新二千円札と守礼門

 

 新二千円札の図案がわが国の尊厳を踏みにじるものであると、八幡和郎氏が産経新聞「アピール」の欄で指摘された。共通の歴史認識を持つことを日本国民に強要する中国にとってまことに都合の良い話ではある。しかし近現代史に対する正しい認識に欠ける多くの日本人に正しい歴史認識をもつことの重要性を教える指摘であり、ここにそのご意見を紹介したい。

 さらに、「守礼門」は一国の紙幣のデザインとしてふさわしいかという問題にたくさんの意見が産経抄士に寄せられた。その中に、「国家のプライドも尊厳も失っている今の日本に、守礼門をあげつらう資格があるのだろうか」との指摘があったことも、お伝えしたい。                     AD 2000を迎えるにあたって

 

                                               産経新聞(平成11年11月3日)アピール欄より

                                                評論家・元通産省課長  八幡和郎 48 (滋賀県守山市)

 新しく発行される二千円札に首里城守礼門が採用されたことにいささか驚いている。果たして、これを決めた人たちは「守礼之邦」という扁額の銘が何を意味しているか理解しているのだろうか。

 この言葉は「中国の皇帝に礼を尽くして従属する」ということなのである。そういうものが、一国の紙幣に堂々と登場するというのは、歴史と外交に対する無知をさらけだすことであり、国家の尊厳を踏みにじるものであろう。

 守礼門のルーツは、天正七年(一五七九)のことで、ちょうど、本土では安土城の天守閣が完成した年である。この年、琉球王尚永のもとへ、明の皇帝が遣わした冊封使が来琉し、「琉球はよく進貢のつとめを果たしており『守礼之邦』と称するにたる」という神宗(万歴帝)からの勅諭を伝えた。これを喜んで尚永王は「守礼之邦」という扁額をつくらせ城門に揚げさせたのである。

 最初のころは、この扁額は冊封使の滞琉中のみに揚げられ、平時には「首里」の扁額がかけられていたのだが、尚質王の一六六三年以降は常時揚げられるようになった。

 私自身、沖縄に在勤した経験もあり、これを第二の故郷として愛する者であるから、沖縄の風物が紙幣に採用される事は心から喜びたいが、よりによってどうして「守礼門」なのであろうか。

 琉球と中国と日本の関係はそう単純なものではない。琉球が中国と冊封関係にあったのは、海洋国家である琉球が中国と貿易をしようとしても、このような形式でなければ中国は受け入れてくれなかったという事情もある。すでに室町時代から琉球を自領だと主張する島津氏との関係もまた微妙なもので、大国のはざまで小国が生きていく上での智恵の発露であったが、日本国の紙幣のデザインにふさわしいかは別問題である。

 いまさら、発表した図柄を変更するというのはつらいだろうが、これを改めなければ、それこそ、逆説的な意味で「千年紀」にふさわしい歴史に記憶される大失態となるのではないか。

 歴史を歪曲するような珍解釈でその場をしのぐようなことのないことを祈りたい。                                  

 

                          産経新聞「産経抄」 平成11年11月11日

 六日付小欄、新二千円札「守礼門」は一国の紙幣のデザインとしてふさわしいかという問題に、たくさんの方からご意見やご教示をいただいた。八幡氏の問題提起に対し、おおむね賛同する方が多かったが・・・

 つくば市の風土工学研究所長・竹林征三氏は、新しい紙幣の図柄は「万国津梁の鐘」がふさわしいのではないかと提言している。この鐘は旧首里城正殿の銅鐘(国指定重要文化財)で、高さ約一・五b、口径九四a、重さ六百キロ。その姿の美しさもさることながら、銘文に意義がある。その鐘銘は、明国をはじめ東南アジア諸国とさかんに往来し交流した時代を背景に、勇壮かつ気概をもった琉球王国像を記しているという。いまは那覇市首里の博物館の玄関入り口に陳列されているそうだ。

 一方、豊中市の垣花恵禎氏は「琉球の宮古島で生まれ育った老人です」という。「八幡氏のご主張に異論があるというのではありませんが、守礼門と首里城は一体のものであり、決して別々ではありません。従って守礼門でいけないのなら、正殿でもだめなのです」

 続けて次のように書いてこられた。「当時の琉球は独立国とは名目だけで、実体は明の支配下にある属国に過ぎぬ弱小国でした。しかし何もすきこのんでそのような立場を望んだのではない。それより何より、いまの日本に往時の琉球をあげつらう資格があるでしょうか」

 さらに「中国や朝鮮に対してただ平身低頭し、ひたすらご機嫌とりに汲々とする。そのお許しがないと総理大臣も靖国神社へ参拝すらできないという国の、どこに国家のプライドや尊厳があるというのでしょう」。垣花さんのお手紙にうなったのである。