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フード・クーポン

    秋も終わりに近づいて肌寒くなってきた時期に、チャーリーの奥さんが、留学生でもフード・クーポンをもらえると言い出した。いわゆる、農務省がアメリカの余剰農産物を貧乏人に配給してやろうというシステムである。収入がある基準以下になると、役所が食料クーポン(キューポンともいうが)を支給してくれる。米国にはこの制度に対し賛否両論がある。この制度は労働者から働く意欲を奪うし、税金の無駄使いでもあるといのが、反対の理由になっていた。
  だから、失業救済制度とも、生活保護制度ともつかない制度だが、とにかく最低限食べていけるから、急場しのぎにはもってこいだ。まず、家族の収入の合計が1ヶ月115ドル(1970年現在)を下廻った人で、貯金が1,500ドル以下であれば、どんな立派な家に住んでいようが、高級車を持っていようが、カラーテレビがあろうが、電話があろうが構わない。この基準に入っていれば、受給資格が得られる。確かに働いていない私には、外国人という立場を除けば最高の制度なのである。
  ある寒い日の午後、チャオとノッコの3人で出かけてみることにした。事務所はセントポールのダウンタウンにある。セントポール市に住んでいながら、セントポールの街に行ったことがないから、何処にあるかかいもく見当がつかない。チャーリーの奥さんからもらった住所のメモを見ながら、地図を広げ、通り毎に名前をさがす。ミシシッピー川沿いの市街地を少し外れた所に、目指すチェスナッツ通りはあった。
  さて、車がないから、どうやってそこへ行くかだ。どう考えてもバスしかないのだが、何処でどのバスに乗り、何処で降りるか見当がつかない。アメリカの地方都市のバス・システムは日本とは比べようが無いくらいひどい。ただ駄々広くて、自家用車中心の社会だから、 隣のエーロンが言うように、道路ばから作って公共交通機関には投資しない。道路に投資する方が社会全体として効率的だからだ。
  ミネアポリスのダウンタウンとセントポールのダウンタウンの間を市営の16番のバスが走っていることは知っていた。とりあえずこのバスに乗るしかない。大学のインター・キャンパス・バスに乗り、ミネアポリス・キャンパスまで行く。ワシントン通りで16番のバスに乗りセントポール市の終点で降りた。帰りは、これでは余りに遠回りなので、セントポールで16番のバスに乗り、途中で運転手に聞いた。
「ステートフェア・グランドまで行きたいのですが」
「スネリング通りで降り、バスに乗り換えてステートフェア・グランドまでコモ通りを行きなさい」
そう言って、乗り換え切符をくれた。
このバスの運転手は親切な人で、コモ通りのバスの乗り場を教えてくれて、バスを降りる時にウインクをしながら、トランスファー(乗換券)を2回分特別にくれた。
  ミネソタのバスは、多分他の街のバスも同じだと思うが、乗る時に運転手に「トラスファー」というと、一度だけ乗り換え切符をくれる。だからこの運転手がウインクしたのは「内緒だよ」と言ったのだ。とにかく、家に着いたのは夜の8時くらいになっていた。もう真っ暗になっていたし、ものすごく寒かった。
  このクーポンは親子3人で60ドルちょっとであった。当時のお金で2万円くらいになった。アメリカの物価はその時代でも日本より安かったから充分だった。年間授業料が1,200ドル(ミネソタ大学は安い方だった。隣のウイスコンシン大学が2,000ドルで、東部の私立大学で4,000〜5,000ドルかかった。ミネソタ大学を選んだのも授業料が安かったからだ)で、家賃が月80ドル、我々3人の食料品代が月50ドル、衣類、その他の雑費を入れても250〜300ドルあれば生活ができた。勿論、仮の生活だから生きてゆくのに必要なだけしかかからない、というより、かけないのだ。
  一方、当時の日本のサラリーはというと、これが大変なものだった。経済成長の最終段階に入りつつあったから、毎年、月給が10%も15%も上がった。物価もそれなりに上がったから、いたちの追いかけっこであった。東京で働いて、10万円の給料を貰っても、大して使いではないが、その10万円をアメリカに持ってくれば遥かに価値があった。今は1ドル100円になって、外国での100円の価値が遥かに高いから、みな海外旅行に出かける。当時、1ドル360円の時でも、やはり360円の価値は日本でよりも欧米での方が高かった。例えば、コメはスーパーで売っている米国米の方が美味しくて、日本に比べて遥かに安かった。米国では短粒米(ジャポニカ米とは違うが)を結構食べるらしく普通のスーパーでも売っている。日本では輸入が統制さていたので、輸入品にかかる関税が高く、輸入品の価格が高い。輸入品を真似した国産品は輸入品の国内価格を目安に値付けをするから、当然、価格は高い。よくみんなで立ち寄ったマクドナルドのハンバーガーが1個25セント(1ドル360円で90円)、コーヒーが15セント(50円)だった。1ドル360円でも、やはり日本では円の値打ちがなかったのである。
  クーポンは大変有り難かった。当時、アメリカでは消費税が導入されたばかりだった。消費税は州によって違うが、ミネソタでは3%だったと思う。だが、食料品には消費税がかからない。これは大変に助かる。60ドルのクーポンは日本人の親子3人には多すぎた。先ず、食べる量がアメリカ人とは異なる。テラスでは屋外で、ステーキを七輪で照焼きにしているが、厚さが2.5センチほどで、ワラジのようにものすごく大きいやつを焼いている。1人で1枚食べるのだそうだが、我々なら1枚を3人で分けて食べれば充分である。アメリカ人は大食漢で、日本人の2倍は食べる。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。