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読 書

  図書館といえば読書だが、秋の夜長は読書に限るなんて、のん気なことをいっている閑はない。ここの大学は1999年の秋の学期からセメスター制に変わったが、当時はクオーター制であった。セメスター制は全米の大学で採用されている標準的な制度で、クオーター制は当時でも少数派であったが、このクオーターという短期間で集中的に勉強出来る方式が私は好きだった。
  日本の大学では学期(アカデミック・イヤー)が4月から翌年の3月までで、1年間だらだらと授業が続く。まるで気も身も入らないクラスになってしまう。むしろ、夏休みの夏期講座で単位をとる方が真剣に勉強できた記憶がある。クオーターはそれと同じで、1年間を4分割して、3ヶ月を1学期とした制度である。3ヶ月の内11週〜13週を授業に当てる。これを繰り返すのである。科目を集中してやるには都合がいい。特に、プレリキジットという、前もって取る必要のある科目がある場合は、期間が短いと次に行き易い。それに、落第の結果が早く出るし、とにかく、学生はよく勉強するのだ。
  それでは、アメリカの大学では、学生はどれくらい本を読むのだろうか。むしろ、読まないとついて行けないのか。本人の知識や経験の程度、理解の速さの程度、出来る出来ないの能力の程度、文化系と理数系の違い、学部の違い、取っている単位数の違い、更に、外国人では英語の能力の違いなど、さまざまで一概には言えない。クラスの初日は教授が配る参考書のリスト(シラバスという)で手元がいっぱいになる。クラスにより異なるが、A4で2ページから5ページにもなる。時には10ページ以上になる場合がある。宣伝の授業(マスコミ学部でおこなわれていた)では「プレイボーイ誌」のページ指定まであった。当時のプレイボーイ誌はかなり高級な記事を掲載していた。古い号なので学部の図書室に指定したページがあるという。ぎっしり本の名前が並ぶ。読む個所のページの指定があるものもあるが、こんなに本を買えないから、まじめな生徒は図書館で読むか借りてくる。図書館になければ、学部の図書室に行けば、専門書や資料が完備している。
  レポートの提出もあり、宿題などもやらなければならない。理科系などは実験が伴うから、それほど本を読む必要はないかもしれないが、とにかく、よく本を読むから、試験の時期になると図書館にこもり限りになってしまう学生が大勢いる。但し、アメリカの大学では4年間で30%から40%はドロップアウトしてしまう。経済的な理由、健康上の理由、勉強が追いつかないなど、理由はさまざまだ。フランスなども事情は同じで、卒業するのが大変に難しいという。
  読むといえば、アメリカの企業の役員がいる。彼等は書類を実に丁寧に読む。日本の企業のように稟議書などないし、当時は、20人以上の関係者が書類に印鑑を押すことなど(今では変わったと思うが)考えられない。権限と責任が明確なのである。私は外資系の会社に勤めていた。ある時書類にサインが必要になって、提出したところで外国人の専務が海外出張に出てしまった。10日程経たないと戻らない。彼の帰国後、急を要する書類なので本人のところにいった。彼のデスクには書類が40センチもの高さになっていた。その中から私の出した書類を引き抜いて、事前に根回しはしておいたのだが、全部丁寧に読んでからサインをしてくれた。サインするということは責任を意味する。当時の日本でなら根回の済んだ案件なら盲印だろう(私は以前日本の会社に勤めていたので何度も稟議書を書いた経験がある)。残りの他の書類もきちんと読んで決済して行くのだ。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。