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サンフランシスコ空港

  サンフランシスコに着いたのは翌朝の10時過ぎだった。最初に足を踏み入れた外国の都市がサンフランシスコであったのは幸いであった。入国手続の場所にはたくさんのアジア系のおばさん達がいて、日本語で話してくる人もいる。何となく気分が落着くのである。ビザが留学生の資格になっているので(チャオはノッコと一緒のパスポートであった)、小部屋に呼ばれて、持参の胸部レントゲン写真を見せなければならい。その他種々の手続きを済ませ、空港のロビーに出た。
  ウェスタン航空のミネソタ行きは出発が午後3時だから、3時間以上この空港ロビーで待たなければならい。当時のサンフランシスコ空港のロビーは鉄の骨組とガラスでできていて、自然光に溢れたクラシックな建物で私は大好きだったが、今では、こんな空港はどこに行ってももうない。ヨーロッパの鉄道の駅が鉄骨とガラスのデザインのものが多いが、丁度そんな感じで、天井が高く、広い空間を形づくっていた。ロビーの真ん中に真っ赤な鳥居が飾ってあって、東洋の玄関口を象徴しているのだろうが、少々場違いな感じが否めない。時間が早いために、ガランとして人気のないロビーの中でポツンと我々だけ飛行機を待っている。外は薄曇りで、柔らかな光の太陽が時々顔を覗かせている。睡眠不足と緊張と不安とで集中力が失われている。月曜日の夕方に東京を発って、ここは未だ月曜日で、しかも昼の時間というのは不思議な感覚である。月曜日が2日続けて来た感じだ。
  そんな時に、チャオがトイレに行きたいと言い出した。
「チャオがトイレに行きたいって」
ノッコが言う。
「トイレか、トイレなら向こうにあったよ」
私が背後を指した。
「連れていってあげなさいよ。何かあっても、英語が喋れるだろう」
しぶしぶ立ち去ったノッコが、暫くして、チャオを連れて小走りで戻って来た。
「お金、お金、硬貨がいるのよ、トイレにお金が要るなんて」
「そうか、ドルを渡してなかったね」
ポケットを探り、小銭を渡した。アメリカではトイレにもお金がいるのかと考えていると、ノッコがニコニコしながら戻って来た。
「よく見たら、無料のトイレがあったから、これ返すわ」
小銭を突き出した。
「アメリカに来たのだから、もっとお金を渡さなきゃならないし、小銭はとっておきなさいよ。ところで、時間はあるし、退屈だから、ぼくもトイレにでも行ってみよう」
私は立ち上がった。米国では公共施設に有料トイレが多い。空港とか、駅とか、バスターミナルなどだ。それに、男性トイレに女性の掃除婦が掃除することは無い。日本では当たり前だが、アメリカ人はみな驚く。
  それに男性用トイレがすごく大きいのだ。アメリカ人は身体も大きいが、トイレも大きい。天井が高く、ゆったりしているし、清潔だが、便器が異常に高い。私みたいに背の低いものには大変だ。背伸びしなければ用が済ませない。
  再び、ロビーで休んでいると、突然、アナウンスが聞こえた。瞬時に判ったのは、「ミスター、テレフォン、カウンターに来い、ウェスタン・エアライン」の4つだけ。後は理解不能。「ミスター・・・・」が最初に聞こえたから、懸命に聞き逃さないと思いながら、聞けたのはこのあり様であった。とにかく、カウンターに行ってみる。女性の係員が指差して、目の前のテレフォン・ボックスに行けと言う。ガラスの窓越しに、外の景色が見える。サンフランシスコまで電話をよこす者などいない筈だ。睡眠不足の朦朧とした頭でそう思いながら受話器をとった。聞こえて来たのはジュリーの声だった。ジュリーがサンフランシスコで働いていたので、もし可能なら、空港まで会いに来てくれと出発前に手紙を出しておいた。空港に着いた時は時差ぼけと疲れでジュリーのことはすっかり忘れていた。受話器の向こうから、甲高く語尾が微妙に上がる懐かしいジュリーの声が聞こえた。
「申し訳ないが月曜日なので、仕事があり空港には行けないの。日曜日だったら飛んで行ったのに。チャオは元気? ノッコには宜しく伝えてね」
そう言って電話が切れた。


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”遠い夏に想いを”- Click here(ヴィオさんの旅行ブログ) も一読ください。
ミネソタ大学留学のあと、パリ大学の夏期講座に妻が受講するためパリへ飛び、3ヶ月滞在したときの思い出を探してのブログ手記です。