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奥様達のパーティ

  マリーの主人ピエールがユニバックに勤務していたために、ミネソタに来ており、大学とは直接関係ないのだけれど、彼女はジュニア・リーグに所属していた。私達も一度家にお邪魔したことがあるが、彼女の作る料理はフランスの地方の家庭料理で、とっても美味しかった。料理の最後に出て来たのは、なんと、大きなボールにどっさりと入ったサラダで、しかもレタスのみである。これをフレンチ・ドレッシングで食べるのだが、美味いの何のって、食事の後なのに次から次へと口へ運んでしまうのである。フレンチ・ドレッシングというと、ただすっぱいというイメージしかなかったが、彼女の作るドレッシングはすっぱさも甘さも辛さもバランスが取れていて、軽くもなく重くもない微妙な味わいであった。
  ジュニア・リーグでは、持ち回りのパーティをアメリカ人の家で行っているのだが、ある時、イダイナにあるジョアンの家でパーティが開かれた。参加者が各々一皿ずつ料理を作って来ることになっていた。ノッコはジャガイモ料理をオーブンで作って持っていた。これはわりと好評で残さず綺麗に平らげてくれた。マリーは牛のタン・シチュウを作って来た。ほれぼれする程の出来栄だったが、あるアメリカ人の奥さんが質問した。
「これ、何なの?」
「タン・シチューよ」
マリーが答えた。
「タンって?」
相変わらず解せない風である。
「牛の舌よ」
マリーが答えると同時だった。
「うわー」
  突然、その奥さんが叫んで、ハンカチを口に当てた。もう飲み込んだ後で何も無かったが、欧米では一旦口に入れたものを吐き出すのは、一番やってはいけない食事のマナーなのだ。
「失礼、食べたことがないのよ」
そう言って、彼女は赤面した。
  欧米の食生習慣は同じでない。イタリアやギリシャでは海産物が豊富だから蛸やイカなども食べる。アメリカでもフランス人が植民していたニュー・オリンズなどは異なるが、中西部はスエーデンやドイツ系の人達が植民してできた州だし、内陸部で海がないから鱒などの川魚以外食べない。食べ物が限定されているから、海産物を食べない。当時、95号線の3Mの近くにあるショッピング・センターにバヤリースという店があり、そこでイカやタコの切り身を売っていたが、とても高くて我々には手の届く代物ではなかった。誰が買って食べるのだろうかと不思議に思ったものだ。牛やブタでも肉しか食べず、タンとか、テールとか、キドニーなどは余り食べない。だから、この奥さんのように、『ダン・シチュー』で驚いてしまうのである。日本人が東南アジアで『芋虫』を食べるのに驚くように、食文化には良いとか悪いとか、高級とか低級とかはない。ただ習慣でしかない。生まれてからずっと食べていれば美味しく思う。『納豆』が日本ではいい例である。
  ジャニーヌのご主人はミネソタ大学の講師をしていた。住いもカレッジ・パークの近くで、歩いて行ける距離だったから、ノッコがフランス語を時々教わりにいっていた。この辺はロスウェル通りといい、カレッジ・パークがある通りなのだが、アーチ型に古い樹木が立ち並び道を被っている美しい通りにある。住いも大邸宅などではなく、こぢんまりとした一軒家で夏は木々が被って日陰になり、冬は落葉樹の葉が落ちて日が当たるという素晴らしい環境である。
  フランス人以外でも、何人かのアメリカ人とも知り合いになった。ジョアンの主人もジョンでややこしいのだが、彼女は大柄で明るく活動的な女性である。ちょっとジュリー・アンドリュースに似た雰囲気をもった人で、いつも茶と白のツートンカラーのワゴンに乗っていた。彼女はジュニア・リーグの中心的存在であった。夏になると、ミネハハ・パークで野外パーティを開いて楽しく一日を過した。子供達が3人いて、末娘のマーサはチャオより1才歳下だが、金髪で、おしゃまな活動的な子供だった。ジョアンの主人は弁護士の資格を持っており、さる民間企業で働いていた。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。