オンデイーヌの呪い  Ondine’s curse

 

 ドイツの伝説に「オンデイーヌの呪い」がある。

 水の妖精オンデイーヌは人間の騎士ハンスに恋いをしたが、ハンスに裏切られたオンデイーヌは妖精の掟に従い彼から全ての自律性機能を奪ってしまった。

 ハンスは呼吸するにも、手足を動かすのと同様に自分の意志で命令しなければならなくなった。眠れば呼吸はできなくなるから眠ることもできず、ついには疲れ果てて眠り込んでしまった。そのためハンスは死亡してしまった。

 この伝説を題材にフランスのJean Giraudoux は戯曲「Ondine」を書いた。日本でも劇団四季が Ondine を公演したことで知る人には知られている。

 1962年 Siveringhaus (米)は上頚髄、脳幹病変の手術後に睡眠時の無呼吸出現の3例を報告した。これは延髄のCO2 chemoreceptor の障害によるものでドイツの伝説に因んでOndine’s curse と命名した。

 麻酔の臨床では呼吸の管理がもっとも重要な仕事の一つである。患者の呼吸管理では気道の管理とともに自発呼吸、呼吸抑制、呼吸停止すなわち無呼吸と、その状況に応じた適切な処置が要求される。心肺蘇生法のABCでも、まず気道の確保が第一でこの処置で気道の閉塞が解除され自発呼吸があれば一件落着である。つまりこの場合は無呼吸ではなく気道狭窄あるいは閉塞である。気道を解放しても呼吸運動がなければ呼吸停止つまり無呼吸であるから蘇生法のB 人工呼吸が必要になる。

 睡眠すると鼾をかき、ときには喉がつまってしばらく息が止まり、しばらくすると大きな呼吸で息を吹き返す人がいる。深酒をしたときや、とくに太った人ではよく見られる。

 睡眠時に長い時間呼吸ができなくなると低酸素のために障害が起こる。この呼吸障害は上気道すなわち咽喉頭部狭窄のための窒息が原因であり、呼吸運動が停止したのではない。この呼吸障害を「睡眠時無呼吸症候群」と名づけているが、むしろ「睡眠時気道閉塞症候群」あるいは「睡眠時呼吸異常」と呼ぶほうが理解しやすいのではなかろうか。

 1976年 Guilleminault Cは 「sleep apnea syndromeとは7時間の夜間睡眠中REM、non-REM 期に30回以上の無呼吸発作を認めるもの」と定義し(The sleep apnea syndromes:Ann Rev Med 1976、27、465〜484)、そして閉塞型は「横隔膜運動が持続しながら換気が停止」としている。つまり閉塞型では呼吸運動は停止していないことを認めているのである。

 呼吸生理学入門(H. A.Braun ら、太田保世訳 MEDSi)には「睡眠無呼吸症候群sleep apnea syndrome の患者では、通常は肥満体であるが、睡眠中に周期的に呼吸運動が停止する。周期的な無呼吸の機序としては、上気道の筋肉のトーヌスが周期的に失われることによる喉頭部閉塞(airway obstruction)と、呼吸中枢の機能異常が含まれている。低O2症、肺高血圧症、右心不全(肺性心)がおきうる」と記載されている。また医学大事典(南山堂)では「睡眠中に10秒以上の換気停止のある場合を睡眠時無呼吸というが、これのみでは無呼吸症候群とはいえない。夜間睡眠中反復する無呼吸がREM期のみならず必ずNREM期にも認められる場合で、その病型としては中枢性無呼吸、閉塞型(上気道型)無呼吸、混合型無呼吸に分けられる。本症候群は閉塞型が多く中枢型は少ない。」と記載されている。

 麻酔の研修ハンドブック(小栗顕二編、金芳堂)では「apnea 無呼吸は、通常呼気と吸気の中間位で呼吸がとまる。呼吸が自然に回復しなければ呼吸停止 respiratory arrestと定義される。sleep apnea syndrome には閉塞性睡眠時無呼吸があり、肥満成人男子には一般的。10〜120秒の上気道閉塞が起こり得て、いびきは5フィートの近くで80デシベルにも達しうる」とし、apnea になっても「いびき」すなわち換気が存在していると記載している。つまりapnea(無呼吸)とairway obstruction (気道閉塞)による換気困難・停止・不能とを「apnea・無呼吸」という同じ範疇に含め区別していない。

 臨床的に無呼吸・apnea とは、中枢性あるいは末梢性の原因によって肺での換気運動が停止してしまった病態であり、気道閉塞 airway obstructionは換気運動・呼吸運動はあるが上気道が閉塞して換気不能になった状態、と理解できる。

 したがって、無呼吸症候群の一般的治療の主なものは1肥満を解消 2過労を避ける 3外科的に鼻づまり、咽頭狭窄を治療 4歯科装具 5鼻マスクによる陽圧呼吸法 など、すべて上気道狭窄対策である。つまり呼吸運動は停止していないのである。

 文献によってapnea の定義をしらべてみると、apnea;  a  neg + Gr. pnoia  breathとある。pnoiaつまりpneum は1 air, gas  2  lung  3  respiration である。さらにrespiration 呼吸は、Dorland’s Medical Dictionary によると「大気と体細胞間における酸素と炭酸ガスの交換。この過程には、換気(吸気と呼気)、肺胞から血液へ酸素の拡散、血液から肺胞への炭酸ガスの拡散、体細胞への酸素運搬と細胞からの炭酸ガスの運搬が含まれる」とある。したがってventilation・換気は呼吸生理において「肺と外気との間の空気交換の過程」であるから、短時間の換気停止では呼吸の停止、つまり肺胞ー血液ー体細胞間のガス交換は停止していない。換気停止状態が持続すると、まもなくガス交換の停止、低酸素症から呼吸中枢の機能不全、すなわち不可逆的呼吸停止 apnea ・respiratory arrestとなる。

 吸入全身麻酔では上気道の筋肉のトーヌスが低下して上気道の閉塞を起こしマスクと下顎の保持に努力することは、よく経験することである。上気道の狭窄や閉塞を起こすと呼吸雑音、努力性呼吸、吸気時に胸骨上窩、鎖骨上窩の陥凹ときにtracheal tug がみられる。この呼吸障害をapnea と呼ぶことはない。また、いわゆるprolonged apneaは遷延性無呼吸、つまり筋弛緩薬の効果が遷延して起こる無呼吸である。従って睡眠によって中枢性に筋肉のトーヌスが低下したための気道狭窄が起こっても、換気が存在し大きな「いびき」をかいている閉塞型・airway obstruction を無呼吸症候群sleep apnea syndrome に含めるのでは釈然としないものがある。つまり呼吸と換気とを区別し、換気は呼吸生理機能を構成する一因子と認識されるべきである。

 1962年、Siveringhaus がOndine’s curseを報告したようにオンデイーヌの呪いはCO2 chemoreceptor の機能障害によるsleep apnea syndrome である。呼吸中枢の機能障害、つまりCO2 chemoreceptorの機能障害を伴わない咽喉頭部の気道狭窄や閉塞による閉塞型無呼吸はそれとは区別して単に呼吸障害あるいは換気障害 sleep respiratory or airway disturbance、睡眠関連呼吸障害 sleep-related breathing disorder(Tateishiら1994)とすれば、換気障害の発生機序の説明がすっきりするのではなかろうか、と考える。

December 1998