044

セントアンソニー図書館

  図書館といえば、もう一つ、我らが町の市民図書館も忘れてはなるまい。私がよく利用したものに、コモ通りのセントアンソニーにある図書館である。地域住民へのサービスが中心だから蔵書は大してない。ビデオもCDもまだない時代だ。唯一レコードが置いてあり、一般に貸しだしをしている。しかし、我が家には、帰国する日本人留学生からもらったラジオがあるだけだから、レコードを借りてもどうにもならない。貸し出しカードを作ってもらい、私はもっぱら書籍を借りた。アメリカは不景気の真っ只中で失業率が7%を超えて、夏休みも留学生のアルバイトの許可が下りず、殆ど、ここの図書館で本を借りて過した。近くの母親が子供を連れてやってくる。この図書館には子供用の絵本や書籍が結構多かったので、チャオにもよく本を借りてやった。
  何よりも高かった。今でもアメリカは本が高い。当時ハードカバーの専門書で30〜35ドル(当時のお金で1万円)もしたから、とても学生が買える値段ではない。必然的に図書館が果たす役割が大きい。本の話しだから、大学のブックストアについても述べておこう。確か、当時は大学のブックストアが4ヶ所あった。ウェストバンクにはビジネスや社会学中心のものが1ヶ所あり、イーストバンクには文科系と工学系と医学系のものが2ヶ所あって、セントポール・キャンパスに農業関係の書籍を扱うストアがあった。各ストアでは教養学部的な科目の書籍は共通して取り扱っていた。また、本だけでなく、一般の文具類や、大学生活の必需品や、大学の記念品的なものなど売っていたので、結構、役に立った。古本も売っているから、金のない学生は、もっぱら古本で我慢する。本の裏表紙に、売り渡した学生の名前が記されている。3回くらい転売されると、本もボロボロで、書き込みが多く、値段も安い。
  パソコンなどない時代だし、電卓さえない時代だったから、大学のホストコンピュータが頼りだ。メーンフレームで計算してもらうシステムだ。キーパンチの時代だから、フォートランとかコボルなどのプログラムを利用する。自分でキーパンチ室に行ってデータをキーパンチするのだ。今なら、MSエクセルで簡単に計算できる統計資料のデータも大変な努力がいる。パンチしたカードを束ねてコンピュータ・ルームに置いておく。次の日に取りに行くとプリントアウトと一緒に棚に置いてある。
  コンピュータに関しては、日米で違いがあるようだ。日本では外国から渡来した物事(機械でも芸術でも)に関しては、ハードウエアー中心、テクニック中心になってしまう。ハードとか、テクニックとかは文化と無縁である。『それで何ができるか』とか『どう表現するか』となると、全く別の問題で、文化の問題になる。日本人はハードやテクニックが目的になってしまうから、それを使って何かをやろうという発想が貧弱に思える。決められた、方法でしかやらない。だから機械が何でも出来るように複雑になる。コンピュータといえども、一つの素材が道具くらいに思えば、その利用方法は無限にある。自由な発想で取り組むのがアメリカのやり方だ。その分、自分で考え工夫をしなければならないのは明らかだ。


HOME

前頁へ 次頁へ


”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。