屁理屈と閉鎖式循環麻酔

 

 現在我々は吸入麻酔に循環式吸入麻酔器を使用している。この麻酔器が開発されたのはいつ頃か。

 1858 John Snow, 1880 MacEwen , 1901 Fritz Kuhnらが気管内挿管を試みていた。1926年初めて循環式あるいは tow phase system Brian Sword により考案された。1920Magillは気管内麻酔法、さらに1928年自らの臨床経験から盲目的経鼻挿管について発表、気管内麻酔はその後の麻酔器具の開発とともに現在の臨床へと至っている。

 1926 Draeger によってclosed circuit が市販され、1931 Primroseは苛性ソーダ溶液を備えた麻酔器を発表した。これらは初期のいわゆる「閉鎖式循環吸入麻酔器」であり、これによってサイクロプロペインを閉鎖式間欠投与で用いることができるようになった。

 第45回日本麻酔学会(鹿児島市)の教育講演、ワークショップのために招聘されたDr. Lin(林 重遠 University of Chicago)「閉鎖式循環麻酔」の講演を興味深く拝聴させていただいた。

 ワークショップの会場から「低流量にして回路への供給量と患者体内への取り込み量が等しくなれば完全閉鎖といえる。回路からのリークを完全に防ぐことができないDr. Lin のいう閉鎖式循環とは、低流量半閉鎖式である。呼吸回路が完全に大気と閉鎖されていなければ、つまり少しでも回路にリークがあれば完全閉鎖式ではない。Dr. Lin のいう閉鎖式は、あえていえば機能的閉鎖とでもいうべきものである。」との発言があった。「現在使われている全ての循環式麻酔器は、呼吸回路からのリークが0ではないから閉鎖式循環麻酔器ではなく、半閉鎖式である」という主旨である。発言者はいったい何を考えているのだろうか。そもそも半閉鎖式とは回路のリークの有無で定義したものではなく、余剰ガスを回路外へ捨てる麻酔法をいうのである。呼吸回路からのリークガスは余剰ガスではない。少量のリークがあっても余剰ガスのない循環式麻酔は閉鎖式である。

 吸入麻酔中のガスは麻酔器呼吸回路の接続部分からの漏れ、ゴム製品への吸着拡散、患者皮膚からの拡散があるうえ、現在では術中モニタによるガスサンプリングのために呼吸回路外へ麻酔ガスが取り出されているから、麻酔器の呼吸回路を閉鎖・半閉鎖と区別してもまったく意味はない。Dr. Lin は笑って答えず。当然の返答である。会場からの発言は、まさに屁理屈の典型である。そもそもエーテル麻酔の時代には循環式吸入麻酔は閉鎖式で行われていた(半閉鎖にする必要がない)。しかし笑気麻酔、とくに歯科領域で盛んに行われていた笑気麻酔では閉鎖式は使えずMagill attachment を備えたマスクを使用し、非再呼吸法あるいは半閉鎖式循環でなければ麻酔の維持が不可能であった。(その理由については考えて頂きたい)

 麻酔科学についての認識不足からの発言にしろ、屁理屈も理屈のうち、屁理屈には屁理屈で答えるべきという考えもあろうが、笑って答えないのが最も妥当な答であろう。「1ml でもガス漏れがあれば半閉鎖式である」というならば、現実にはどんな麻酔器を製作すれば良いのか。リークが全くない麻酔器が臨床で本当に必要なのだろうか。そのような麻酔器は現実には存在しないし、必要もない。現在、なぜ半閉鎖式で吸入麻酔が維持されているのか、その理由もよく理解せずに、回路からの少量のリークを取り上げて閉鎖・半閉鎖を論じることは全く無意味である。そこで昔の臨床事情を省りかえってみたい。

 エーテルを主体にする吸入麻酔と静脈麻酔を主体にしたbalanced anesthesia が盛んに行われていたころの話である。

 麻酔科学を学ぶための基本はエーテル麻酔、とくにエーテル開放点滴法を経験することであるというのが、この頃の一般的考えであった。また、エーテルの気管内麻酔では麻酔が一定の深度に達したあとは、pop off valve を閉めて完全閉鎖式で麻酔を維持する方法が一般的であった。エーテルよりも引火爆発の危険性の高いサイクロプロペインは間欠的に呼吸回路内に投与し完全閉鎖式で行っていた。しかし当時、呼吸回路からのごくごく少量のリークを気にしたことはなく、この方法を低流量半閉鎖式などと考えたこともなかった。おそらくほとんどの人が閉鎖式循環とよぶことに、異議はないのではないか。

 現在の吸入麻酔法では、総流量46リットルのガス供給で維持するのはなぜなのだろう。かつて普及していた約70%の笑気を用いるbalanced anesthesiaでは吸気中酸素笑気濃度を一定に保つためには非再呼吸法であれば簡単であるが、ガスモニタなしに低流量で維持するには煩雑な操作が必要になり、未熟な初心者には危険であった。とはいっても非再呼吸法ではあまりにも弊害が大きい。そこで妥協の産物として酸素1.52リットル、笑気3.54リットルの持続投与法で吸気中ガス濃度を供給ガス濃度70%に近似させる必要があった。エーテルに約50%の笑気を併用するGOE麻酔でも46リットルを用いなければならなかったのは、同じ理由からである。従って半閉鎖にして余剰ガスを回路外へ捨てなければ麻酔維持は不可能である。

 その後ハロタン、エンフルラン、そしてイソフルランに至るまで笑気を併用することから46リットルの流量が踏襲されてきた。現在若い麻酔医達は高流量を流すことの欠点や短所になんの疑問ももたず、ガスモニタを使用しているにもかかわらず吸入麻酔では46リットルのガスを用いることは当然と考えているらしい。しかも乳幼児でも成人患者と同じ流量を用い、不必要に大量の余剰ガスをまき散らしている麻酔行為は理解の限界を越えた仕儀と言わざるをえない。彼らはガスモニタを使用しているが、その活用方法をマスターしているとは思えない。かつてエーテルによる閉鎖式循環麻酔を経験してきた人たちは、短所があるにせよ昔の閉鎖式麻酔法の長所が見直された結果、最近の話題になっていると理解しているのであって、低流量あるいは閉鎖式麻酔が新しい麻酔法であるなどとは考えていない。人工呼吸時の回路内圧、換気量、蛇管のコンプライアンスの影響など呼吸管理上の基本に、高流量でも低流量でも、もちろん閉鎖式でも違いは全くない。低流量での麻酔管理の煩雑さを論ずる者もいるが、それは高流量麻酔に疑問ももたず、しかもそれに慣れきってしまった結果であろう。

 ただ低流量あるいは閉鎖式では昔から指摘されてきたように、笑気濃度の設定が難しいので笑気をやめて空気を併用するべきという意見もある。しかし、この問題もガスモニタの普及が解決してしまった。また、笑気及び高濃度酸素の弊害については種々問題があり、低流量麻酔よりも閉鎖式での空気の併用が望ましいという意見が多い。さらに吸入麻酔薬を使用しない全静脈麻酔にとっては閉鎖、半閉鎖の問題は無縁のものである。 今後、低流量あるいは閉鎖式麻酔が正しく理解されることを期待している。 おわり July. 1998