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自動車

  自動車の免許証は、日本の免許証を国際免許証にして持って来ていた。有効期間が1年だから秋には切れるし、車を買うとなると米国の免許証を取得しておいた方が何かと有利なことが多い。
  ブルースがオペルを置いて行ってから、彼には申し訳ないが、夏の1ヶ月くらい使わせてもらった。小型のヴァン・タイプの車ながら、車のある生活に馴れてしまったら便利この上ない。アメリカは公共交通機関が発達していないから、車を持つことは生活、いや生命を守るのに欠かせない。当時は電話と車は外界との接触、連絡には欠かせない道具だった。
「中古車を買うことにしたよ」
いつまでも借りているわけにもいかず、ブルースに車を返すときに告げた。
「それでは私も中古車探しを手伝おう」とブルースが言ってくれた。
  何よりも、最初に決めて置くことが幾つかあった。予算、形式、モデル、年式などだ。中古だからどうやって見つけるかも問題である。ブルースが手伝ってくれると言っているので、中古車ディーラーや売りたい人の所には連れていってくれるだろう。
  まず、予算は500ドル〜600ドルの範囲以内。年式は車にもよるが8年から10年前のもの。モデルはヨーロッパの車がいい、例えば、フォルクスワーゲンのように。中古車でも、日本では、この予算で買える車などない時代だ。500ドルといえば、1ドル360円で18万円だから確かに安い。車検がないから様々な車が運転者の責任で走っている。前輪がフラフラしている車を学生らしい男が運転しているのを見たことがある。
  夏休みになると、大学生が数人で中古車を50ドルで買って、故郷まで数百キロ運転して帰り、それを30ドルで売ってしまう。アメリカの車なら可能な時代だった。なにせアメ車の品質がどんどん悪くなってきた頃だったから。
  まず、中古車屋を廻ってみた。ミネアポリスのレーク通りへ行くと、中古車の販売店が軒を連ねている。めぼしい中古車ディーラーを訪れてみた。中古車販売店のセールスマンといえばアメリカでは口八丁手八丁の悪いイメージしかないから、我々、外国人だけで太刀打ちできる相手ではない。ブルースも中古車の値段がどのくらいなのか、私に実際に知らせるために中古車店を廻ったように思える。例えば、10年前のシボレーのセダンで450ドルだと言って車を見せてくれる。何も問題がなさそうなほどピカピカとしている。だが、ブルースは駄目だと言う。この車を個人から買ったら200ドルもしないと言うのだ。
  我が家では、ミネアポリス・トリビューン紙の日曜版だけ取っていた。日曜日になるとドサッと一抱えほどもある新聞の束が郵便受けに入らず、ドアの前に置いてある。新聞の『Classified Ad』の自動車の欄には『車売りたし』『車買いたし』の3行広告が数ページにわたってぎっしり載っている。この3行広告を懸命に読むのである。3行の内に車種と年式と価格と連絡先の電話番号と車の状態が書き込まれている。予算と希望に合った車を捜しながら、赤鉛筆で印をつけて行く。そして、片端から電話するのである。
「あー、残念だけれど、もう売れちゃったよ」
これが大半の返事だ。日曜版に載っていて、その日の午後に電話しているので、どうして『もう、売れちゃった』となるのか不思議でならなかった。これは私達がアメリカを離れる時、自分たちの車を売るために3行広告を出した時にどうしてかが判った。
  次の日曜日も、またトリビューンの日曜版を調べていた。3つ4つ候補があり、電話をかけた。
「残念だが、もう売れてしまったよ」
そっけない返事だった。そこで、前週の広告に何か気になっているがあった。1週間たったけど電話をしてみた。車はまだ売れずにあった。マーキュリーの66年型だという。コンパクトサイズで、エンジンは快調だと言う。値段は500ドル。但し、ボディは少々錆びているらしい。高校の先生で、奥さんのセカンド・カーとして使っていたものだ。新車を買ったので、保険に入りたいのだが、この古い車が売れないと困るのだと言う。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。