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メトロドーム

  ミネアポリス市街とミネソタ大学の間の敷地にメトロドームがオープンしたのは1983年の4月だった。屋根つきのドームだったために、冬には雪で天井が落ちるというアクシデントも有ったらしい。なにせ、収容者数が5万6千以上だから大変だ。私は行っていないのだが、ブルースによると、メトロドームでの観戦は結構大変らしい。夏はものすごく暑くなるし、屋根が落ちないように送風機で風を送っているから、送風機の騒音がものすごくうるさいそうだ。ここにはミネソタ・ツインズとプロのアメリカン・フットボール・チームのミネソタ・ヴァイキングスがフランチャイズしている。ミネソタ・ツインズは1970年に地区優勝しているが、その後のミネソタ・ツインズはどちらかというと弱いチームだった。選手を補強する資金もなく、フロリダに売りに出されるという噂が流れた。今でも、貧乏なのは変わらないらしいが、若手を自前でこつこつ育てたり、家族的な団結心は旺盛らしい。ミネソタ・ツインズが1987年にワールド・シリーズを制することができたのはやはりこのドームのお陰だろう。それ以後、地区のプレイオフの常連になるくらいに強くなった。

  歴史的な建造物としてはフォート・ネリングがある。セントポールをインデアンから守るためにミシシッピとミネソタ川の合流点に1819年に作られた城塁で、当時は最も北に位置する基地であった。第二次世界大戦まで軍の基地として使われていたそうだ。今は史跡として、空砲を撃ったり、昔ながらのローソクを作ったり、鍛冶屋の作業など、昔の作業をいろいろ再現して見せている。

  セントポールとミネアポリスを結ぶ幹線道路は州道12号線である(この部分だけはインターステート95号線とオーバーラップしている)。一般道ではユニヴァシティー・アヴェニューがある。片道3車線、往復6車線の広い道路である。ミネソタに来て最初に住んだアパートはユニヴァシティー・アヴェニューに面していた。大学の周辺は木々や緑が多く、歩いていて気持のちよい、素適な通りであった。市営バスの16号線がミネアポリスの7番街からワシントン通りとユニヴァシティー・アヴェニューとを通ってセントポールのワーバシャ通りまで走っている。途中、ミネアポリス・キャンパスを通っるので、車のない時は両市へ行くのに16号線は便利であった。

  ミネアポリスに湖が22ヶ所、セントポールにも同じくらいの数の湖がある。さらに大小の公園がツインシティでは90ヶ所以上あって、とにかく、緑の多い街である。サラリーマンが一度転勤して来ると、この街がすっかり気に入ってしまい、他の街へ転勤命令が出ても、会社を辞めてツインシティで再就職する人が結構多いらしい。夏の期間は素晴らしいし、戸外のリクリエーションにはことかかない。だが、12月から3月まで、最低でも4ヶ月間は最高気温が摂氏〇度を上回ることがない。冬の寒さも格別なのである。なだらかな丘陵地帯しかないから、スキーもクロスカントリーくらいしか楽しめない。その代り、プロのアイスホッケー・チームのミネソタ・ノース・スターズはいつも上位にいたものだ。湖が多いから氷には事欠かない。なにせ、湖が近くになくとも、広場に水を撒いただけで、簡単にスケートリンクが出来て、冬の間中解けることがない。各学校にはアイスホッケーのチームがあり、試合がおこなわれる。これが結構人気がある。冬にセント・ポールに出張すると、土日の休日には地元の高校のアイスホッケーの試合を見に連れて行かれるとボヤいていた子会社の社員が結構いたほどだ。

  我々のコモンウェルズ・テラスでも、冬には広場の芝生の上に水を撒いてスケートリンクを作った。ニュージーランドから来ていたロッドがアパートの前の広場で、雪を踏みしめて、その上に水を撒いていたが、翌日には平らなスケートリンクが出来上がっていた。早速、チャオはお古のスケートを貰って、初めてのスケート体験だ。私も中古品屋で買って来たスケートに久し振りに乗って、チャオの手をつないだり、抱えたりしながら、チャオの練習に手を貸してやった。冬は橇すべりくらいしかないから、スケートが出来るのは楽しい。そのうち、チャオは上達してきて、アイススティクやら、アイスパックやら、スーパーで買ってもらって、アイスホッケーの真似事を始めた。スケートリンクを作ると芝をいためるので、次の冬はリンク作りはもう止めにした。

  札幌でも、昔は大通り公園で水を撒いてスケートリンクを作っていたが、どうしても日中の気温がプラスになるために、夜間になるまで水浸しの状態で、凍るまで待たなければならなかったのを思い出す。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。