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入学手続き

  まだ夏休みで、大学の構内には学生の姿はほとんど見かけない。朝から晴れ上がり、昨日の夕方の寒さとはうってかわって、ものすごく暑い一日だ。大学構内はとにかく緑が多く、その上ものすごく広い。東京に比べると別世界である。ジョンストン・ホールで入学手続きと科目の選択を行う。既に科目の選択期間は過ぎており、今ごろ来ても、予定していた科目は満員締め切りの状態で、全科目全く不必要な科目を選択せざるを得なくなった。最低限の9クレジット(留学生に必要な最低限の単位数)は取ったものの、大学院の修士過程が最初から危ぶまれるスタートだ。細かいことは、授業がミシシッピを渡って隣りのウェストバンクにあるビジネススクールのBAタワーで行われるので、そこに行きなさいと、係りの女の子が言う。
  ミネソタ大学は1851年設立の州立大学で、ミネソタが州に昇格する7年前のことである。モリスやドゥルースやクルックストンなどミネソタの他の地域にもキャンパスを持っているが、ミネアポリスとセントポールのキャンパスが最大である。面積的にも全米で有数の広さである。ミネソタで唯一の州立大学ということもあり学生数がかなり多いマンモス大学である。1857年当時は学生数が72人だったものが、1970年には5万人に膨れ上がった。1996年以降はその数字が減少しているという。
  ミネアポリス・キャンパスはミシシッピを挟んでイーストバンクとウェストバンクの2つのキャンパスからなる。ウェストバンクは、当時はビジネススクールと社会学部とウィルソン・ライブラリーだけが置かれていたが、現在はその他の学部の建物もある。イーストバンクとウェストバンクの2つのキャンパスをつなぐ橋が変わっている。まさにユニークなのだ。この橋は2階建てだ。1階はミネアポリス市街に通じるワシントン通りが通っている。2階部分は歩道橋で、左右の欄干部分には川を望む露天の歩道があり、中央部分は白い鉄のフレームにガラス張りの通路で、冬になると暖房が入る仕掛けになっている。
  やっとウェストバンクのBAタワー(Business Administration Tower)に着いた。
「こちらに来るように言われたのだけれども」
と痩せた女子事務員に告げると、奥に相談に行った彼女が戻ってきて、
「今日は、こちらはいいから、スチューデント・オフィスへ行ってください」
そう言って白黒刷りの大学の構内地図を手渡された。さー大変だ。地図を見たらスチューデント・オフィスはイーストバンクの1番東端ではないか。1キロ半か2キロは歩かなければならない。1人ならいいのだが、子供のチャオがいる。
「チャオ、これから15分か20分歩くけれど、歩けるかい?」
「大丈夫さ、ぼく元気だもの」
笑顔で返事をする。私はこの子に感謝しなければならない。アメリカ流にいうなら、大変、誇りに思っていると告白しなければならない。なにせ、『ぐずる』ことや『だだをこねる』ことや『文句を言う』ことが無い。夜遅く車で帰宅した時も、「家に着いたよ」と眠っているチャオを起こすと、さっと目を覚まして、何も無かったように、とことこと1人で歩いてくれる。5才になったばかりとはいえ、まだ4才の子供である。
  通称フォーレン・スチューデント・オフィス(正式には'International Student Advisory Office、通称 I.S.A.O.という)と呼ばれている事務所は3階建ての民家のような建物で、キャンパスの東端のミシシッピ川沿いに建っている。隣の右側には同じく木造2階建てのミネソタ・インターナショナル・センター(Minnesota International Center)と呼ばれるオフィスがあり留学生にミネソタの情報を提供している。
  フォーレン・スチューデント・オフィスでは、最初に会った教授が1年間、学校のこと、生活のこと、授業全般のことなど、何かと相談にのってくれる仕組みになっている。私が会ったのは物腰が静かでいかにも物分かりがいいという感じの年配の教授だった。
「何か困ったことはありませんか」と教授が訊いた。
「英語の聞き取りに難があるのですけれど」
おもむろに後ろのファイル入れからTOEFL(来る前に受ける留学生の英語テスト)のテスト結果を出してきた。
「うーん、全般的にいいですが、聞き取りは少し良くないですね」


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。