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コモンウエルズ・テラスの友人達

  コモンウエルズ・テラスに越してきてから、一番困ったことは、車がないことだった。まわりはテラスの広大な敷地だし、コモ通りの向こう側は老人ホームだし、テラスの東隣はステートフェア・グランドだし、南側は大学のキャンパスだから、商店街がまるでない。700メートルほどコモ通りを下って、ガソリンスタンドのあるレイモンド通りの角まで行けばグーロサリーがあるのだが、ここは今の日本のコンビニよりも小さく、生活に必要な食料品も売っていない。重いドアを押して薄暗い店の中に入ると、チリンと鈴が鳴り、ずんぐりして背の低いおじさんが黒縁のメガネ越しにギロリとにらむ。だから、この店の前は通るが、余り入ったことがない。
  買い物はキャシーに電話をかけて、時々、ローズヴィルのターゲットへ連れていってもらうのだが、毎回毎回という訳に行かない。閑な時には一つ返事で快くよく来てくれるが、キャシーの家は7キロくらい北のニューブライトンという所にあるから、我々の買い物のために出かけて来てもらう訳にはいかない。
  スチューデント・ハウスで世話になったチャーリー夫妻の友達でジョアンというニュージーランドから来ている家族が近所のツー・ベッド・ルームの棟に住んでいた。奥さんは知的な感じで、痩せていて髪の黒く背も小さかった。彼女には2人の子供がいて、上は4才の髪の黒い女の子でジルといった。下はディクという2才の男の子だ。ご主人はロッドといって、農学部の大学院に通っていた。背丈の割にがっちりして、顎鬚をはやしていた。ある日、ジョアンが子供達を連れて挨拶にやって来た。
  外国人留学生の奥さん達が集まって作っている会合で、ジュニアー・リーグと名前がついているグループがあった。こどもの野球のジュニアー・リーグとは違う。外国人留学生の奥様達のグループである。ジョアンは英語国民なので、外国人だがこの会には所属していなかった。彼女が言うには、「私の英語はこの辺で通じないので、いつも聞き返されるの。外国人として扱ってもらった方がいいのよ」と冗談を言っていた。ニュージーランドの英語はキーウィー・イングリシュと言うか言わないか知らないが、とにかく、オーストラリアの英語と同じく独特の訛りを持っている。
  彼女の主人のロッドが時々スーパーや酒屋に連れていってくれた。12月に入ったある夜、セントポール市の先の94号線にあるショッピング・センターに連れていってくれた。そこにある酒屋に入った。酒類の販売は州によって違うが、ミネソタでは、3.2%のアルコールのビールはスーパーでも買えるが、それ以上強いビールとかウイスキーやリカー類は酒類販売の免許をもっている専門の酒店で買わなければならない。
  飲酒年齢も当時は州によって異なり、ミネソタは20才、隣のウイスコンシン州は18才であったから、大学生は金曜日になると、ウイスコンシンに出かけていって酒を飲んで騒いで帰るのだが、警察が州堺のセント・クロイクス川の橋のたもとで網を張っていることが度々あり、みな飲酒運転で捕まってしまう。今は両州とも飲酒年齢が同じになったからこんなことは起こらないが、アメリカは未成年の飲酒には厳しいし、今では未成年でなくとも飲酒運転で事故を起こしたら殺人罪に問われる。日本みたいに酒飲みには寛大すぎる国とは違う。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。