「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」

 福沢諭吉先生の著書「学問のすすめ」(1872)の冒頭にある有名な言葉である。Wayland のMoral Scienceを種本としながらよく消化し平易な文章で分かりやすく論じ、当時の日本人を大いに啓蒙した。この先生の言葉の真意はどこにあったのであろうか。

 

」という文字は、天の字の上の「一」が人のもっとも上にある大きな頭を示し、これを借りて人間界の上にあるものを意味している。あるいは、「一」は人の頭上を覆い常に頭を挙げて仰ぎ見る所であることから、大空を表すという。 古代人は人間界の上に万物を支配する神(帝)がいると信じたので、天はまた造物主の意となり、その宗教心がうすれると、「大空」と「めぐりあわせ」とを意味することになった。また、人為に対する「なりゆき」の意にも用いられる(角川 漢和中辞典)。

 

 「天」は人間を超越した絶対者として考えられてきた。

 天帝とは天を支配する神であり、造物主である。中国古代の人たちは天を尊敬して天の支配者を帝といい、万物は天帝が創造したものと考えた。仏教の帝釈天も天帝のことである。また、天道とは、自然の道理、天帝、天を意味し、「天」と同じ意である。

 「天下」とは宇宙の下、すなわち世界とほとんど同義語であり國や国家よりも範囲が広く、包括性が高い概念である。

 天子とは天帝の子の意で、天帝の意志すなわち天命を受けた一国の王たるものを意味し、皇帝、天皇、天王は同義語である。さらに皇帝は単に一国の皇帝ではなく宇宙の皇帝でもある。

 そもそも「中国」「中華」とは国家ではなく、世界の中心であって天下を意味する言葉である。中国を支配する天子とは、天に代わって万民を統率し諸国に君臨する者のことである。天子は周辺諸国をすべて自分の足下に仕える朝貢国と見なし、天下の秩序を保った。周辺諸国のみならず遠く西欧からやってきた者たちをも、我が身に仕えるべき諸侯と見なしたのは、中国の天子として当然の考えであった。

 帝、皇は天子の意であるのに対し、王は単に一国の君主を意味し帝や皇とは異なる。そして大王は偉大なる王の意であり、王の中の王すなわち王達を支配する王の意ではない。

 シナの歴代王朝では唐の高宗が天皇と称したほかは、秦以後の天子は皆皇帝と称した。日本では天王と称していたが随との国交が始まった時、聖徳太子が随に対して対等外交をしようとして随の皇帝に対抗する称号として、それまでの「天王」の「王」を「皇」に換え「天皇」に改称した。

 

 論語のなかには「天」がしばしば現れる。

 四十にして惑わず、五十にして天命を知り。六十にして耳順う。(為政篇 三一)

 天命とは人間能力を超えたままならない運命の力であり、五十歳ではじめてそれを自覚し、耳順へと続いていく。

 王孫か問うて日く。其の奥に媚びんよりは、むしろ竈に媚びよとは、何と謂うことぞ。子の曰く、然らず。罪を天に獲れば、祷る所なし。(八いつ篇 七六〜七七)

 衛の国の家老王孫かが、自分の権力のあるを示さんとて、君公のお側の高き人々に頼むよりも、家老の拙者に頼めと謎をかけた。孔子は「いや左様ではない。罪を神から与えられた時には、お免しを願う所がなくなる。やはり我が輩は正しき道を守る」と答えている。天はごまかすことのできないものであり、孔子にとってその道徳的行為の監視者であった。

 「子の曰く、我を知るなきか。天を怨みず、人を尤めず。下学して上達す。我を知るものは、其れ天か。」(憲問篇 五七五)

 論語の中にみる天とは、人間の意志にかかわりなく非情な働きをとげる、時として人間の働きを阻止するものでもある。孔子にとっての天は、そうした偶然性としての天の性格の一面をわきまえながら、逆境のばあいにもそれを怨みに思わず、なお天の必然的な秩序を信頼しつづけるべき有意的な人格神としての主宰者である。

 天、徳を予れに生せり。桓たいそれ予れを如何。(述而篇 二二六)

 そしてまた、天が徳をこのわが身にさずけられた、桓たいごときがどうしようもあるまいといって、孔子の道徳活動を支持する力強い根源者として、天を自覚している。

 宗教を精神的根源とする民族は多いが、日本人の精神的根源として何があるのであろうか。宗教に排他性は付き物であるが、排他性にこだわらない「いわゆる日本教信者」が日本人には多い。このことから日本人は無宗教者であると言われているが、日常生活の中に受け継がれる様々の習慣も日本教的思考に基づくものといってよいものがある。キリスト教徒は食事の前に神への感謝の言葉を述べる。日本人は「天」に対する感謝の気持ちをこめて「頂きます」と挨拶してから食事を始める。一神教の「神」と「天」とを同一とは考えていないが、社会生活の規範あるいは守るべき道徳は厳然と受け継がれてきた。それは孔子の教え「儒教」の影響によることも大きいであろう。天の声は天地自然の理であり、「天声」は耳で聞くものではなく、心で聴く事の出来るものである。しかし最近の世相をみるにつけ、社会秩序の崩壊の進行に不安は増すばかりである。

 宗教教典にみる戒律も社会道徳も、基本的になんら異なる所はない。仏教では

 1 殺生をしない

 2 盗みをしない

 3 淫らなことをしない

 4 嘘をつかない

 5 酒などを飲まない    

の五箇条の戒律がある。これが五戒である。これらの「戒」はブッダが在家の仏教徒に対して戒めたものであるが、個人的であり自律的なものであるので、これを犯したからといって仏の処罰をうけるわけではない。しかし、仏教徒ならば当然守るべきものであると同時に、仏教徒でなくても社会秩序の維持のための基本的道徳律でもある。

 確固たる信念に基づいた信仰者は神を畏れ、仏を畏れ、その教えを犯す事を恐れる。いつの世でも健全なる社会人は社会秩序を乱す事を恐れる。そして悪徳施政者は社会秩序を乱すという理由で庶民を迫害する。しかし、基本的社会道徳律は施政者の善悪に関わらずいつの世でも維持されるべきものである。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。されど人の世は賢き人あり、おろかな人あり、貧しき人あり、富めるもあり。人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。・・・天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与るものなりと。・・ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧乏となり下人となるなり。・・・独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず。独立とは自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う。(中略)人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引き受くる者はなかるべし。・・・この国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆(しっかい)何も知らざる客分なり。既に客分とあれば固より心配も少なく、ただ主人にのみ依りすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を憂うることも主人の如くならざるは必然、実に水くさき有様なり。・・・独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐れる者は必ずひとにへつらうものなり。」

 

 福沢諭吉先生は、自分たちの主人は自分だとする近代国家の国民の有様を目指して、主体的に国政に地方自治に参加する人の増えることを切望していたのではないか。「天は人の上に人を作らず」とは基本的人権に差別はないが、人は努力なしにはその権利も十分に獲得できないことを教える言葉として理解できる。明治からすでに100年余、国から何かしてもらう受益と依存体質の国民が多い昨今、日本国民の多くは「主権者」であるよりも「お客様」でいたいのだろうか。さらに自国の軍備を放棄し自国の守りを外国の軍隊に頼り、さらに如何なる外国からの侵略もあり得ないと盲信している日本国民は、何も知らず国を憂うこともなく自らの責任を引き受ける気もない、ただ主人に依りすがる「客分」にすぎない。福沢諭吉先生が啓蒙しようとした明治の国民よりも、平成の日本人はさらに無責任な客分に成り下がってしまった。

 現在の日本の世相をどのように考えればよいのであろうか。いつの世にも天を畏れぬ無法者はいる。しかし「お天道様に申し訳ない」という心が日本人から薄れてしまった結果だろうか。そして独立の心はどこへ行ってしまったのだろうか。

「人の振りみて我が振り直せ」、あるいは「ひとは他人、我はわれ」と考えているだけでよいのだろうか。・・・                             January  1998