017

オリガミ

  アメリカの小学校の低学年では、『Show and Tell』と『Skit』というものを大切にする。日頃、チャオは健康的で活動的な子供なのだが、ショー・アン・テルやスキットの前や、ハローインなどの前には、決まって熱を出す。出来ないからとか、不安だとか、やりたくないから、というのではなく、直前になると、一種の興奮状態になり、前の夜には熱を出してしまうのでどうしようもない。一種の知恵熱(?)と諦らめざるをえない。
  ショー・アン・テルは題材が決まっていないので、話したいこと、見せたいことについて、子供が自由に選んでよい。発表する子供は、クラスの前に出て、必要なら物を見せながら話しをするのである。これはアメリカの独特の教育方法だと思う。子供の自主性を育て、自分の発表スタイルを身につけさせ、意見をはっきり言うことが出来るようにすることにあると思う。そうゆう人間を社会が要求するからだ。学生でも社会人でも、自分の考えをきちんと発表できることが、優秀な人であると評価される。だから、話す内容が理路整然としていなければならない。
  スキットは、NHKの英語のレッスンなどでもおなじみの言葉だが、寸劇で役割を決めてやるお話である。役割を決めて参加者全員が協力しないと駄目なのだ。チャオが小学校1年生の時に、クラスでスキットをやった。チャオが口上を読み上げて、話しの解説をする。『ハンプティー・ダンプティー』のお話しだ。なにかルイス・キャロルの話しみたいだが、その口上は結構長くて、B5で1ページくらいある。チャオはこれを丸暗記してしまった。近くのダンにチャオの発音を聞いてもらう。ダンが読んで、チャオが暗記したものを話す。全く問題ない、中西部の発音だといって帰っていった。
  我が家の会話はちょっと変わっていた。子供と共に移り住んでいる家族には当たり前かもしれないが、チャオが英語で話し我々夫婦は日本語で答えるのある。都合が悪くなったり、ものをねだる時などは、チャオは日本語で話す。だから、日本語で話しかけてくる時は要注意だ。2年目ともなると、チャオの英語はアメリカの子供と大差なくなってきた(多分、語彙はアメリカの子供より少ないと思うが)。ママの喋る英語にもケチをつける、「ママの英語は、英語じゃないよ」。パパの英語も似たりよったりだが、さすがに父親には「パパの英語は、英語じゃない」とはいえなかったのだろう。
  2年目の4月、もう帰国が真近い頃、テスター先生から連絡が入った。日本の文化紹介の授業で折り紙を紹介して欲しいというのだ。授業はノッコをインストラクターにして行われることになった。ノッコは考えた末に、自分で折り紙を折って見せるのではなく、全員に折り紙を作る体験をさせるのがいいと考えた。ノッコは、教えることがずば抜けて上手い。家庭教師しか経験はいないが、断っても断っても生徒と母親が噂を聞きつけてやってくる。私には真似の出来ないことだ。私は『教え過ぎ』で失格だ。ノッコのやり方は『教え過ぎず、教え足りなくもない』のだ。生徒の顔と雰囲気を察知して、教えるタイミングを失わず、必要最小限のことをヒントとして与える。生徒の意欲を盛り上げて行くタイプである。
  子供たちに各自新聞を3枚ばかり持ってくるように伝えて下さいと、テスター先生にお願いしておいた。当日、私は午前中の授業が無かったので、ノッコとブリムホール・スクールへ行った。まず、机や椅子を片づけて、子供たちは床に座る。ノッコが黒板の前に立って、オリガミの兜を示し、そして新聞を広げて見せた。
「おはようございます。これから、兜を作りましょう。ヘルメットですよ」
子供たちは新聞紙からヘルメットが出来るのが理解できない。日本の子供なら端午の節句などで日本の兜のイメージくらいは持っている。文化の違いをどう乗り切るかだ。まず、ノッコが見本を作ってみせる。彼等の想像するヘルメットとは程遠いが、それを近くにいる子供の頭に被せてやった。形は3角だが、ヘルメットには違いない。子供たちからドーと歓声が上がった。ノッコはそれをもう一度もとの新聞紙に戻して、再度、一から始めた。私は助手の役だ。子供の間を歩きながら、手の止っている子供を見つけたら教えてあげる。
「ここを折って下さい。そうするとこうなります。分からない人はいませんか・・・」
分からなくとも、無口でいる子供が多い。私がそんな子を見つけて、「ここを、こう折るのだよ」と教えて歩く。段々、形になってくると、子供たちが興奮してくるのが手にとるように判る。最後のひと織りで、ノッコが叫んだ。
「さー、出来ました。皆さんも出来ましたか」
子供たちの歓声が上がった。出来上がった兜を被る子供や、兜を高く上げて振っている子供など。みな嬉しそうだ。
  午後にチャオが帰ってきて、ママに1枚の紙を差し出した。子供たち全員の名前が記されて、『有り難う』と書いてある。子供たちが感謝状をくれたのだ。その日の下校時に全員が兜を被ってバスに乗ったらしい。スクールバスの運転手がビックリして、子供たちの新聞紙の兜を誉めちぎったそうだ。
  アメリカの子供達、少なくともミネソタの子供たちは、みんな明るく、素直で、素朴であった。勿論、ワルもいるけれども、全般的に日本の子供たちに比べて遥かに挨拶が上手にできた。コモンウエルズ・テラスに住んでいる子供たちは、「ハーイ」と通りがかりの大人に先に声をかけた。これは地方都市ということもあるが、むしろ、親の躾の問題であろう。挨拶すること、サンキュウということは、子供が小さい内に、アメリカの母親がよくいって聞かせる日常的光景である。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。