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ミネソタの親切

  食後、地下室に下りた。地下はリクリエーション・ルームになっている。息子さんがハムを趣味にしている。今はインターネットがあるが、当時はハムが個人ベースで世界を繋ぐ唯一の電波だった。日本の誰かと交信しようということになった。ハムのことは詳しく判らないが、個人が使用する電波で太平洋の裏側まで届くのだろうかと訝しく思った。よく遭難船からの救助信号をハムがキャッチする話しが新聞に載る。だから、かなりの距離での交信は状況が良ければ可能なのだろう。日本とは14時間の時間差があるから、日本は明け方の5時頃になる。いくらハムには夜の方が電波状況が良いといっても、朝の5時に起きている者はいないだろう。地下室で窓がないから昼でも電気の明かりが必要で、昼と夜の区別が付かなくなる。前に2度ばかり日本と交信に成功したというが、周波数を微妙に変えて、何度もトライするのだがザーザーと雑音が入るだけで上手く行かない。そのうち、何語か知れないが、何か喋っているような音が入って来た。私が日本語で話しかけるのだが全然応答しない。遂に諦らめた。
  1階にあがり、皆でお茶を飲んだ。こうゆう時の話題は必ず『何故ミネソタ大学を留学先に決めたのか』となる。何度同じことを訊かれたことか。まるで挨拶の言葉みたいだ。別にうんざりしている訳でないから、段々話しが上手くなる。米国の留学は結婚した時から考えて、資金を溜めて来たこと。前にも書いたが、いよいよ留学先を決める時、最初に思い出したのは高校時代の英語の教師だった。彼がフルブライト留学生でミネソタ大学に来ていたこと。ビジネスの学部もなかなか優れていること。多分トップ20校の中で、学費が一番安いこと。ウイスコンシン州立大学よりも安く半分で済んだこと。それに、日本人が少ないこと。但し、予想よりも遥かに多いのに驚いていること。中西部は冬が厳しいのだが、私は日本でも北の地方の生まれだから、雪や寒さには馴れているから大丈夫なこと、等など。
  「ミネソタの人達は親切ですか」という質問は余り聞かないが、「How do you like Minnesota?」と聞かれれば、必ず『ミネソタのホスピタリティ』について答えるようにしている。ネルソンさんの所でも、奥さんがミネソタのホスピタリティについて聞いて来た。
「そりゃもう信じられないくらいですよ。特に留学生に対しては」
「おおらかですからね、ミネソタは」
「これはインド人の留学生の話しですが、ミネソタのご婦人達を前にして言っていました。『ミネソタは人種差別がひどい』と、インド人だから本当に聞こえますよね。ご婦人達が驚いて唖然としている瞬間、彼は、ニコリとして、『ミネソタの人は私達に余りにも親切で優しいので、逆の差別を受けているように感じることがあります。ミネソタ人同志でもこんなに親切にはしないのではないでしょうかと』と言ったのです」
「まあー」
「彼の話し振りは演出過剰ですが、確かに一つの真理をついていると思いませんか」
当時、米国に来て2ヶ月しか経っていなくて、勿論ミネソタ・イコール・アメリカだったし、それ以外のアメリカを知るよしもなかった。私は植民の土地である北海道の人間だから、特にこのおおらかさと他人に親切にする気持ちが理解できる。冬の寒さと何もない土地では、互いに助け合って暮らさなければ生きて行けない。瀬戸内海地方に住む人間のように『おてんとうさまと米の飯はついてくる』とはならない。アメリカは州によって制度とか住人の性格が違う。それは国ほどの差がある。しかし、表現の仕方が違うだけで、アメリカは何処でもそれなりに人が親切なのである。といっても、何処の国でも、泥棒、詐欺師、殺人者、人種差別主義者などがいるのだ。そうゆう人達以外の一般市民の話しだ。  楽しいサンクス・ギヴィング・デイを過せて、家族の人達にお礼を述べ、またネルソンさんにコモンウエルズ・テラスのアパートまで送ってもらった。昼間の内に道路の雪も溶け乾いていた。時刻は夕方になっていた。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。