はなせばわかる

 

 「話せば分かる」 五・一五事件で暗殺された首相・犬飼毅が射殺される直前に残した言葉として有名である。

 昭和7年5月15日、海軍青年将校らが起こしたクーデター未遂事件が五・一五事件である。計画は極めて粗雑で行動後の日本統治計画も皆無に等しく、クーデターというよりも単純なテロ行為であった。しかし軍部はこれを政治的進出のための絶好の武器として利用し、事件の裁判でも被告の動機の純粋さを賞賛した。その結果全被告の刑はいずれも軽く、数年で全員が出獄した。

 

 犬飼首相は「話せば分かる」と青年将校たちに説いても、問答無用と射殺された。首相が生真面目に話し合おうとしても相手の判断基準が異なるので話しても分かり合える筈がないから、相手は問答無用の行動に出たのである。

 生真面目に議論をし、話し合い、お互いを理解しようとする。これは良いことなのだろうか。あるいは本当に可能なことだろうか。最近の世相、さらに極々身近の問題を見ても疑わざるをえない。この世には話しても分からない「分からず屋」がいるのである。

 過去歴史上で話し合いによって解決できなかったこと、あるいは意識的にしなかったことは山ほどある。アメリカとソ連との冷戦、イスラエルとアラブとの争い、核開発に関するアメリカと北朝鮮との話し合い、そして日本が戦争に突入した過去も長年にわたる日本と近隣諸国との国際問題、さらに言えば日本人の国旗と国歌についての考え、思想である。犬飼首相と同様に政敵に問答は無用と、粛正された人たちは世界中で数え切れないほど多い。つまり基本的判断基準が双方互いに別次元なのである。

 因みに日の丸についていえば、すでに8世紀前半、元日の朝廷での朝賀に「太陽をかたどった旗が揚げられた」という記録がある。その後、武門の誉れや正義の旗印に使われるなどの経緯を経て、幕末の安政元年(1854)、薩摩藩主島津斉彬の提言と、水戸藩の徳川斉昭の賛同を得た上で幕府が外国の船と間違われないように、日の丸を「日本総船印」に決定した。そして明治3年、新政府が太政官布告で各国に「国旗」として通告したという歴史がある。にも関わらず偏った理由をふりかざし、しかも日の丸にかわる国旗を提示することなく未だに国旗としての日の丸に反対するものがいる。日本には国旗は必要ないとでも考えているのだろうか。国際感覚の欠如としか言いようがない。

 

 話しても分からない時はどうすればよいか。生真面目に根気よく永遠に話し合いを続けるのがよいと考えるのだろうか? 犬飼首相は相手を自分と同じ判断基準をもっていると考え、生真面目に話した結果が射殺であった。話し合おうとせずに、さっさと逃げ出せばよかったのか。いつの世でも、そして何処にでも似たことがある。全く異なる判断基準をもつ分からず屋を相手にする生真面目は無意味なことに思えるが、分からず屋を放っておくわけにもいかない。合意に至らないときには話し合いを打ち切り、多数決の原理で結論に達するのが民主主義である。民主主義に粛正はない。

 

 年と共に視力が減退し近点距離が延びしてしまった者が「はなせばわかる」と冗談めかして言う。これは本当に「離せば判る、離せば見える」のである。

おわり    May 1999