034

感謝祭の正餐

  サンクス・ギヴィング・デイという祝日は日本人には馴染みがない。アメリカ特有の祝日だから、勿論、ヨーロッパにもない。クリスマス、ヴァレンタイン、ハローイン、イースターなどは祝い方が違っても一応は日本人に知られているが、メモリアル・デイやヴェテランズ・デイやサンクス・ギヴィングとなると名前は知っていても何となく判らない。
  ここの国の人達にとってピルグリムという響きは独特のものがあるらしいが、我々日本人には17世紀にイギリスからやって来た移民くらいにしか思わない。清教徒革命の後、行き場所を失った清教徒がメイフラワー号に乗ってアメリカにやって来て住み着いたのが米国の『建国の祖』と仰がれる人達で、インデアンに畑の耕し方を教わり、最初の収穫を祝って神に感謝したのがサンクス・ギヴィングの始まりという程度の知識しか私にはない。同時にこれがインデアン迫害の長い歴史の始まりでもあったのだ。しかし、多種多様な民族が住んでいる米国でも、やがて白人はマイノリティーに落ちる日が来るだろう。昔はメルティング・ポットなどと言われたが、70年代の初めには、もうメルティング・ポットは通用しなくなって、モザイク社会などと呼ばれるようになった。だからもう違う形で収穫祭を祝うべきなのかも知れない。
  サンクス・ギヴィング・デイはその収穫に感謝の気持ちを込めて祝う祝日である。日本でも村ごとに収穫祭を祝う風習があるくらいだから、人間として当然のことかもしれない。ネルソンさんの家に着いたら、丁度お昼の食事の用意が出来ていた。キリスト教に関する祝い事では、食事を正餐として昼にとる。クリスマスも25日のお昼に正餐をとりながら祝う。その昔は、どこの家庭でも毎日の食事のうちで昼食が最も大切であった。食堂のテーブルには白いテーブルクロスが掛けられ、皿や器やグラスがセットされている。赤や緑のクロスが色鮮やかに各人の前に置かれている。
「わー、綺麗」
  私もノッコも思わず言葉に出てしまう。今では、日本のお正月でもお盆でも正式に祝う家など珍しい。昔のように正装して襟を正して祝うお正月の様子を外国人が見たら我々が発した言葉と同じ言葉を発せざるを得ないだろう。今では、こんな事は遠い記憶の彼方に行ってしまったようだ。
  みんな席についた。ネルソンさんは高校の先生をしているそうだ。欧米では父親として肉を切り分けて、みんなに分け与える役割がある。これはフォークもスプーンもなく、手で食べていた時代に、家の主人が腰から小刀を抜き取り肉を裂いて家族に分け与えていた名残だと思う。ネルソンさんはターキーを切り始めた。日本人にはターキーといえばクリスマスに食べるものと思い、ターキーは手に入らないので鶏肉のローストで我慢している。サンクス・ギヴィングにターキーとは想像もしていなかった。アメリカでは主婦が大変だ。七面鳥といっても鶏肉のようにローストすればいいのではない。お尻を切り裂いて中に詰め物をしなければならない。だから、スーパーに行っても、ターキーは切り身で売っていないで、丸ごと一羽で売っている。
  奥さんは痩せて明るい人だ。おばあさんがいて、これぞアメリカのグラン・マという感じのするおおらかで優しい人だ。恒例のパンプキン・パイはおばあちゃんが焼いたものだ。中学2年生の息子さんが1人いて、おとなしい性格で、人が良くって、はきはきとしている。
  サンクス・ギヴィングの食べもので特徴的なのはクランベリー・ジャムとクランベリー・ジュースだろう。外人が梅干しを食べられないように、大抵の日本人は、クランベリーは食べられない。クランベリーのジャムは砂糖をたっぷり加えるか、ジュースは20%位に薄めて砂糖で甘みをつけないと日本人の口に合わないだろう。ジャムもジュースも日本に輸入されているから、日本でも口にしようと思えば口に出来る。独特の渋味と香りを持っている。お手製のジャムとジュースで砂糖は一切入っていないから、知らず知らずの内に不味さが顔に出てしまう。
「不味いですか」
おばあさんがにこにこしながら訊く。
「生まれて初めて口にしたものですから。この赤いのはなんですか」
不味いですとも言えないのでそう訊いた。
「クランベリーですよ。サンクス・ギヴィングにはつき物なの」
奥さんが答えた。
「美味しいものではないけれど、欠かせないものなのね」
確かに我々には不味いけれど、その赤い色は鮮やかである。クランベリーのジャムは、パンにつけてというよりも、何にでもつけて食べる。きっと馴れたら独特の香りが好きになるかもしれない。アメリカ人にクランベリーのジャムとジュースは好きかと訊くと、大抵の人が好きと答える。クランベリーを除いて、料理は大変に美味しかった。最初にして最後のサンクス・ギヴィングの料理を食することが出来たのも、ネルソン家の好意のお陰だった。


HOME

前頁へ 次頁へ


”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。