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市街地

  アメリカの道路は広い。札幌の街も道が広くて、東京あたりから来るとゆったりと見える。ただし、何処か違いがある。ミネソタは70年代からスパイクタイヤが禁止されているから、4月、5月の雪解け後にも、アスファルトがタイヤで削り取られた粉塵が、道路に溜まっていない。だから札幌のように道路が白っ茶けてわびしくないのだ。札幌も近年スパイク禁止となったが、スリップ防止の砂とか融雪剤の塩化カルシュームのせいで春先の道路の色はよくない。

  ニコレット・モル通りの西側に並行して、ヘネピン通りという広い道が走っている。車の往来が激しい幹線だ。ここから西は下町といった感じで、昔はごちゃごちゃとした小さな商店が並んでいた。南北にアヴェニュー(アヴェニューとは公共的な建物や広場に通じる広い道路。ここではアヴェニューもストリートも『通り』と標記している)、東西はストリートという具合である。戦後、東京に進駐した米軍が、通り名のない日本の道路に困り果て、彼等に分かりやすくするために、アヴェニューとストリートのシステムを取り入れたことがあった。欧米ではアヴェニューとストリートは日常生活に組み込まれたシステムなのである。路線方式だから、路線名や通り名のない道など考えられない。彼等は通り名で街の外観が判断出来るのである。話しは飛ぶが、この路線方式の考え方であらゆる方面で欧米との違いが出る。日本人はブロックで考える習慣がついているから、欧米のように広域的で有機的に関連しあう計画が作れない。

  ヘネピン通りの東側には、銀行や大手企業のオフィスが入っているビル群があり、更に東側に行くと、ミネソタ大学の広大なミネアポリス・キャンパスがある。ヨーロッパでは戦争でもない限り、街の景観は30年経っても50年経っても殆ど変わらない。アメリカもヨーロッパほどでないが、余り変化はないのである。ミネアポリスも70年頃と80年頃とでは殆ど様子は変わっていない。72年にミネアポリスを発つ時に建設中で話題だったビルが2つある。IDSタワーとフェドラル・リザーブ・バンク・ビルだ。IDSタワーはニコレット・モルに建設中だったガラス張りの50階以上あるビルで、ツインシティーで初めての近代高層ビルだった。FRBビルの方は各階の床を釣り下げるという、まるでトランポリンのような構造になっている斬新なスタイルだ。これらのビル建築を契機として、ミネアポリスでは80年代以降、大きなビルの建築ラッシュが始まった。今では、昔のイメージを持って街を訪れると、すっかりスカイラインが変わっていて迷子になる。

  セントポールは、どちらかと言うと、ミネアポリスほど変化の少ない保守的な街である。むしろ州政府の各機関が多いため、商業都市としての市街地は寂れた街という感じである。メーンストリートは州議事堂からミシシッピー川に下って行くワーバシャ通りで、デパートのデイトンの支店などのビル群があるが、薄汚れた小さな店が並び、その上、空き店舗が目立つた。70年代と現在とでは街の外観はさして変わっていない。
  アメリカの都市では、どこでも同じだと思うが、鉄道の駅が余りにもわびしい。ミネアポリスにはグレート・ノーザン鉄道駅があり、セントポールのダウンタウンにはユニオン・ステーションがあるが、ここの駅は様子が違う。昼間も電気を消して暗い。窓から差し込む光がぼんやり内部を照らしている。駅には人が一人もいない。目を凝らすと、隅で細々と営業している床屋の明かりが微かに見える。70年代には1日1往復しか汽車が来ない。駅の中央に昔の機関車が展示してあり、不気味なほど闇と静寂が支配している。

  セントポール・ライブラリーのあるライス・パーク周辺は街で最も雰囲気のある地区である。セントポールで最も格式の高いホテルとされているセントポール・ホテルが公園に向って建っている。1910年に建てられた古いホテルで、80年代に内部が修復されている。
  ここの一階にあるレストランの料理は美味しい。アメリカの地方都市の食べ物はまずい、特にレストランはひどいということになっている。私もそう思うのだが、ここの料理の味は日本人の口にも合う。公園をはさんで向かいのオードウエイ・センターで音楽会がある日など、予約しておかないと、満員で八時前には食事ができない。開演の八時までに食事を済ませて音楽会に行く人達が大勢いるからだ。

  公園をはさんで図書館の向かい側にはランドマークセンターがある。ロマネスク風にデザインされた、まるでデズニーランドにでもありそうな可愛らしい建物だ。1902年に完成して、1967年に取り壊しが決まり、すったもんだの挙句に、我々が行った1970に保存が決定し、修復作業がおこなわれた。今、ここにはミネソタ美術館が入っている。
  ここの東側の道路に面して異色の建物がある。セントポールにしてはなかなか洒落たビルで、1階には多くの商店が入っている。だが、当時は空き店舗が多かった。

  北に向って道路を上ってゆくと、ミネソタ科学博物館がある。この博物館は3Mとかかわりが多い。ウイリアム・マックナイト・オムニセアターというのがここに併設されている。マックナイトは戦後、現在の3Mの基礎を築いた男だ。 博物館の展示は考古学、科学技術と生化学が中心だが、展示が解り易く、休日ともなれば親子連れで満員になる。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。