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ミネアポリス空港

  ジュリーとは東中野に住んでいた時からのつきあいだ。話しは戻るが、1965年頃ジェーンとハリーという若い夫婦がイギリスからアフリカを廻って日本にやってきた。そして東中野の駅前にある小さな鉄筋アーパトの4階に住みついた。セラピストの資格をもつジェーンは板橋の擁護施設で働いていた。ハリーは四ッ谷の上智大学で近代日本史の講座をとっていた。
  そんなある日のこと、東中野でノッコに道を聞いてきたのがジェーンだった。それがきっかけで友達になった。チャオが生まれて間もなくだったから、1966年頃のことだったと思う。夜になると洗濯物を持って我々のアーパトにきて、よく洗濯機を使っていった。2年くらいして、横浜桟橋で別れを惜しんで、彼らがシベリア鉄道経由で帰国した後に、同じ部屋に住みついたのが、テキサスからきたジュリーとイギリス人のジェームスで、棲生活を送っていた。ジェームスの方は日本に残って、日本人の女性と結婚していた。ジュリーは我々の東中野のアパートに来ては、よくチャオとABCのブロックで遊んでくれた。
  サンフランシスに話しを戻そう。やっと出発の時間になって、ウェスタン航空の機内に落着いた。しかし、空港の呼び出しとはいえ、聞き取れなったのが悔やまれる。慣れとはおかしななもので、アメリカに約2年間弱(正確には1年と9ヶ月)いて、帰りは大西洋を渡ってフランスに行く途中にロンドンでトランジットをしていた。空港のロビーで同じようにぼんやりしていると、空港のアナウンスが聞こえてきた。呼び出しがあるとは全く予測していなかったので、ぼんやり聞いていたが、それでもアナウンスは問題なく聞き取れた。しかし、このサンフランシスコの経験は、自分の英語の弱点を思い知らされたようでショックだった。
  中華航空とは打って変わって、ウェスタン航空の機内は明るく、スチュワーデスが陽気なのは楽しい。乗客の笑い声や子供の騒ぐ声に混じって、スチュワーデスのリズミカルな話し声が聞こえてくる。彼女たちの笑顔とオープンで溌剌とした動き。いかにもアメリカの航空会社という感じだ。座席も快適だ。レッグ・スペースが売り物のウェスタン航空だから、どこの航空会社のツーリストクラスよりものびのびしていられる。乗客もみな明るくてフレンドリーだ。トイレに立った時、3〜4人の子供連の若いお父さんが話し掛けて来た。
「どちらから来たのですか」
「日本です。東京から」
「ミネソタに何しに行くのですか」
「ミネソタ大学に」
「ああ、大学ですか。講師かなにかで教えられるのですか」
「そうだといいんですがね。残念ながら、大学院の学生です」
少々照れくさかった。5才の子供を連れて、夫婦でやってきて、大学に行きますといえば、講師か少なくとも研究員と思うのが当たり前だろうが、そうは行かないのが何とも恥ずかしい限りであった。
  ミネアポリスには夕方の6時に着いた。空港はだだっ広く緑の平原という感じだ。飛行場の景色は千歳の空港に近いが、面積は桁外れに大きい。千歳では恵庭岳などの山が見えるが、ここミネソタでは周囲を見渡しても山陰はない。全く平らなのだ。但し、湖の数がすごく多くて、飛行機が離着陸する時など、幾つもの湖の上を越えて行く。千歳にも沼の端やウトナイト湖があるが、その数は比較にならない。空港のターミナルは、現在のものに比べると小さいが、それでも2つのコンコースをもつ立派な国際空港だった。
  9月の下旬だが、ここではまだ太陽が高い。空港で荷物を取って外へ出ようとしたら、黒ぶちのメガネをかけた小柄な中年男につかまった。『The Broker's Journal』という小さな出版社をしている男だが、「外国のことを記事にするから、何かあったら連絡して下さい」と言って名刺をくれた。こっちはそれどころではない。今日のホテルにどうやって辿り着けばいいのか思案の最中であった。この男が続けて言う。
「今日はどこに泊まりますか」
「ミネアポリスのホリデーインです」
「それなら、外に出てリムジンを捜しなさい。1人1ドルくらいで、ホテルまで連れていってくれるから」
言われるままに、外へ出ると、人影が殆ど無い空港に、警備員らしい男が立っている。
「リムジンはどこですか」と訪ねると、道路端に停まっているヴァン・タイプの小型車を指差して急かせる。
「あれだよ、速くしないと行ってしまう」
空港リムジンは大型バスとばかり思っていたから、こんなちっぽけなヴァンとは信じられなかった。我々以外に客は1人。我々3人で3ドル払って街まで乗せてもらう。どうやってミネアポリスのダウンタウンまで行ったのか記憶は定かでない。ただ、道路沿にポツンポツンと建つている白い小さな家が印象に残っている。街に入ると赤レンガの裏町風の建物が古臭い姿で次々と現れる。東京から来ると、街に活気が無く落ちぶれた感じがするし、何か不気味でさえあった。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。