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税金に対する意識

  勿論、全てのアメリカ人が大食いとは限らない。極端に食べることに気をつけている家族も多い。高齢者とか貧しい家庭では、肉は鶏肉を良く食べる。スーパーなどの肉売り場に行くと、ターキーが一番安くて、鶏肉、豚肉、牛肉の順に高くなっている。豚肉と牛肉の価格差は余りなく、時には上質の豚肉は並みの牛肉よりも高い場合がある。ターキーが一番安いからといって、年がら年中食べる訳にも行かない。それに、ターキーは大体が詰め物をするから、1羽単位でしか売っていない。総じて、肉類はアメリカの方が遥かに安い。野菜類も広い国土を上手に使って季節により各地から運んでくるから、ものも豊富だし価格も安くて安定している。日本のようにちょっと雨が長引いたり、晴天が1ヶ月も続いたりすると、野菜の価格が高騰する、などということは殆どない。何よりも食品に消費税がかからないのが有り難い。日本でもどうしてこれが出来なのだろうか。低所得者や貧しい人達、いわゆる社会の弱者を守ることが先決ではないのか。
  こんなに有り難いクーポンなのだが、月に1度クーポンをもらいにセントポールの事務所まで行かなければならない。なにか失業保険の手続きみたいだ。やはり、行くと、面接があり、大抵は女性の係官なのだが、決まって「何故働かないのか」と聞かれる。もっともな話だが、こちらは留学生で働くことが出来ない。アメリカも不景気で失業率が7%に届かんとしている。夏休みだけは留学生も働けるのだが、最初の夏休みにはアルバイトの許可が留学生に下りなかった。セントポールの事務所に出向くこと4回目くらいに、こっちが根負けして、クーポンを貰うことは諦らめた。得をするなら、何がなんでも粘るという性格ではない。
  留学生は、ある意味で、州から大きな支援を受けている。授業料である。ミネソタ大学はウイスコンシン大学より授業料が安い。半分くらいの金額だ。州立大学の授業料は何処でもみな同じではない。州によって異なる。何故か。州の予算で運営されるから、各州の予算の性格を反映している。州内の学生(レジデント)の授業料は、州外の学生(アウトステート)や留学生の授業料より安い。しかし、我々の授業料は実際にかかる費用の一部にしか過ぎないし、残りは州の予算によってまかなわれている。一般市民も自分達の税金で私達が恩恵を得ていることは先刻ご承知なのである。Tax Payerとして税金に対する意識は日本人と違う。日本の役人は税金、即ち、市民の血税を使っているという意識がない。大半のサラリーマンも現在の源泉徴収制度と会社がやってくれる年末調整のために、いくら取られているかの意識がない。
  アメリカにも、昔は、大統領でさえ使途不明金が解明できないという化け物のよう省庁があったらしいが、総じて、税金に対する意識は強い。それに、日本との違いは、『パブリック・インタレスト』という意識が一般社会で強い。だから、『企業の利益』ではなく『公衆の利益』を第一に優先する。優先して考えないと、選挙に負けてしまう。それは選挙公約だけでなく、日常的に考えていないといけない。これは政府だけでない、公共的性格の強い民間団体とか企業にもいえる。地域の公聴会制度などはそのあわれである。
  現在、日本の中央省庁と地方とのトラブルが益々多くなってきた。『パブリック・インタレスト』を優先するより、自分たちの権益を守ることが多いからだ。各自治体が中央省庁から突きつけられている訳の分らない請求書問題も根は同じだ。またかって、各地で実施された公聴会スタイルの講演会で買収された聴衆が大挙して押しかけたと報道されたことでも分る。昔は日本の企業でも同じで、会議とは既に上層部で決定された事柄を伝達するだけで、議論の余地がなく、会議とはいえない。伝達・報告会にしか過ぎない。自由な発想など存在しない。今、政治と行政への信頼が失われているとしたら、本当に『公衆の利益』とは何かを理解して、それを最優先にすることである。Tax Payerとして実に情けない。
  アメリカとてバラ色ではない、アメリカンドリームであふれている訳でもない。悪いことも、不条理なことも、暴力的な行為など、政府が一部の企業と手を組んで社会を規制したり、何でもありである。しかし、アメリカで最も素晴らしいところは、常に不正を暴き、不公平を正し、言論の自由について議論し、民主主義を基に、建国の原点に戻れる力が民衆にあるということだ。だから日本人のような甘えは許されない。誰も守ってくれないから、互いの傷をこすり合わせながら生きてゆく覚悟がなければ、アメリカには住めない。ただし、これは国内だけの話で、国際問題となると『力が正義』と勘違いして、前が見えなくなる。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。