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夏休と自転車

  6月の中旬、夏休みが始まって数日が過ぎた。北国の夏は、朝日がすがすがしい。窓辺にも陽の光がそそぐ。食器の触れあう音が心地よい。朝ご飯の支度が出来た。ママがトーストに目玉焼、ミルクとコーヒーとサラダをテーブルに並べる。
「自転車、あったらいいなー」
椅子に座りながら、チャオが久しぶりに日本語で呟いた。
「そーだな、自転車か」
パパも呟く。
チャオが日本語で喋る時は、本当に欲しい物がある時か、自分でも悪い事をしたと思ってあやまる時かのどちらかである。
「自転車って、高いんでしょう?」
ママが椅子に座りながら訊く。
「我々の生活費では、高いかもしれないけど、チャオに何も買ってやっていないし。子供用の自転車じゃ中古品もないだろうしね。確か、大学の東側に自転車屋があった筈だから、行って見るか。何か判るかも知れない」
パパもその気になっている。
  そして、数日後大学のそばのワシントン通りにある自転車屋に行ってみた。日本でも見かけるような小さな店だ。置いてあるのは割と高級な自転車やマウンテンバイクなどの若者むけのものばかりで、子供用の自転車は見当たらない。若い店員に聞いてみた。
「大学生が相手だから、子供用のバイクは置いていないんだよ」
仕方がないので、ターゲットに行くことにした。今では日本でもちょっと大きなスーパーなら自転車を売っているが、当時アメリカのスーパーでは自動車のDIY部品や、自転車など何でも売っていた。チャオは自転車のことを忘れてない。子供用の自転車から背丈に合うものを選んで買った。フレームは薄緑色で、さっそうとして格好がいい。初めて自転車に乗るのだから大変だ。私の記憶でも、かすり傷の一つや二つはまぬがれない。現在では、自転車に補助輪なしで乗れる合理的な方法があるらしいが、当時は誰かが後ろの荷台を抑えたり離したりして慣らすという昔ながらの方法しかなかった。
  最初は自転車に馴れるために、補助輪を付けて乗らせていた。そのうち、補助輪に馴れると、格好が悪いからという理由で、補助輪を取ってくれと言い出した。補助輪を外すと、自転車はスマートに大人ぽくみえる。まず、いきなり1人で自転車をこがせてみることにして、私が後ろを両手で抑へ、チャオが自転車のサドルにまたがる。そのまま少しずつ押しながら進み、チャオがOKと言ったら、両手を少し離す。こんなことを1時間も繰り返している間に、1人で乗れるようになった。その間、転倒したのが3回ほどで、かすり傷程度だから優秀といわざるを得ない。
  チャオも秋から1年生になるし、お小遣いも毎月決まった額をあげようということになった。1ヶ月50セント(180円)。こんな金額では何も買えないが、何を買ってもいいとチャオに告げた。50セントだが、チャオは何とか遣り繰りしようとしている。そして、お金の出し入れをノートに記録し始めた。ある日、ママと近くのグローサリーまで歩いて買い物にいったらしい。その時、チャオは50セントから、25セントを出して凧を買って来た。広場にいって凧上げをした。結構、良く上がったのだが、木の枝に引っ掛かり取れなくなってしまった。
  そこで、パパは子供の頃を思い出して、凧を作ってみることにした。先ず、竹ひごがないから、台所から料理用の竹串をママからもらって、接着剤でつないで糸でしばり、適当な長さにする。これを何本か作り、組み合わせる。長方形の骨組みが出来ると、紙を張る。といっても和紙はないから薄めの適当な紙を捜してきて張る。こんどは糸をつけるのだが、凧糸がないから太目の木綿糸を使う。マジックで絵らしものを描き、紙を切って足を2本つけて出来上がり。その間じゅうチャオは興味深そうに側で眺めている。
「果たして、上がるかな」
「うん、きっと上がるよ」
  チャオに励まされて広場にいった。上がるまではコツがいるが、上がってしまえば殆ど風任せだからチャオに糸を持たせる。日が暮れるまでワイワイ言いながら楽しんだ。東京などの雪が積もらない地域では正月に凧上げをする。冬の河原では風が強いからだ。日本でも積雪地では冬に凧上げはしない。ミネソタなどの積雪地に限らず、アメリカでは凧上げは5月か6月におこなう。春の強い風が吹くからだ。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。