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100ドル札のミステリー

  さて、翌日、ホテル滞在最後の日の朝に、リックがホテルまで迎えに来てくれた。入居するのは University Ave.600 S.E.(ユニヴァーシティー通り南東600番)にある2階建てのアパートである。薄茶のレンガの4角い建物で、正面入り口はガラス張りになっていて、小さなキャノピーがあり、作りは割と新しい。2階の部屋で505号室。窓からの景色は、向いの屋根ごしに粉屋さんのジェネラル・ミルズの赤レンガの煙突が見えるだけだ。いかにも穀倉地帯のミネソタに来たという感じ。部屋に入って直ぐ左側に台所があり、その先は大きな居間になっている。右は寝室と浴室になっている。典型的なワン・ベッドルームである。居間と寝室を仕切っている壁に穴があいていて、暖房はここから熱風が吹き出す仕組だ。9月の末とはいえ、夜になると急激に冷え込む。暖房の温度を上げてもゴーゴーという音が大きくなるだけで余り温かくならない。
  引っ越すといても、トランクが2っくらいだから簡単であった。気が優しく陽気なリックは親切である。ミネソタに来て、ここの人達の親切さは身にしみてあり難く思う。彼等がいなければアパート探しなど不可能であろう。生活するのに最低限必要なものを確認して、足りないものがあればキャシーにスーパーに連れていってくれるように手配してくれる。リックには感謝である。
  リース契約したアパートからキャンパスまで歩くと結構ある。ユニヴァーシティー通りを大学の方へ真っ直ぐ歩き構内に入って、更にワシントン通りを東へ進まなければインターナショナル・スチューデント・ハウスに着かない。20分はかかるが、アメリカの学生はよく歩く。大きな歩幅で、スッと背を伸ばして歩く姿はすがすがしい。
  ユニヴァーシティー通りを3人で歩いていると黄色いスクールバスが数台通り過ぎる。乗っているのは小学生の高学年か中学生くらいだ。みんな吹奏楽隊の制服を着ている。何処かの応援にでも行くのだろうか。窓を明けて体を乗り出し、子供達が盛んにチャオに手を振ってワイワイやっている。チャオも盛んに手を振る。何とも微笑しい情景だ。
  インターナショナル・スチューデント・ハウスではキャシーが待ってくれていた。車でスーパーへ連れていってくれると言う。彼女がどうして、ローズビルのターゲットへ我々を連れていってくれたのか分からない。新しく借りたアパートからは遠すぎて買い物に来れないし、それとも彼女がこの地区に住んでいるからと思った。だが、後日このスーパーは偶然に我々にとって馴染みの店になる。とにかく、アメリカの本格的スーパーは初めてで、その広さに驚かされる。当時のアメリカでは標準的な大きさだが、当時の日本では、まだこんな大きなスーパーはなかった。店内はアメリカ特有の匂いがする。あの洗剤の香料と油の匂いだ。日本でなら、我々が気がつかいだけで、醤油と味噌くさい匂いがするだろう。衣食住は何でも売っている。食は、米国式に生活する分には、ここで事足りる。衣類も礼服の類以外は手に入るし、住の方はDIYだけだが、必要なものが揃っている。主要な生活必需品は日本から船便の別送便で送ってもらう手筈になっているが、まだ到着するは先のことだ。とりあえず、当面必要なものを買込んで支払いという段になった。
  レジで100ドル札をだしたら、ちょっとした騒ぎになった。この時代の米国では、もうスーパーや小売店で100ドル札を使わないのだ。レジの女の子が目を丸くして、100ドル札を明かりに透かして眺めている。
「一寸お待ち下さい」
といって、マネジャーに電話している。マネジャーが飛んで来て、同じように100ドル札を透かして眺めている。
「あれが100ドル札よ」
後ろで待っている客の母親が子供に向かって言っている。当時、100ドルは3万6千円相当だが、日本では3,600円の買い物をするのに、3万6千円の札を出しても不思議ではない。100ドルが1万円になった今では、現実に、1,000円の買い物をするのに1万円札を出すのは当たり前なのだ。だから何が起こったのか不思議でならなかった。
「その100ドル札に何か問題があるのですか」
マネジャーに訊いた。
「いや、100ドル札など使う人がいないもので。時々偽札が出で来るものですから。でも、これは大丈夫です」
そう言いながら通してくれた。とんだ騒ぎに懲りて、それから100ドル札は一切使わないことにした。日本の常識が通用しないことの最初の体験であった。
  当時のアメリカではクレジット・カードが普及し始めたばかりだったが、ミネソタではまだパーソナル小切手を使う人が多かった。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。