007

役に立たない過去の知識

  当時は、TOEFLの結果は本人に通知されないので、本人には分からないのだが、570点くらいだったと思う。TOEFLの点数は大学の判断で異なるが、この当時、ここの大学では文科系が550点以上、理科系では470点以上くらいが目安であった。今では600点取らないと受け付けてくれない大学が増えたので大変である。私はこちらに来る前に、交換留学生で日本に来ていたリックという学生に東中野のアパートに来てもらって、聞き取りの訓練をしたけれど、短期間で集中的といっても聞き取りは短時間で急激に良くなるものではない。
  「大学で行われている留学生向けの英語講座に聴き取りだけのコースはないし、そんな程度の英語では役に立たなでしょう。米国のアンダーグラデュエイトの1年生が取るFreshman's Englishがあるから、来期にとって見たら」とアドヴァイザーが勧めてくれる。
「それから、住む所は決まっているのですか」
「いいえ、まだホテルで・・・、いつまでもホテルという訳にいかないのですが」
「住む所が決まってないのなら、この近くに『インターナショナル・スチューデント・ハウス』という組織があるので行ってみるといいでしょう」
教授は親切に教えてくれた。
  また、授業が始まって直ぐに、ビジネススクールのあるBAタワーで、授業についての個人指導がある。アドヴァイザリーの教授がきまって、話し合いが持たれた。日本から提出してあった10年前の成績表を眺めながら、取るべき科目を即座に決めて行くのである。ビジネスの分野では10年間で科目の種類がすっかり変わってしまった。1960年以前には、マーケティグなどと言葉は日本になかった。日本の大学では早稲田が一番早く科目としてマーケティグを取り入れた。「マーケティグ」という言葉が新しく、一人歩きし始めたばかりだった。今考えると、マーケティグとは一体何なのか、何を教えていいのか、教授もよく理解できていたと思えない。第一テキストがない。だから米国マーケティング協会から出ているマーケティングの古い定義を説明するのだが、余りにも包括的で、余りにも抽象的だった。具体的には米国のスーパーやコンビニの小売販売の英語のテキストを使っていた。
  マーケティングとは、製品やサービスが作り手や提供者から消費者にわたって、またその情報が戻ってくる循環の中に存在する概念なのだが、当時はその一部の「出口」の部分だけを教えていたことになる。マネジメントなども、予算管理や日本流の財務分析などが中心で、キャッシュ・フローなどの概念もなく、まるで違ったものを教えていたように思う。マネジメントも、会社の組織などにアカンタビリティの概念さえも無く、まるで違ったものを教えていたと思う。従って、商学部を出たといっても、マーケティグもマネジメントもきちんと勉強していないのだ。もう一度、アメリカで勉強しようと志した理由もここにあった。
  日本の大学で勉強してきたことは殆ど役に立たない。日本の大学で取った科目をプレリキジットとして認定してくれない。大学院(ビジネススクール)の授業について行くためには、余りにもプレリキジット(予備科目)の数が多すぎるのである。「これも駄目、この科目は現在のプログラムには不適切・・・」とアドヴァイザーに排除される。更に、科目選択の時期が殆ど終ってしまってから、ここの大学に来たので、これら必要な科目は一切取れず、無駄な科目を取らなければならなくなってしまった。2年でMBAを終了するのは少々きびしいようだ。


HOME

前頁へ 次頁へ


”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。