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ニコレット・モル

  ミネアポリスにはニコレット・モルというメインストリートがある。この通りのはずれの13番地にホリデーインがあった。17階くらいの建物で、「あった」と言うのはアメリカのホテルは度々転売されてホテル名が変わってしまうからだ。我々の部屋は14階の西向きで、部屋に入った時に丁度太陽が地平線の彼方に沈む頃であった。眺めは素晴らしいのだが、目に映るのは市街地よりも、森の広がりだけで、遥か彼方まで緑の森が連なっている。急に、親子3人が取り残された感じになり、「これから、親子3人、何があっても、力をあわせていかなければ駄目だよ」と殊勝な言葉を吐いてしまった。
  さて、日が暮れかかったとはいえ外はまだ明るい。一番の繁華街であるニコレット通りを散歩してみようということになった。この辺はニコレット通りでも外れで、気のきいた商店はすくない。ところが、人の往来は結構あるのだが、商店はみな閉まっている。6時を過ぎたら食料品店とかレストラン以外は閉店してしまう。ウインドーにも鉄格子が入る。照明はついているので、鉄格子の間からウインドーを覗くしかない。女性の靴は45ドルくらい。1ドル360円の時代だから、1万6千円くらいになる。当時としては、ずいぶん高い靴だ。
  そのまま歩いて行くと、通りでバスを待っている学生風の女の子がいる。ダウンタウンからミンネソタ大学までバスがあるかどうか聞いてみた。彼女たちには判らないので、市の交通局に行って訊きなさいと言う。最も合理的な答えだが、外国人には交通局がどこにあるかも分からない。仕方がないので「サンキュー」と言って別れた。とたんに、外気が急激に下がって、風も強くなった。このままでは寒くて我慢し切れなくなって来たので、慌ててホテルに戻った。
  チャオの『宝物』は日本から何も持ってこなかった。ホテルのロビーにある売店で、チャオに黄色い小さなねずみのぬいぐるみを買った。チャオは『みみチャン』と命名し、片身はなさず持ち歩き、帰国の途中滞在したパリの街でも『みみチャン』を幼稚園のバックにいれて持ち歩いた。
  ホテルの1階のレストランに行って夕食をとることにしたが、食欲が無いので何にしようかと迷った。メニュを見たら『スパゲッティ・ミートボール』があったから、3人ともこれを頼んだ。食べられなくとも、一番安いからいい。ところが、『スパゲッティ・ミ―トボール』が来て驚いた。ミートソースの上にうずらの卵大のミートボールが6個くらいのっている。塩気が足りないが、これはこれでいい。その下のスパゲッティと来たら、日本のレストランで出すスパゲッティの3倍はあろうかというボリュームである。見た瞬間、「ワーオー」と唸ってしまった。ますます食欲が無くなってきた。何とか食べようとしたが、パスタは、アルデンテとはほど遠く、茹過ぎときている。結局、ミートボールが3個程度と、ふやけたパスタを5本程度を胃袋に押し込んで、後はフォークを置いてしまった。暫くして、白い髪飾りとエプロンをつけた、太目で背の低いウエイトレスのおばさんがやって来た。
「ありゃま、ぜんぜん食べてないのかね。不味かったかい」
不味いとも言えないから、こう切り抜けた。
「今日の夕方、日本から着いたばかりなので、疲れて食欲がなくってね」
しかし、アメリカのレストランの食事は量が多くて不味いと聞いていたが、その見本を初日に経験してしまったことになる。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。