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クリスマスがやってきた

  クリスマス・シーズンがやって来た。12月になると時折小雪が降り、積雪はないのだが冬らしくなってくる。家の周囲は電飾で飾られ、庭のブッシュにも色とりどりの豆電球が点滅している。そんな家が所々に現れると、もうクリスマス・シーズンだ。庭のもみの木をクリスマスツリーにしている家もあり、飾り付けが美しい。雪が降るとこれらの明かりが一段と映えてくる。
  12月20日頃から学校もクリスマス休暇に入る。うちにテレビがないので、ピーナッツ・ギャング(チャリー・ブラウン)のクリスマス特別番組などがあると、ケヴンがチャオを呼びに来る。ルースのアパートでチャオはクリスマス特別番組を見せてもらう。
  ある日ルースのアパートでクリスマス・パーティーをやろうということになった。ごちそうは『すき焼き』にすると言う。この頃、照焼きや、すき焼きなどの日本食がブームになりつつあった。しかし、彼等はどうやって作っていいか判らない、だからノッコに手伝って欲しいと言って来た。
  さー、大変だ。ノッコは困ってしまった。ノッコは料理が下手な方ではないが、日本料理は全く駄目だ。『すき焼き』が純粋に日本料理かどうかは別にして、余り作った事がない。とにかく食べるはみな外国人だ、初めて食べるのだから、少々作り方が違っていても判りはしない。「すき焼きは日本でも地方によっていろいろ作り方が異なる」とかなんとか言ってごまかせばいい。
  1970年頃は、ツインシティで唯一の日本料理屋は『フジヤ』という店で、ミネアポリスのダウンタウン近くのミシシッピー川沿いにあった。我々は一度も入ったことはないが、七輪や照焼きなどのブームが家庭にまで浸透してきた頃だったから、地元の人達は結構訪れていたらしい。ご多分に漏れず、地元の人には好評だったが、訪れたことのある日本人によると、味がアメリカナイズされて『日本風』の料理だとの話しだった。
  次の日の正午過ぎ、肉を買いに行くことになった。テリーが車にノッコを乗せ、1.5キロほど離れたセント・アンソニーの角の肉屋を皮切りに、この地域の肉屋を数軒廻ったらしい。
「肉はビーフで、厚さは1.5ミリから2 ミリくらいに切ってもらいなさい。といってもメートル法は判らないだろうから、スライスしたハムの厚さだと思えば良い」
私はテリーに説明しておいた。
「すき焼きをするのだから、出来るだけ薄く切ってくれ」
テリーが要求する。
「そんなに薄くなんて切れねーよ」
どこの肉屋でも、一言で断られたらしい。諦らめずに廻ること4軒目になった。
「そんなに言うならやってみよう。そんに薄く切れないかも知れないよ」
ある肉屋でそう言いながら切ってくれたそうだ。機械で切ったのだろうが、厚さがばらばらだった。ハムの厚さとまではいかないが、ハムを3枚くらい重ねた厚さだ。
  後で判ったことだが、『霜降り』だから薄く切れるのだそうだ。『霜降り』なんって贅沢をいっても、アメリカには売っていないのだから、赤みの肉をごっそりと買込んで来た。1人300グラムくらは食べるから、子供たちを含めて12人はいるし、4キロくらいあったろうか。すき焼きを食べるのに、牛肉だけではどうにもならない。しらたきや豆腐などはどうするのか。テリーはミネアポリス・キャンパスの近くにある東洋食品の店にノッコを連れていった。次は野菜を何とかしなければならない。スーパーに行ってねぎや白菜に似た野菜や醤油を調達してきた。
  さて、準備が大変である。すき焼き鍋などない。仕方がないので、ルースの四角い平鍋を使わせてもらった。電熱式だからテーブルに置いてセットできる。お膳立てが充分でないから不安である。腕に覚えがあれば弘法大師筆を選ばずだが、まるで自信がないから、形通りにやらないと不安である。
「どうせ、誰も日本に行った事がないし、本格的な日本料理だって食べた事がないんだ」
みんなに失礼な話しだが、慰めともつかないことを日本語で呟いた。
  もう一つの難題は卵である。『ミネソタのたまご売り』(主演女優のコルベールの顔は思い出すが、英語の原題は忘れた)といっても、ミネソタはおろか、欧米では気持が悪いといって生卵を食べない。現在では日本でも生たまごを食べない人が若者の間に増えているそうだが、アメリカ人も絶対に食べない。生卵なしでもすき焼きは食べられるが、不思議と生たまごに浸けて食べると美味しい。我々2人は生たまごで食べる事にした。


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ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。