021

レーク・ノコミス

  夏休みにはよく遊びに来た。ビーチがあっても水が余り綺麗でないので、泳げる訳ではないが、チャオと半ズボン一つになってよく甲羅干した。上空には低くノースウェストの旅客機が着陸態勢にはいる。
「ああー、西海岸からかの飛行機かしら。そうだったら、東京に通じているのね」
突然、ママが空を見上げながら呟く。9ヶ月経っても、時々、ホームシックになるらしい。湖にはヨットが白い帆を風になびかせて静かに進む。3隻か4隻、緑の森を背景に湖面をセールしている。日本人なら、こんな小さな湖にヨットを浮かべようなどと考えないだろうが、海のないミネソタでは湖しかない。
  この他にも主要な湖が幾つかあるし、我々も時々訪れていた。ノコミスから5キロばかり西の方に、レーク・ハリエット、レーク・カルフーン、レーク・アイルズとシーダー・レークの4つの湖がつらなっている。レーク・ハリエットは、今ではリクリエーション・センターが湖畔に出来て様相が変わったが、ミネソタには珍しく起伏があり趣きがあって静かな湖だ。レーク・カルフーンはこの中で一番大きく、周りは平坦で何もない湖だが、水深は浅く、夏には、コーラの空き缶などで作ったお手製のいかだ大会が催され、多くの市民が参加して賑やかになる。レーク・アイルズは小さくて周りにも樹が多く気持ちのいい湖だ。春になるとこの湖にはカナダガンの一群がやってきてガーガーと結構うるさい。
  更に、ずっと西には前述のレーク・ミネトンカがあり、セントポールの北の方にはホワイト・ベア・レークがあって、廻りはのどかで住むに素晴らしい。セントポールの東にはレーク・ファーレンという細長い湖があり、次の年にスチューデント・アドバイザーになったモランさんが湖畔に小さいが実に洒落た家を持っていて、時々遊びに行ったものだ。モランさんに初めて会った時、何処かで見た顔だし、名前にも記憶にあった。昔、日本に滞在していて、モラン神父といっていた。カナダから西武のアイスホッケーチームに来て、若林選手とともに小柄ながら活躍していた。いつの間にか、ミネソタ大学で、異文化コミュニケーションのクラスを持っていた。
  ゴルフコースも両市の地域で、パブリックとプライベートを含め32もある。パブリックコースでは、夏休みになると新聞にチラシが入り、料金も2ドル以下だから気楽に廻れる。当時、残念ながら私はゴルフをしていなかった。大学にも24ホールのゴルフコースがセントポール・キャンパスの近くのラーペンター通りにあった。夏になると学生が、少々行儀は悪いが、半ズボンに上半身裸で、クラブを数本バッグにも入れず担いでゴルフをしている。女の子はホットパンツにノースリーブ姿で、靴も履かずに裸足で芝生をあるきながらゴルフをしている。
  当時は、ヒッピーの全盛期で、ヒッピー文化が大衆化し、長髪で(私も床屋に行く金を節約するために自分で髪を切るのだが、いつの間にか長髪になってしまた)、靴を履かない習慣が出来上がっていた。とにかく、この裸足で歩くのは健康によいのと、「皆がやるから私も」というのが普及した理由だと思う。家の中とか、近くの芝生の上などでなら良いのだが、道を歩いたり、挙げ句の果ては、バスに乗ったり、ミネアポリスのニコレット通りにまで裸足が進出して来た。靴屋がラジオでコマーシャルを流して、「むかし、アフリカの部族の人達が裸足で歩いているのをアメリカ人が見て軽蔑しました。今はあなた方が裸足で歩いているではないですか。文明人なら靴を履きなさい」と訴えていたが効果はなかったようだ。
  地図を広げて、湖と公園とゴルフ場のある所を切り取っていったら、数が多くてぼろぼろになってしまうだろう。むかし、アメリカの週刊誌が書いていたが、ツインシティーに転勤してくる人達の多くは、再度転勤を命ぜられると、転職してここに残り、生活をエンジョイしよとするという。また、アメリカには「全米素適な小都市20」とかいうのがあって、セントポールはその常連である。結構大きな都会なのだが、やはり田舎の町というイメージはある。
  湖が多い州なのだが、観光地がないので、連れて行く場所が無い。特別な目的が無い人にはどうにもならないところだ。冬を除いて(寒くても雪の好きな人は問題ないが)、生活をするにはこれ以上楽しめるところはない。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。