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タータン・パーク

  雪の世界から家の中に入ると、部屋は少し暗い感じがする。改めて挨拶を交わした後、部屋を案内してくれる。ミネソタでは友達として初めて家を訪問すると、必ず、家の中を案内してくれる。多分、他の州でも同じだろう。
「ここはリヴィング・ルーム。あちらの角の小部屋は主人のブルースの部屋、その左がダイニング・キチン、そして、この廊下の手前の部屋は長男のベリーの部屋で、その奥が私の部屋、そして、その向いがトレーシーとシェリーの部屋。下には車庫と小さなリクリエーション・ルームと暖房用のボイラー室があるの」
  子供たちは直ぐに友達なった。チャオは英語が完全ではないが、3ヶ月経っているので、この年齢同志での意志の疎通には不自由はなかった。ベリーは一番年長で口数も少なく落着いていた。2番目のトレーシーは行動的で、大声を張り上げて、みんなを引っ張って行くタイプ。3番目のシェリーはまだ小さく(後年この子が兄妹の中で一番背が高くなってしまうのだが)、金切り声を上げてトレーシーの後について走り廻っていた。
  クリスマスの正餐は東側の広間で用意された。この部屋はわりと暗い部屋で、ふだんは余り団欒には使われない。ローソクが灯され、大きなテーブルを囲んで全員が席に着く。彼等はユニタリアン宗派に属する。自由な考えの持ち主で、余り宗教活動に熱心ではない。アメリカは人種も多様だけれど、宗教も様々である。キリスト教だけでもプロテスタントやカトリク、プロテスタントには色々な宗派の人達がいる。バプチスト派やルーテル派などは一般的だが、メノナイト派やユ二タリアン派などとなると日本人でも知っている人は少ない。クリスマスのディナーは質素だが子供たちの笑い声が楽しい。初めて外国で過ごすクリスマスの一日、本当に楽しいクリスマスの正餐だった。
  日本でのクリスマスは宗教に関係のないイベントに過ぎないが、クリスマスといえばターキーとシャンパンとクリスマスケーキと相場が決まっている。しかし実際は、チッキンのローストと日本独特の『クリスマスケーキ』と称するデコレーションケーキと安物のシャンパンに姿は変わる。それでも楽しければいいではないか。クリスマスケーキは日本の発明だ。クリスマスケーキという名前でこのようにデザインされた菓子は外国にはない。ヴァレンタイン・チョコレートは日本の発明品であるように。若い頃はキリスト教でもないのにクリスマスを祝うなんておかしいと思っていたが、日本人は他国の習慣を取り入れる天才なのだから、イベントとして騒いでもいいのだと思うようになった。日本独自のスタイルでやってもいいではないか。古くは、雛祭りしかり、端午の節句しかり、七夕しかり、仲秋の名月しかり、みな何らかの形で中国から来たのではないか。
  食後は時間があるので、ブルースが橇すべりに行こうと提案した。ミネソタは全州が平坦でスキーができる山や坂など少ない。だからスキーもクロスカントリーなどが強い。ブルースは子供の橇すべりに適当な坂があるという。ロイスを残してみんなで出かける事にした。17号線を北のレーク・エルモの町に向かって10ほど歩くと、右手に大きなパークの入り口がある。パークといっても一般の公園でないから余り目立たない。
  『タータン・パーク』といって、3Mの従業員用の厚生施設だ。『タータン』とはスコットランドのキルトの模様である。3Mが『スコッチ』という商標を用いていて、箱のデザインにタータン模様を取り入れている。『スコッチ』というと、我々にはウイスキーを連想する。何故スコッチなのか。3Mの創生期に自動車産業向けにある加工素材を導入したのだが、余りに値段が高いので少しずつしか使えず、ユーザーが『スコッチ(けち・節約)』と言ったのが商品名の由来だという。アメリカはマイナスイメージを逆手にとって、堂々と商品名にしたり、愛称にしたりする。
  広大な施設で、ゴルフ場あり、テニスコートあり、野球の練習場あり、その他、公園も含めてもろもろの施設がある。まさにカントリークラブという雰囲気だ。日本のように野球グランドだけとか、サッカー広場だけという厚生施設ではない。クラブハウスの前の広場は斜面になっている。長さ70メートルくらい、幅が60メートルくらいで、一面真っ白い雪で覆われたなだらかな坂になっている。すでに多くの子供たちが親とともに橇すべりに興じている。
  橇はプラスチック製のものがほとんどで色は赤か黄色である。柄がないプラスチックの塵取りのお化けみたいなやつで、これに紐を付けで引っ張るのだ。大きい橇だと3人はのれる。チャオは子供たちについて、橇を引きながら坂を登る。私達は下から見上げている。トレーシーとチャオが橇に乗って、頂上から滑り降りてくる。雪が踏み固まっているので、結構なスピードが出る。2人はキャーキャーとわめきながら下りてくる。ベリーもシェリーを乗せて降りてくる。チャオは振り落とされまいと橇にしっかりつかまっている。下まで来るとチャオは息を切らしてハアハアいっている。結構スリルがあるのだ。コモンウエルズ・テラスのアパート前の7メートルばかりの坂とは違って、ここは結構な距離がある。
  ミネソタにいる間に、チャオは色々な経験をした。冬になれば、橇すべりとスケート。ここにはレーク・エルモという湖があり、夏にはウィークス家の子供たちと魚つりもやったし、レーク・ジョハンナという湖ではよく水泳もやった。ロイスによると、昔はどこの湖でも水は綺麗で、みな水泳を楽しんでいたものだが、いまは水質が悪くて泳ぐ気にならないそうだ。しかし、東京のことを考えたら水はまだ綺麗な方だった。それから、初めて自転車に乗ったのもミネソタだ。
 ミネソタにいる間だけでなく、その後、私が帰国して、3Mに職を見つけてからも、時々ミネソタに出張する機会があり、この時始まった長い間の関係が更に続いた。


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ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。