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徹底した身体検査

  70年代はまだ終身雇用の時代だから、労働の流動性がない。即ち、オープンでない。だから、当時は自費で外部の教育機関で学んできても会社は無視する。企業の金で社内教育として学ばなければその価値を認めなかった。社内教育の目的は帰属意識の高揚と団結で、知識の習得ではない。MBAをとって帰国しても、企業は役立てようがなかった。アメリカのようにMBA取得者にポジションを与えるような企業組織になっていない。だから、帰国しても会社を辞めてしまう人が多かった。日本の企業組織がMBAの活用を許さないである。むしろ日本の社会のありようからきている。企業だけの問題ではない。私の先輩にもテキサス大学でMBAを取得して会社に戻った人がいたが、結局辞めてしまった。当時、日本の企業が社員をアメリカに留学させるのは、知識の取得ではなくて、留学生が人脈を作って帰国するのが目的であった。
  次に、入学のための身体検査を受けなければならない。土木工学部の修士課程に来ていた日本人のKさんが「身体検査は徹底していますよ。まさに尻の穴まで調べられますから」といっていたのを思い出した。医学部の指定された大学生用の待合室に行った。各部門を廻って、泌尿器科の部門で、老年の医者に尻の穴まで調べられた。Kさんの話しは冗談ではなかった。こんな検査が必要かと思うが、理由があって検査しているのだろう。それから眼科では、弱視の左目はメガネでも矯正不能といわれた。その後の経験からこれは正しいものと思われた。ここの医学部にはその後も、冬になると風邪をひくために、いろいろと世話になった。ブルークロスという健康保険に加入していたが、1年でやめてしまった。当時、病院に行くのは私だけで、大学の医学部に行けば、健康保険に加入していなくても学生は料金が安かったからだ。
  科目によってはクラスの空きがないために、夕方の5時頃からの授業をうけざるを得ないことがある。アメリカの企業は大抵4時には仕事が終るから、5時でもサラリーマンは大学の授業に出てこられる。クラスの学生は半分以上が30代以上で、髪の毛が薄くなっている者、お腹が出ている者、ネクタイと背広を着ている者、果ては、黒い尼さん姿の教会のシスターまで、さまざまな人と一緒だった。企業によっては必要な知識を大学で習得すれば、自分が受けた教育としてそれを認定してもらえるシステムがある。必要な知識を大学で習って、企業でも教会でも実践する。会計学、心理学、労務管理、はては経営学まで巾が広い。1960年代には大学の成人クラスが完備されていたのだ。
  大学に話を戻そう。大学のクラスで喫煙や私語は勿論禁止だが、他人の迷惑、授業の妨げにならなければ、どのような行動をとってもよかった。授業中に居眠りをしようが、いびきをかかなければ見過ごされた。泥棒から守るために、自転車の前輪を外してクラスに持ち込む学生も結構いた。
  学内は自由な雰囲気だった。大学の学生会会長の男は同性愛者で、彼はリーダーだからまだよいのだが、相方は当時でも差別の対象になっていた。アルバイトをしていても、職場で差別があって、職場を点々とするのである。ヒッピーが全盛の時代だったが、カリフォルニアやニューヨークに比べて、ミネソタでは社会が保守的だったのかも知れない。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。