009

アパートさがし

  大学が民家を借りてインターナショナル・スチューデント・ハウスという組織に使わせていた。働いている連中は全員ボランティアだ。アイルランドから大学院に来ているチャールスという男性が取り仕切っている。痩せているが、きびきびしている、いかにもアイリッシュという男性だ。リックというオクラハマ大学から転校してきた男性がアパート探しを手伝っている。チャーリーの奥さんでインド人の女性サリーが事務処理の中心になって働いている。
  インターナショナル・スチューデント・ハウスで何人働いているのか判らない。入れ替わり立ち代わり学生が出入りする。学生でない人達もいる。ミネソタ滞在中世話になったキャシーという既婚の女性もその一人だ。エジプトから子持ちで来ているアザという女性もいた。行く度に、入り口のホールでロッキング・チェアーに座って手からタバコを離さない丸々と太った黒人の女性は何者か未だに判らない。ひどいチェーン・スモーカーで咳をしながらヴィックスを舐めなめタバコを吸っている。咳がひどいなら、タバコを止めるか一時控えたらと忠告したが、タバコを止めるなら死んだ方がましだと言って、ゴホンゴホンやりながらタバコを離そうとしない。とにかく不思議な場所だが、着いてから3日間は毎日通った。というのは、親子3人でホテルに長居するほど経済的に楽ではない。ホテルを3日しか予約していなかったから、何としてもその間に住む所を捜さなくてはならない。
  ある日、インターナショナル・スチューデント・ハウスでリックと話をしていたら、ノッコがチャオと一緒に何処かへ行ったきり戻ってこない。そろそろ昼食時だった。何処へ行ったのだろうと思っていたら、やや暫くして、ニコニコしながら戻って来た。チャオは両手に小さな袋と缶を抱えている。
「買い物してしまった。アメリカで初めて自分で買い物したの」
ノッコが笑っている。
「へー、すごいね。で、何を買ったの?」
「お昼にパイとスプライト」
チャオの抱えている袋を指した。
「それじゃ、ミシシッピの土手に行って食べよう」
  ここからミシシッピ川までは2ブロックくらい離れている。途中に小さなグロサリーが1軒、住宅街の角に電話ボックスと共に建っている。この店でパイを買ったのだ言う。イースト・リバー・ロードという道路が川岸沿いにある。殆ど人も車も通らない静かな通りである。川に沿って石積みの低い垣根が連っている。ミシシッピの土手といっても川は遥か下の方を流れているし、土手の上にも樹木が植えられていて木陰を作っているから、川は木の間から少し見えるだけだ。ミネソタ・インターナショナル・センターとフォレン・スチューデント・アドヴァイザー・オフィスの裏手になる地区だが、樹木と緑が多く小鳥の鳴き声が聞こえる閑静な所である。ここで昼食をとった。市販のパイだから、家庭で作るものと姿・形も違ってアメリカン・パイと呼べない。甘くて甘くて我々日本人には到底食べられないが、みんなで我慢して食べた。350ミリリットル入りのスプライトやコーラは、当時、日本では北海道でしか売っていなかったが、これも日本のとは比較にならないほど甘い。アメリカの菓子類はすごく甘い。ケーキやチョコレートなど大抵は甘すぎるから、自然と敬遠してしまう。
  アパート探しはリックの担当なのだが、彼も忙しくてなかなか暇が無い。車に乗って1度に3っくらいの部屋を見て歩く。広いがワンルームであったり、賃料が高くて予算と合わなかったりで、3日目の夕方になって、やっと6度目に行ったアパートに決めた。その足で、ミネアポリス・キャンパスの西側にある取扱店のUniversity Community Properties Inc. という会社に直行し、リース契約を済ませる。賃貸料は月80ドルだった。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。