参考書の読み方と新聞記事

 

 「習わざるを伝えしか。曾子日、吾日三省吾身。」

 指導する立場にある者は、自分が十分に習熟したうえで学生や若い教室員を指導するのは当然である。しかし、時には不十分な経験と知識の結果、自信なく曖昧にその場をごまかすように指導することがある。そしてそのままその事を忘れ再調査することもなく、無責任に済ましている事はないだろうか。

 自分が十分に習熟できていないことを生かじりの知識、不確かな情報をもとに結論めいたことを断言する。しかもそれが誤りであることが明らかになると「本に書いてあった」と責任を、たった一冊の本に転嫁するなど、つじつま合わせのために無茶苦茶な理屈をこねまわす。厳に戒めるべきことであり、人に教える立場にある者にとって片時も忘れてはならないことである。

 平成12311日付産経新聞の「異見自在」欄に[日教組の作為戦後ではなかった戦後民主教育高山正之編集委員]が掲載された。

 この「異見自在」の主張は、一冊の参考書を読みそれが真実であると単純に思いこんだうえ、他の資料によって確認もせずに誤りをそのまま作為的に得々として語る、あるいは誤って理解した自分の責任を読んだ本の著者に転嫁する「一冊のみの参考書読み」にも通じるものがあるので、諸兄の参考に供する。

 このコラムの内容も無条件に信じる事のないように。

 学校の教材に使われることを売りにしている、ある新聞の自慢のコラムが回りくどい言い方で、誤った記述をしたと書いていた。第一次大戦が終わったあと、「日本人はサカナの缶詰に石ころを入れて平気で輸出していた」。これが実はうそでした、と。

 で、「日本人を侮辱してごめんなさい」と続くのかと思ったら、「歴史書の一部に事実めいて記されて」いて困ったもんだ、で終わってしまった。

 こういうけじめのなさが果たして教材にふさわしいかどうかはともかく、この新聞、仮にA新聞とすると、日本、あるいは日本人を貶(おとし)めるのが妙に好きなのだ。そればかりでなく日本人をクサスのに急で、このコラムのようにときに作為のうそが混じる。

 例えば、沖縄の珊瑚に「AT」とかの彫り込みがあった。その写真を揚げて「最近の日本人は」と、その公徳心のなさを口を極めてたたく。ところがよく調べてみたら、何のことはない。A紙の自作自演だった。

 「これが中国戦線での毒ガス作戦だ」風な写真を堂々一面で報じたこともある。・・・日本の歴史をけなすことでは第一人者の藤原彰・元一橋大学教授もうれしそうにコメントをつけていたが、ただせっかくの悪魔の毒ガスがモクモクと天に昇っていくのでは、ちょっとヘンな気もする。その辺を本紙が「煙幕じゃないの?」と指摘した。そうしたらA紙の部長が怒鳴り込んできて「ウチに楯突くとはいい度胸じゃないか」とか、脅しを並べ立てたが・・・A紙は訂正を出したが、「場所が違っていた」という的外れな内容で、ご免なさいでもなかった。・・・・・・   

 A紙二月二十四日付に「敗戦まで日の丸と君が代は軍国主義教育に使われ、物言えぬ時代」を生んだ。「その反省が戦後民主主義教育の出発点になったはずだが」・・・これはうそである。

 日本の軍国主義を徹底的に排したことになっているマッカーサーは昭和二十六年帰国するが、米国大使館に近い学校の児童、生徒は彼の見送りに駆り出されて小旗を振った。小旗は日の丸だった。

 経済白書が「もはや戦後ではない」と書いた昭和三十年代を通して、だから日本の街にも学校にも日の丸や君が代はごくあたりまえに存在していた。

 ・・・戦前「ペンをもって皇国の御盾にならん」と意気揚々、書いていた家永三郎が妙な裁判を起こしたのもこのころである。戦後民主主義教育とは、正確には、戦後二十年たってから日教組が始めたものである。彼らはついでにそれがあたかも戦後、すぐに「軍国主義の反省」から生まれたことにしてきた。でも、うそは長続きしない。その虚構が今やっと崩れ出したにすぎないのだ。

 そういうことはこの記事を書いた記者はともかく、A紙の五十代編集幹部だって知っているはずである。うそを承知で載せるのはもうやめてほしい。          

 [222日付A紙:・・インチキ品として送り返され、日本製鉛筆の悪評はヨーロッパ中に広がった。同じような例は、たしかに缶詰にもあった。缶詰の中身の魚などの代わりに石ころを入れ、ごまかそうとしたのである。当然の事ながら露見した。・・・ 36日付A紙:「たしか」と記憶に頼ったのがいけなかった。日本缶詰協会から資料を添えて「そのような事実はなかった」と指摘があった。そちらが正確だ。訂正します。・・・本欄の「たしか」の根源も、かつて読んだ「一部の本」だったと思う。 (不確かで誤った根拠を元に書いた記事内容の誤りの責任については「一部の本の責任」に転嫁し、筆者自身には責任がないとし、謝罪する気配さえも見えない。)] 

March    2000