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商業地区

  更に、北に上って行くと、セントポールの地名の由来となったセントポール聖堂がある。多分、長崎と姉妹都市になったのはこの聖堂があることが理由のひとつではないかと思う。一段と高い場所に、大きなドームが聳えている。周りには何もないので特に目立つ。ローマのサンピエトロ寺院を模して、9年がかりで1915年に完成したルネッサンス様式の教会だ。

  変わったと言えば、街の外観ではなく、その内側である。ミネアポリスにもあるのだが、セントポールにはスカイウエイというシステムがある。ビルからビルへと2階レベルでつながっていて、歩行者は専用路を歩くのである。日本でなら、地下道に相当する部分を2階のレベルに作ったに等しい。だが、この方が作るコストが安い。その上、場所によって、2階からの景観も楽しめる。ただし、日本ではビルが小さすぎてこの方法は向かない。

  市内の全てのビルがつながっている訳ではないが、市街の中心部にある主要ビルは迷路のように回廊でつながっている。特に、冬は有り難い。市営の駐車場などに車を止めて、スカイウエイを通り、目的の場所まで行って用を済ましたら、今度は別のスカイウエーを抜けて目的のレストランへ行き昼食をとる。帰りは、来た通路を通るか、別のスカイウエーを通って、ウインドーショッピングをしながら駐車場まで戻る。事務所やクリニックだけが並ぶ細い通路もあれば、突然、大きなショップが並ぶ広場もある。変化に富んでいるだけでなく、一歩も外に出なくとも用が足せる。全長5.5キロ以上もあり、200店舗以上の銀行やら、商店やら、クリニックに連絡している。ツインシティ以外ではカナダのカルガリーなどの寒い街にもあるが、やはりここの街のスカイウエイは歴史があり、全長も長い。スカイウエイは場所によって、道路を行くよりも2倍の距離を歩かなければならないが、これが結構楽しい経験である。だが、このようにしても、市街地に人々を呼び戻すことは難しく、一般大衆は無料駐車場と効率的な店の配置を求めて、郊外のショッピング・センターへ足を運ぶのである。

  当時、ツインシティのショッピング・センターは、アパッチ・プラザ、ローズデール、ブルックスデール、サウスデールなど4ヶ所くらいだった。それでも、全米の平均からするとショッピングセンターの数が少ないそうだ。最も新しいものでは、1992年にできた『モール・オブ・アメリカ』(Mall of America)というすごく大きなショッピング・センターがある。敷地だけでも78エイカー、520店舗以上が入っており、有名デパートが4つあり、年間の入場者がデズニー・ワールドの入場者数をこえるという。ここには、全米からツアーを組んで観光客が訪れるというから、中西部最大のショッピング・センターなのだろう。デズニーランドのようにアトラクション中心ではないが、大きなスヌーピーがいる屋内広場には、遊園地風の子供の乗り物があったりする。スヌーピーの生みの親のシュルツがセントポール生まれだからと言う訳ではあるまいが。とにかく、入っている店の数はべらぼうに多いので、歩いているだけでクタクタになってしまう。

  ブルーミントンと呼ばれるこの地域には、それ以前ミネソタ・ツインズやミネソタ・ヴイキングが本拠地としていたスタジアム(球場)やアレーナがあった。最初の年のクリスマスに、このアレーナで「デズニー・オン・アイス」が催された。車のない時期で、近所の人たちに連れて行ってもらった。主役はオリンピックで名をはせたフレミング嬢で、銀板で華麗な滑りを披露していた。アレーナは満席で、拍手の嵐。チャオもスケート・ショーを見るのは初めてで、ピエロの演技に歓声をあげて興奮していた。空港からすぐ近くで、飛行機の離着陸の際には大きな敷地のなかにぽつんと球場やアレーナが建っていて廻りが大駐車場になっている様子が見えたものだ。屋外球場だからシーズンも終盤に差しかかると、小雪の中で試合をせざるを得ないこともあった。ミネアポリスのダウンタンにメトロドームができて、両チームが引っ越して行って、空き家になっていた。ここの空き地活用のために『モール・オブ・アメリカ』ができた。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。