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ミネソタ大学

  次の日の朝は早く目が覚めた。北国の朝は早く明ける。早朝にホテルの窓から下の通りを覗いて驚いた。まだ6時だといううのに、もう大勢の人が歩いている。特にアメリカ人は早起きだ。活動的で、日本人のようにだらだらしていない。極端な話し、日の出ている間は外で活動し、日が暮れると寝る。まるでお百姓さんのようだが、自然の理に適っていて、これがすこぶる健康的である。
  留学とか、研究とかで米国に滞在している日本人はことある毎に、「アメリカ人は単純だ。アメリカの学生は活動的だが、あまり頭が良くない」と言う。『頭がいい』という基準が日本と違う。アメリカには『九x九』などはないから、暗算が弱い。買い物のお釣も加算方式だ。日本人から見ると、だから頭が悪いとなる。日本では『頭の回転が速くて、暗記力があって、機械的に計算ができる』となる。そして、他人の受け売りでもいいから、学生などは即答できないと頭が悪いとなる。しかし、アメリカでは違う。欧米では、『明晰であり、思慮深く、分析力があって、自分の考えを適確に表現できる』である。だから、独創的な考えが出てくるのだ。
  朝食をとりにホテルのレストランに行く。昨夜のうら寂しいレストランとは場所が違うが、一転してここは活気に満ちている。チャオはいちごのコーンフレークスをとる。ウエイトレスがミルクと一緒に持って来たコーンフレークスを見て驚いた。大きなボールはいちごの山盛りである。コーンフレークスが見えない。
「コーンフレークス頼んだんじゃないの?」
「そーだよ」
と言って、チャオはスプーンでいちごを掻き回した。底の方からフレークスが現れた。その時のチャオの驚きに満ちた笑顔は忘れられない。日本で『いちごのコーンフレークス』と注文すれば、いちごが4つか5つ上にのっているものと決まっているが、ここでは、まさに新鮮で真っ赤な『いちごの山』の『コーンフレークス』なのだ。
「どうだい、美味しいかい」
「うん、美味しいよ」
もくもくと食べている。これだけ食欲があれば安心だ。コーヒーはポットに入れて、ウエイトレスがドーンとテーブルの真ん中においていった。今度はコーヒーの大好きなノッコが不安そうに周りを見まわしている。
「コーヒー、勝手にお代りして良いのかしら」
今でこそ日本でも外資系のファミリー・レストランでコーヒーの無料お代りは当たり前だが、60年代や70年代の日本では緑茶のお代りはあっても、コーヒーを無料でお代りする習慣はなかった。ウエイトレスにコーヒーのお代りを頼んだら、ウエイトレス嬢は驚いたようにテーブルのポットを指差した。
「ここに入っていますよ」
「勝手に飲んでいいのですか」
「いいですとも。好きなだけどーぞ」
と言ってさっといなくなった。彼女たちの朝は忙しいのだ。レストランの様子を見ていると日本のやり方とどこか違う。日本にいると、日本でやっていることはすべてが当たり前で、他の国でも、同じ事を同じ方法でやっていると勝手に思ってしまう。基本的な考え方が違うから、そこから出てくる行動様式が微妙に違ってくる。結果はたとえ同じでも、中身が違う。この違いは数知れず経験するので、この後、折りに触れて書くことにしよう。
  大学に行かねばならない。バスは諦らめて、ホテルの前からタクシーに乗った。どのように走ったのか、いま思い出そうとしても正確に思い出せない。記憶にあるのが、フォッシェー・タワーとミシシッピにかかる橋と大学のジョンストン・ホールだけだ。多分、ホテルからマーキット通りに出て北に上がる。体格が良くて無口な運転手が右手上空を指して、「このビルがミネアポリスで一番高いホッシェー・タワーですよ」と言ったからだ。とすると、ミシシッピ川に向かって一方通行のマーキット通りしかない。そして、ヘネピン通りに出てミシシッピを渡る。それからユニヴァーシティー通りを大学の方へ向かって走り、15丁目から構内に入って、ジョンストン・ホールの裏手に着くというルートで来たと思う。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。