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マスメディア

  チャオがテレビに出ることになった。KTCATVという教育テレビ局(パブリックTV)がコモ通りにある。少し遠いが、家からでも歩いて行ける距離である。アメリカの教育テレビは財団や大手企業の資金援助のものとに成り立っていて、公共テレビの一環として教育テレビを放送している。ミネソタに行ってから、半年くらい経った頃に、ミネソタ・インターナショナル・センターの紹介で、セント・ポール市の教育委員会を通してチャオにテレビに出て欲しいと手紙が来た。チャオの英語は一応意志の疎通には事欠かない程度になっていた。

  チャオは余り気が進まないようだった。収録当日、車でノッコとチャオを連れてKTCATVに行った。日本人の男の子が2人と着物を着た女の子が1人。男の子はチャオより2〜3才年上だった。子供達の母親とノッコがスタジオの隅に座って、男の子が3人で『べいごま』や『めんこ』をして遊ぶ。要するに、日本の子供たちの遊びを紹介しようというのだが、これには人選が悪かった。チャオは『めんこ』も『べいごま』もやったことがない。英語は喋る必要がないとはいえ、日本語も喋らず、『めんこ』も『べいごま』も出来ない。だから、テレビに出ているというだけになってしまった。

  ラジオは医学部に来ていたSさんから帰国する時に頂いたものを使っていた。AM放送だけでなく、FM放送にも局が沢山ある。音楽番組では中道派のポピュラー音楽ばっかり流す局や、ウエスタン専門の局、一日中クラシックを流している局もある。どうしても、音楽はポピュラーなアメリカの曲かクラッシクになる。レコードも楽器もない時だから、これは大変有り難かった。

  我が家にはテレビがなく、半年ばかり経ったある日、外の廃品置き場に使いふるしのテレビが捨ててあるを発見。外見もコードもスイチの類も、古い以外は正常に見えた。11インチの小さなテレビだ。アンテナもポータブルのものが一緒に落ちていた。早速、家に持って帰ってスイチを入れてみた。白黒の時代だがら、画像が映れば充分である。更にアンテナをつないでみたら、ひどい画像だが映る。ところが、音声はノイズだけで何も聞こえないが、これでチャオはケヴンのアパートにテレビを見に行かなくてもすむ。数ヶ月経って、テレビがつかなくなり、うんともすんともいわなくなった。スーパーなどに行けば11インチの白黒テレビが60ドルで売っている。もうカラーの時代になっていた。日本人の留学生家族はみな新しいカラーテレビを買って来る。我々には白黒でも、60ドルは大金である。

  そうこうしている内に、ブルースが古いテレビが余っているといって、白黒のテレビを持って来た。これも半年くらいすると、写らなくなってしまった。人から借りたテレビだ。写らなくなりましたと言って、すぐ返す訳にも行かない。コモ通りの行きつけの銀行の近くに、雑貨屋があって、真空管を売っている。真空管のテレビだから、ここへ持って行って、テレビの真空管を外し、テスト機でチェックする。真空管を買うにもセルフサービスだ。チェックして切れていると、同じ種類の真空管を買って来る。そうして、どうにか写る。こんなことを数回繰り返しているうちに、どうやっても写らなくなってしまった。

  また、テレビがない。暫くして、新聞を読んでいると、『中古テレビ売りたし』という三行広告が目に飛び込んで来た。ユニバシティー通りで大学の近くだ。若い男が35ドルと言うところを、30ドルにまけてもらって買って来た。このテレビは良く映り、ミネソタにいる間中故障することはなかった。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。