学問のすすめ

福沢諭吉著 抜粋

 学問のすすめ

 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人、皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きを以て、天地の間にあるよろずの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして、各々安楽にこの世を渡らしめたもうの趣意なり。されどこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様、雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。・・・身分重くして貴ければ、自ずからその家も富みて、下々の者より見れば、及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬれば、唯その人に学問の力あるとなきとによりて、その相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなりと。・・・学問を勤めて物事を良く知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

 

 一身独立して一国独立する事

 独立とは、自分にて自分の身を支配し、他によりすがる心なきをいう。・・・人々この独立の心なくして、唯他人の力に依りすがらんとのみすれば、全国の人は、皆依りすがる人のみにて、これを引く受ける者なかるべし。・・・

 一国中に人を支配するほどの才徳を備る者は、千人のうち一人に過ぎず。ここに人口百万人の国あらん。このうち千人は智者にして、九十九万余の者は無知の小人ならん。・・・この国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者千人の智者にて、よきよう国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。すでに客分とあれば、もとより心配も少なく、ただ主人にのみ依りすがりて、身に引き受くることなきゆえ、国を憂うることも主人の如くならざるは必然、実に水くさき有様なり。・・・一旦外国と戦争などの事あらば、その不都合なること思いみるべし。・・われわれは客分のことゆえ、一命を棄つるは過分なりとて、逃げ走る者多かるべし。さすれば、この国の人口、名は百万人なれど、国を守るの一段に至りては、その人数甚だ少なく、とても一国の独立は叶い難きなり。

 外国に対してわが国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々、貴賎上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も、目くらも目あきも、各々その国人たるの分を尽さざるべからず。英人は英国を以て我が本国と思い、日本人は日本国を以て我が本国と思い、その本国の土地は、他人の土地にあらず、我が国人の土地なれば、本国のためを思うが如くし、国のためには財を失うのみならず、一命をも抛ちて惜しむに足らず。これすなわち報国の大義なり。もとより国の政を為す者は政府にて、その支配を受くる者は人民なれど、こは唯便利のために双方の持ち場を分かちたるのみ。・・・

 昔戦国の時、駿河の今川義元、数万の兵を率いて織田信長を攻めんとしたとき、信長の策にて桶狭間に伏勢を設け、今川の本陣に迫りて義元の首を取りしかば、駿河の軍勢戦いもせずして逃げ走り、名高き今川政府も一朝に滅びてその痕なし。近く両三年以前、フランスとプロイセンの戦いに、両国接戦の初め、フランス皇帝ナポレオンはプロイセンに生け捕られたれど、仏人はこれによりて望みを失わざるのみならず、ますます発憤して防ぎ戦い、骨をさらし血を流し、数月篭城の後、和睦に及びたるも、フランスは依然として旧のフランスに異ならず。かの今川の始末に較ぶれば、日を同じうして語るべからず。その故はなんぞや。駿河の人民は、ただ義元一人に依りすがり、その身は客分のつもりにて、駿河の国を我が本国と思う者なく、フランスには報国の士民多くして、国の難を銘々の身に引き受け、人の勧めを待たずして自ら本国のために戦う者あるゆえ、かかる相違もできしことなり。・・・外国に対して自国を守るにあたり、その国人に独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。

 

 内に居て独立の地位を得ざる者は、外に在りて外国人に接するときも、また独立の権義を伸ぶることあたわず

 独立の気力なき者は、必ず人に依頼す。人に依頼する者は必ず人を恐る。人を恐れる者は必ず人に諂(へつらう)うものなり。常に人を恐れ人に諂う者は、次第にこれに慣れ、その面の皮、鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえみれば、ただ腰を屈するのみ。いわゆる習い、性となるとはこのことなり。

・・・今外国と交わるの日に至りては、これがため大なる弊害あり。たとえば田舎の商人ら、恐れながら外国の交易に志して、横浜などへ来る者あれば、先ず外国人の骨格逞しきを見て是に驚き、金の多きを見てこれに驚き、商館の広大なるに驚き、蒸気船の速きに驚き、すでに既に胆を落として、追々この外国人に近づき、取引するに及んでは、その掛引きのするどきに驚き、或いは無理なる理屈を言いかけらるることあれば、ただに驚くのみならず、その威力に震い懼れて、無理と知りながら、大なる損亡を受け、大なる恥辱を蒙ることあり。こは一人の損亡に非ず、一国の損亡なり。一人の恥辱に非ず、一国の恥辱なり。実に馬鹿らしきようなれど

先祖代々、独立の気を吸わざる町人根性、武士には苦しめられ、裁判所には叱られ、一人扶持取る足軽に逢ても御旦那様と崇めし魂は、腹の底まで腐れつき、一朝一夕に洗うべからず。・・・内に居て独立を得ざる者は、外にありても独立すること能はざるの証拠なり。

 

 国法の貴きを論ず

 政府は国民の名代にて、国民の思うところに従い事を為すものなり。その職分は、罪ある者を取り押さえて罪なき者を保護する依り外ならず。すなわちこれ国民の思うところにして、この趣意を達すれば、一国内の便利となるべし。

・・・政府は国民の総名代となりて事を為すべき権を得たるものなれば、政府の為す事はすなわち国民の為す事にて、国民は必ず政府の法に従わざるべからず。是又国民と政府との約束なり。故に国民の政府に従うは、政府の作りし法に従うにあらず、自ら作りし法に従うなり。   ・・・

 昔徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて吉良上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大なる間違いならずや。この時日本の政府は徳川なり。浅野内匠頭も、吉良上野介も、浅野家の家来も、皆日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙るべしと約束したるものなり。然るに一朝の間違いにて、上野介なる者、内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴ること知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとして遂に双方の喧嘩と為りしかば、徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判と云うべし。浅野家の家来共、この裁判を不正なりと思わば、何が故にこれを政府へ訴へざるや。四十七士の面々、申し合わせて、各々その筋により、法に従いて政府に訴え出でなば、固より暴政府のことゆえ最初はその訴訟を取り上げず、或いはその人を捕らえてこれを殺すこともある可しと雖も、たとえ一人は殺さるもこれを恐れず、又代わりて訴出で、したがって殺され随て訴え、四十七人の家来、理を訴えて命を失い尽くすに至らば、如何なる悪政府にても遂には必ずその理に伏し、上野介へも刑を加えて、裁判を正しうすることあるべし。かくありてこそ始めて真の義士とも称すべき筈なるに、嘗てこの理を知らず、身は国民の地位に居ながら、国法の重きを顧みずして、妄りに上野介を殺したるは、国民の職分を誤り、政府の権を犯して私に人の罪を裁決したるものと云うべし。幸いにしてその時、徳川の政府にてこの乱妨人を刑に処したればこそ無事に治まりたれど、もしもこれを免すことあらば、吉良家の一族、又敵討ちとて赤穂の家来を殺すことは必定なり。しかるときは、この家来の一族、又敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、遂に双方の一族朋友、死し尽くるに至らざれば止まず。所謂無政無法の世の中とはこの事なるべし。私裁の国を害することかくのごとし。謹まざるべかざるなり。

 

 名分を以て偽君子を生ずるの論

 ・・・所謂役得にもせよ、賄賂にもせよ、旦那の物をせしめたるに相違はあらず。そのもっとも著しきものを挙げていえば、普請奉行が大工に割り前を促し、会計の役人が出入りの町人より付け届けを取るが如きは、三百諸侯の家に殆ど定式の法の如し。・・・

 かくのごとく人民不実の悪例のみを挙ぐれば際限もなきことなれど、悉皆然るにも非ず。・・古来義士なきにあらず。唯その数少なくして算当に合わぬなり。元禄年中は義気の花盛りとも云うべき時代なり。この時赤穂七万石の内に義士四十七名あり。七万石の領分には凡そ七万の人口あるべし。七万の内に四十七あれば七百万の内には四千七百あるべし。・・・人情は次第に薄く、義気も落花の時節となりたるは、・・・ゆえに元禄年中より人の義気に三割を減しって七掛けにすれば、・・・日本の人口を三千万となし、義士の数は一万四千百人なるべし。この人数にて日本国を保護するに足るべきや。三歳の童子にも勘定は出来ることならん。