聞学科があるが、他の大学に独立したジャーナリズムの学部があるのかどうか知らない。卒業しても働く場がないだろう。何よりもマスメディア側が『報道は常識の範囲』と思っているから、ジャーナリズムとかマス・コミュニケーション学部の卒業生など採用しないからだ。その上、新聞も、ラジオ・テレビも会社の数は限られている。


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ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。