046

夏期講座

  夏休みになった。ノッコでも正式に学費を払って授業を受けることが出来ると判った。大学の夏期講座だ。夏期講座でもちゃんと単位が取得できる。クオーター制だから夏休みも四半期のカリキュラムが組み込まれている。フランス語など語学のコースは毎日授業があった。
  クラスの登録に行って、コース案内を見る。どうも授業の内容からみて、ベトナムの先生のクラスがよさそうだ。授業の日になって、クラスに行って見るとクラスに大勢の生徒が集まっている。余りに多いので、数人の先生が口頭試問で生徒のレベルを決めることになった。どうしてフランス語を学ぶのかとか、何年勉強しているのかとか、一人一人いろいろ聞いたらしい。結果としてノッコと幾人かの生徒は、このクラスのレベルが低いので、もっとレベルの高いクラスに行きなさいということになった。
  女性の先生のクラスだが、余り面白くなかったらしい。どうしても、ベトナムの先生のクラスを取りたくて、夏休みの後期の授業には取ったらしい。このクラスは英文仏訳の授業だから、夏期講座といっても、テストもあるし、出席率も大切だし、結構きちんと勉強していかなければならない。   秋の学期になって、また聴講生活が始まった。こんどは、男性の教授でサルトルなどの著作を使って勉強したそうである。フランス語を学ぶといっても、英語でやるのだから、結局、英語とフランス語の両方の勉強になる。それに、ノッコはジャニーヌ・ベーカーさんというフランス人にフランス語を個人的に習っていた。彼女の主人はミネソタ大学の教授をしていた。
  ノッコは、大学では仏文科を卒業している。卒論はロマン・ローランの『ベートーヴェン』についてだったから、フランス語も音楽も同時にやったことになる。卒業して直ぐに私と結婚して、先に赴任していた札幌の私のところで生活を始めた。だから、フランス語も音楽も諦らめてしまったようだ。1960年頃は、一般の人達でも「札幌にデパートがあるのですか?」とか、「市内に熊が出没するのでしょう?」と言う時代だった。全てが東京中心で、東京が海外への窓口という時代だったから、アメリカの州が日本に事務所を置くなどということは理解できなかった。
  そのうち、海外渡航が自由化された。自由化されたといっても、海外に持ち出せるのは500ドルだけ。18万円だが、航空券は円で買えるから、滞在費ということになる。我々も、休日などは喫茶店でコーヒーを飲みながら、何時か海外に留学することを計画するようになっていた。その後、ノッコがフランスでフランス語を勉強したいと言ったとき、何も反対する理由はなかったし、大賛成だった。だから、アメリカに来ても、英語よりもフランス語を勉強していた。
  また夏のある夜、マカレスター・カレッジという私立の大学で、昔、駐日大使をしていたフランス人のクローデルの息子さんの講演会があると、ウィークスが知らせてきた。マカレスター・カレッジは小さい大学だが、ツインシテイでは私立の結構いい大学である。講演はフランス語なので、夕方、スネリング・アヴェニューの校舎まで、ノッコを車で送ってチャオと帰って来た。帰りはブルースとロイスが車でノッコをアパートまで送ってくれた。ノッコによると、クローデルと駐日大使だったお父さんの話をしたりして、とても参考になった講演だったと言っていた。
  ところで、ミネソタ大学ではどのくらいの数の語学を教えているのだろうか。ざっと、数えると30ヶ国語(国ではなくて、言葉の数で)以上のクラスがある。国が広いからという訳ではないが、外国語を習うのに日本のように専門の外国語大学に行く必要はない。一つの州立大学で間に合う。それに、専門大学よりも多くの語学を学べる。語学だけでなく、その国の文化や文学を学ぶことが出来る。


HOME

前頁へ 次頁へ


”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。