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ハローウィン

  10月の末になった。もう紅葉も終り、日一日と寒さが増してきた。ノッコの弟のヤスちゃんが結婚してロスアンゼルスに転勤してきている。勤務先は日本の電子機器メーカーのアメリカ子会社。転勤してまだ日が浅い。ミシガンに出張した折りに休暇をとって、奥さんと一緒にミネソタまでやって来るという。ノッコは丁度ホームシックにかかっていた頃だから、弟に会えるのを楽しみにしている。
  10月31日はハローウィンである。当時、日本では余り知られていなかった。仮装して家々を廻ることはチャリーブラウンの漫画で知っていたが、デパートやスーパーでもハローウィンに着る様々な仮装用の衣装を売っているのには驚いた。チャオには黄色いツナギのようなだぶだぶの服とお面のセットを買った。これはアメリカの漫画のキャラクターである。ところがハローウィンが近づくと、チャオは熱を出してしまった。体温計が華氏だから100度近くある。最初びっくりしたが、気をとり直して摂氏に換算してみると37度5分までいっていない。チャオの熱は知恵熱みたいなもので、ことが過ぎると平熱に戻る。風邪を引いているというよりも、期待と不安と興奮状態で熱がでるらしい。
  ハローウィンはもともとケルトのドルイド教のお祭りらしい。だが、ケルト以前からあったという説もある。7世紀にカトリックのボニフェイス4世という人が、この異教のお祭りを万聖節に置き換えてしまう。更に、グレゴリー3世がこのお祭りを11月1日に変更した。今日も10月31日はハローインのイヴということで、夜になると街にでて騒ぐのである。現在、ケルトの子孫はアイルランドや、スコットランドや、ブルターニュなどの地域にしかいないが、アイルランドからの移民がアメリカに持ち込んだ習慣である。日本のお盆のように、死者がこの日に地上に現れ、生きているものと最も近くなるという信仰である。アイルランドでは、ハローウィンは『シャヴォン』と呼ばれてケルトの新年を意味するお祭りであったようだ。
  10月31日の夜はハローウィン・イヴ、いわゆる万聖節の前夜祭で、『トリック・オア・トリート』と叫んで家々を廻る。チャオは近所の子供たちと一緒に家々を廻りたいのだが、微熱のあるから今年は諦らめなさいとママから言われてしょんぼりしている。隣の棟のルースがやってきて、チャオを誘ってくれる。彼女も近所の子供たちを連れて一緒に廻るらしい。大勢の子供達がワイワイ騒いでいる。
事情をルースに話した。
「それじゃ、袋を貸して、これに一杯集めてきてあげるから」
そう言い残して、暗い小雨模様の外へカッパを羽織って元気よく出ていった。
  今日のハローウィンのために、ママは大きなかぼちゃをスーパーで買って来てあった。東京ではこんなに大きいいのは売っていない。パパが子供の頃北海道で普通に食べていたかぼちゃだ。ママは朝からランターン作りにとりかかっている。ランターンは『ジャック・オ・ランターン』と呼ばれているが、アイルランドではもともとカブを使っていたらしい。アメリカにハローウィンが持ち込まれて、かぼちゃに変わってしまった。まず、かぼちゃのてっぺんを12センチばかり切って、中を繰りぬいて行く。全部種を出したら、今度はナイフで三角の目玉を左右に繰りぬき、そして丸い鼻を作ったら、今度は左右に開いた大きな口をくり抜く。中にローソクを灯して出来上がりだ。黄色のかぼちゃのお化けは、部屋を暗くして、明かりを灯すと結構恐い顔になる。外出できないチャオのために、せっかく買ったハローウィンの衣装を着せて、かぼちゃのお化けを背景に写真をとった。
  こんな学生アパートだが、みな結婚しているので、小さな子供が大勢まわってくる。中には母親がついてくる場合もある。扉をトントンと叩き、「トリック・オア・トリート」と叫ぶ。叫ぶ声で誰が来たか分かる。甲高い声はケヴンだ。甘ったれた声はウイリアムだし、歌うような声はジェフだ。ジルが可愛いらしい小声で「トリック・オア・トリート」叫ぶ。ディックとジルは母親のジョアンと一緒にやってきた。どこの家もこの日は駄菓子を買っおかねばならい。老人の家とか、独り者の家では、子供たちが来るとペニー(1セント硬貨)とかニッケル(5セント硬貨)で我慢してもらうこともある。ハローウィンはグローサリーとかスーパーの格好の商戦時期になる。さて1時間半もすると、ルースが戻ってきた。手には大きな袋を抱えている。「はい、チャオ」と言って手渡してくれる。チャオは自分で廻って、貰って来たかのように大喜びである。
 翌年のハローウィンは熱を出さず、チャオは元気に周りの家々を廻って、持ちきれないくらいのキャンディーをもらってきてご機嫌だった。もらったキャンディーをテーブルに広げてごまんえつだった。
  「空港からレンタカーの赤いムスタングで行きます」と、弟から3時頃電話があった。寒い日だった。そろそろ到着の時間になったので、コモ通りで立って待っていたが、一向に現れない。15分も立っていたら、寒さで身体が冷え切ってしまった。我慢しきれず家に戻ったが、やはり何分経っても現れない。暫くして、やっと真っ赤なムスタングが到着した。案の定、コモ通りを行き過ぎてしまい迷子になったのだ。携帯などない時代だから連絡のとりようがない。弟はお土産をどっさり買い込んで来てくれた。5キロ入りのカリフォルニア米を持ってきてくれた。日系人が作っているそうだ。値段は日本の10分の1で、味はコシヒカリなどまだ無い時代だから、当時の日本のお米よりも美味しかった。その上、チャオにはとびっきりのお土産だ。何も玩具らしい玩具もないところへ、ホット・シズラーのレーシング・キットを持ってきてくれた。数台のミニカーとレース用のトラックがセットになっている。チャオは大変な喜びようである。今までこんな素晴らしい玩具を買ってもらったことがない。チャオは玩具を欲しがる子供でない。デパートの玩具売り場の前を通っても、余り関心を示さない。親が心配するくらいで、怪獣だとかウルトラマン人形だとかに関心がない。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。