学んで思わざれば、則ち暗し。

 手術患者の術前検査は患者管理の為に必要であり、術前術中術後を通して主治医が患者の状態を把握し、判断評価する為に欠くことのできないものである。この事は医学常識であり、ことさら取り上げるほどのことではない。しかし、若い主治医のなかには、この術前検査は患者管理のためにではなく麻酔を実施するために必要なものであると考えている者もいる。そのため麻酔科への手術申し込みに際して何かとトラブルの元になることがある。
 今から40年前全身麻酔がようやく臨床に普及し始めた頃、術前検査の目的を正しく理解していない者が多く、麻酔科が啓蒙の為の努力を続けていた。現在でもこのような者が時折見受けられる。これも、若い医師の患者全身管理のための知識不足と経験不足の結果であろう。
 歯科大学においても患者管理について認識の不足している者が目につき、学生時代そして卒後教育によって身に付けたはずの患者管理医学はどこへいってしまったのだろうかと、嘆かざるをえ得ない。若い研修医たちが、短期間ではあるが麻酔の臨床研修にやってくる。そして、どうやら気管内挿管をマスターし、術中の麻酔管理もできるようになる。しかし、生体管理医学としての麻酔科学を理解できていなければ、麻酔科研修は無意味なものになる。研修によって得た「学」を復習し検討し、よく「思」するべきである。

 学んで思わざれば、則ちくらく(暗)。思うて学ばざれば、則ち殆(あやう)し。(論語 為政 第二  四五)
 学問をしても、十分に考えてみないと、解っているようでも、まだ解らなくて、実際に行う時には、暗い心地がする。又考えるだけで、学問をしなければ、道理が解らないから、何事にも危ういような心地がする。(手帖論語より)
 「学んで」すなわち外からの習得だけにつとめて自分でよく考えることをしなければ、ものごとははっきりせず、反対に「思うて」自分で思索するだけで外からの知識の習得に努めなければ、勝手な独断におちいって危険だという。「学」と「思」とが車の両輪のように併行することが必要だというのである。

 学習は自分の知識をひろめるために必要なことである。そして思索はその知識を選択して統一づけるために必要である。「学」は本来外からの知識の吸収を意味し、技術の習得だけが目的であればそれで事足りる。しかし「学」と並んで「思」がなければ医学の習得は不可能である。
 術前検査を実施し検査結果が得られても、そのデータを検討し必要な処置を講じなければ、いったい何の為の検査であったのか。検査データの評価と患者の病態を考慮し手術、麻酔の適応を決定するのは、主治医である術者の判断によるべきものである。麻酔医は、主治医の要望に答えるため最善の協力をする立場にある。
 手先の技術のみに興味をもっても、「学」と「思」に努めなければ医学は成り立ちえない。医学は「 Art and Science 」であり,科学は「学」と「思」によって成り立っている。

November   1997