医食同源  塩と食 ・ Na+とK+ そして生理食塩液

 麻酔に携わるわれわれは、多くの輸液剤を使用している。この輸液が医療に登場したのはいつのことか。

 輸液を英語でいうとinfusion, fluid therapy などがある。infusion injection の違いは投与量によるが、あまり明確な規定はない。

 1831年イギリスのLattaが、NaCl 0.5%NaHCO3 0.2%を含む液の輸液をコレラ患者に行なったのが輸液の始まりであった。しかし、その後のコレラ患者の治療に採用されず、埋もれてしまった。電解質輸液の重要性が明らかになったのは20世紀に入ってからである。1910年代後半には、小児下痢患者における脱水、アシドーシスの概念、コレラに対する輸液の有効性が確立した。

 晶質輸液剤の成分をみるとNaClがもっとも多く含まれている。。また種々の輸液剤の中でも生理食塩液の処方は単純でしかも細胞外液の組成に近い。しかし、生理的であるものは等浸透圧とNa+濃度だけである。Cl- 濃度は高く非生理的であり、他の重要な電解質も欠けている非生理的食塩液である。そのため、輸液を必要とする患者でNa+Cl-だけが欠乏することは極めて少ないから生理食塩液が輸液のために使われる場合は限られる。この生理食塩液にCa2+K+を細胞外液とほぼ同濃度に加えた処方がリンゲル液(日本薬局方)であるが、Cl濃度はNa濃度に比べてやはり非生理的である。

 英国の生理学者リンゲル Sydney Ringerが生理食塩液にCa2+K+などを加えたのは、偶然からの「ひらめき」である。

 輸液療法とは別に、生理食塩液は生理学の実験にも使われていた。リンゲルが摘出したカエルの心臓を生理食塩液で灌流していると、まもなく心臓の拍動は停止してしまった。若い助手がリンゲルと同じように生理食塩液を作って実験するとカエルの心臓はいつまでも拍動を続ける。リンゲルは蒸留水を使って生理食塩液を作っていたのに、助手は水道水を使っていたことに気づいたリンゲルは、この水の中にその原因物質が存在するのでは、と閃いたのがきっかけであった。心臓は塩だけでは動けない。少量のカルシウムとカリウム両者の存在を欠かせない。そこで1885年、新しく処方されたのがリンゲル液である。つまり、動物やわれわれの体にとって食塩NaClは欠かせないが、同時にCa2+K+など適度な量の他の電解質の存在によって生理機能が維持されているのである。このリンゲル液の処方は、現在われわれが使用している日本薬局方のリンゲル液のそれとは異なる。

 米国のDahlは高血圧ラットの実験により、食塩摂取量の多い個体は高血圧になりやすいという結果を得た。これが現在我々の常識となり、厚生省も国民の食塩摂取量を制限するよう指導している。

 高血圧のヒトの食塩摂取量が多いと血圧は上昇し、控えると血圧は低下する。しかし、もともと高血圧になりにくい個体では同じ量の食塩を摂取してもなかなか高血圧にならない。高血圧は単に食塩摂取量が多いというだけで発症するのではないことは、これまでの多くの疫学的研究、あるいは実験的研究からも指摘されている。つまり遺伝的要因が考えられている。

 食塩感受性という遺伝素因のない人では食塩を過剰摂取しても高血圧を発症しない。逆に食塩高血圧ともいうべき患者も多い。高血圧のために入院した患者を16gの食塩制限食にしたところ、わずか23週間で正常血圧になった。再び1日食塩12g前後の常食にもどしたところ、23週間で高血圧に戻ってしまった例もある。このことは、動物モデルでのDahlの食塩感受性(Dahl S rat )と食塩抵抗性ラット(Dahl R rat )、自然発症高血圧ラット(SHR, spontaneously hypertensive rat )の実験結果と同様であり、ヒトも塩感受性によって二つに大別できる(川崎ら、1978)。

 本態性高血圧の人は、まず基礎に遺伝素因として複数の血管調節関連因子の異常があり、そのうえに環境因子として食塩やアルコールの過剰摂取、肥満、運動不足、ストレスなどが発症要因として加わってはじめて発症する。食塩感受性の素因を持つ人は、本態性高血圧症の人の中で3040%と米国では考えられている。また、Na感受性を除けば単独のものはなく、多数の因子、すなわちカリクレン-キニン系のほかに血管反応性や交感神経活動、性格等が関与し、本態性高血圧症の遺伝負荷率は70%ぐらいと考えられている。

 さらに、環境条件とくに胎児期あるいは幼若期の環境条件などは重要な役割を持つと考えられる。従来、寒冷地である東北地方では食塩摂取量が多く、そのため高血圧、脳卒中が多いと言われてきた。寒冷地では冬になると食塩摂取量が増し、食塩多量摂取が耐寒性を増すという研究がある。食塩の多量摂取は、「寒さに対する無意識の適応」と考えられる。しかし、面白いことにロシア人やエスキモー人も極寒の中で生活しているのに摂取量が123グラムと非常に少ないことも知られている。

 我々の体は多量の食塩を摂っても、それを排泄して体液の塩類濃度を調節する働きを備えている。食塩をたくさん摂る人は塩の多い汗や尿を、あまり摂らない人は薄い汗や尿を排泄する。いつもあまり塩を摂らない人は、いくら沢山の汗を流しても失う塩の量は比較的少ないので、補給する塩の量も少なくてよい。。また、海に住む動物たちは海水しか飲めないので濃縮した涙や排液を出す。産卵のために砂浜にはいあがってきたウミガメが目に涙をいっぱい浮かべているのは、産みの苦しみのためではない。これは体液の塩類調節のための生理現象であることがわかっている。また、飲み水の少ない砂漠に住む砂ネズミやカンガルーネズミなども、体内の水分を保持するために尿を血液の20倍以上に濃縮できるといわれている。この塩類を濃縮する能力は動物によって異なり、ブタ、ビーバーなどは尿濃縮力が弱く、渇きにきわめて弱い。このように動物の種類によって塩の摂り過ぎや水分の欠乏への抵抗力が異なる。さらにわれわれヒトにとって単に食塩の量が問題ではなく、腎臓におけるNa+の排泄再吸収にはK+の存在を欠かせないことから、カリウムK+とナトリウムNa+の摂取量の比が重要であることが判っている。

 京都大学 大学院教授 家森 幸男氏の調査によると、アフリカのマサイ族の人たちは世界のなかで高血圧の発生率がとくに低いという(NHKラジオ談話室 「長寿食の謎を探る」から)。そこで彼らの食生活を調査したところ、食塩の摂取量が極端に少ないことが判った。彼らは食塩も岩塩も持っていない。ただ、牛乳に含まれているNa+を摂るのみである。一日に3リットルもの牛乳を飲むという。そのため、Na+K+の摂取量比はマサイ族では0.9、それに比べて日本人の摂取量比は45、中国人(広東省での調査)ではおそらく810にもなると考えられている。

 今後マサイ族の食生活を研究することで、循環器疾患の予防に食生活がどのように関わっているか明らかになるであろうと期待されている。

 ところがマサイ族とは対称的な例がある。チベット 海抜3800mの高地に生活する住民の食生活をみると、ヤクの肉の塩漬けに食塩を含むバター、高地のために野菜はほとんどない。お茶にもバターや塩を入れて飲む。そのため食塩の摂取量が極端に多くなる。血圧を測定してみると高血圧の人が多く、200mmHgを越える人も多くみられたという。そして、彼らの中では突然死が比較的多く、突然死をした人は苦しみもなく仏の世界に行くことができた幸せ者と、人々はうらやむという。この突然死の原因は、もちろん高血圧からきた脳血管障害である。

 古代中国の医学書によると、医師を1食医 2湯医(内科医) 3瘍医(外科医) 4 獣医の4種に分け、食医を最高位としている。食医は皇帝の食事の管理を司り、皇帝の健康を維持する重要な役割を担当している。つまり、「医食同源」と言われるとうり食事によって健康を維持することが医療そのものという考えから、食医を最高位としたのである。

 「四季五味」という言葉がある。四季に合わせて五味、つまり酸、苦、甘、辛、塩味の食材を上手く組み合わせて食事をとることが健康の源であると、古代の中国から伝えられている知恵である。これが薬膳料理の特徴であり、医食同源の基本がここにも生きている。薬膳は「季節と人それぞれの体調に合わせて、食物の五性(熱、温、平、涼、寒)と五味をどれだけ上手に用いるか」であるという(正岡慧子氏 産経新聞 家庭の薬膳より1996102)。

 医食同源の家元である中国の広東省での調査によると、最近の広東は工業化が進行しNa+K+の摂取量比は810にもなると家森氏は指摘している。食塩の過剰摂取がその理由という。そのためわずか4年間で高血圧の人が増加してしまったという。

 食塩摂取量と肥満との関係についてみると、食塩を多くとっている人は食べ過ぎの傾向にあり肥満者が多い。Dahlの研究によれば、アメリカの或る研究所で働く547人について食事の習慣をたずね、その結果によって研究所員を三つのグループに分けた。すなわち、A食事のとき食卓塩を使わない人 B味をみてから食卓塩を使う人 C味をみないでいつも食塩をかける人、という分け方である。調査の結果、Aグループの人は一日わずか23グラムの食塩しかとらず、これにたいしてCグループの人は1624グラムを消費していた。

 血圧を測定してみると、Aグループには高血圧者は一人もおらず、Bグループに17人、Cグループに24人みつかった。しかも高血圧の人41人のうち20人が肥満者であった。つまり、食塩を多くとっている人は食べ過ぎの傾向にあることがわかった。肥満と高血圧との関連には、食塩が食欲を増進させて過食による肥満に陥り、体内での脂質の合成能を高め、血中コレステロール値を高めるなど動脈硬化を促進する結果となり、高血圧をひきおこすという筋道が大きく働いていることが重要である。実際に肥満高血圧者の体重を減量させると血圧はよく下がる。高血圧に結ぶつく遺伝素因としてインスリン抵抗性(インスリンリセプタの異常)やNa代謝系の関与が考えられている。米国では高血圧症の40%の人が肥満体といわれている。食塩はアペタイザーの側面をもつから、過食で悩んでいる人も、思い切り食塩摂取量を減らしたらよいのである。日本食では副食に,塩から、すじこ、塩辛い漬け物などがあると、ご飯を一杯ぐらいよけいに食べてしまうことを、経験で理解できよう。

 ハワイ大学の研究も面白い。アメリカ人の食事と比べて日系アメリカ人の好む日本食には食塩の多いことは明白であるので、二組のラットに両者の食事献立をそのまま与えた。その結果日本食ラットの血圧は158mmHg 、アメリカ食のそれは124mmHgであった。つぎに、日本食から醤油のような食塩の多いものを除いて、もとの日本食と比較してみると、確実に血圧は低下した。そこで、アメリカ食に食塩を加えてやれば血圧が上がると考え、日本食と同程度の食塩を付加してラットを飼育した。ところが意外、血圧は上がらなかったのである。その後のいろいろな研究から、蛋白質やビタミンなどの不足状態が、食塩過剰摂取の障害を受けやすくしていることがわかってきた。したがって、食塩だけを一つ抜き出して、食塩過多は高血圧・脳卒中につながるという短絡的結論は危険である。バランスのとれた食事がいかに重要であるか、認識したい。

 「腹八分は長生き」という。マッケイは(1930年代)ラットを使った実験で、好きなだけ腹一杯食べさせた自由食群に比べて、食事を制限された群の方が明らかに寿命が長くなることを観察した。制限食群の方が種々の腫瘍の発生がおくれ、老化した動物に頻発する慢性腎炎、動脈周囲炎、骨格筋変性などの発症もおくれるなどが確認され、腹八分は長生きの根拠を示した。しかし、この実験結果については異論がある。バルロスらは生後1年経った成熟ラットに食事を制限しても寿命延長を見いだせず、食事の制限はその時期によっても効果が異なることを報告した。また、経験則として「動物の寿命は」成長期間の六倍である」という説があり、「マッケイの実験で制限食群の方が自由食群よりも寿命が長いという結果が得られたのは、成長期間が延びたからである」と考えている人もいる。老化の機序は食事の制限という単純なことでは説明できず,最近では老化とフリーラジカルfree radicalとの関係が注目されている。フリーラジカルがどのような機序で生体に障害を与えるか不明な点が多いが、これが生体にとって重要な場所を攻撃することは事実であろう。ラットにフリーラジカルを生成しやすいような食餌成分、たとえば不飽和脂肪酸を多く与えると寿命を短縮する。ところがこれにフリーラジカル反応を阻害する物質、例えばキノリン誘導体や2・メルカプトエチルアミンなどを0.251.0%添加しておくと寿命をのばすことができると、動物実験で確かめられている。これは、不飽和脂肪酸の過酸化によって生ずるリポフチン lipofuscin が老化物質として作用するためである。べにばな油で代表される不飽和脂肪酸はコレステロールを抑え動脈硬化を予防する有力な食品として世間でもてはやされているが、「過ぎたるは及ばざるが如し」の良い例であり、多価不飽和脂肪酸はとくに酸化されやすく、その過酸化物は生体にとって有害である。飽和、一価不飽和、多価不飽和脂肪酸の適度な量と組み合わせ(111)、そして豊富な野菜からビタミンA C E などのscavenger (毒消しといってよい)を摂ることが大切であることを、示唆するものである。

 食塩摂取の問題は、塩化ナトリウムに含まれているNa+の問題である。塩分つまりNa+は他のミネラルとともに自然の食材に含まれているので、食塩つまりNaClそのものを摂らなくてもNa+は食物とともに摂る事ができる。

 野生動物では、人間のように食事のたびに塩味をつける事をしない。ペットのイヌやネコに食塩を与えることはイヌ、ネコの健康を害すると考えられている。しかし、動物たちが生理的に食塩、つまりNa+を含む岩塩や土を要求することもわかっている。そしてライオンやトラよりも草食動物である馬や羊が食塩を好むこともよく知られた事実である。草食では肉食よりも、餌のNa+含有量が少ないことがその理由であろう。

 平成89月に発表された、我が国の100歳以上の高齢者は7373人で、そのうち男性は1440人、女性が8割を占めている。

 女性が生理的に男性よりも強い理由は、更年期までホルモンによって守られているためである。また、70歳以上の人では喫煙経験者は20%しかいない。喫煙は寿命を縮めるということである。

 年を取ると骨がもろくなり骨折しやすい。骨折すると寝たきりになり、肺炎のために死亡する。骨折が死亡の原因になる。この高齢者の骨折が日本人では比較的少ないのは、日常生活での運動、例えばベッドを使わないので布団の上げ下ろしをする、そしてよく歩くことが骨を強くしていると考えられている。

 全国の長寿県の順位は、1沖縄県 2高知県 3島根県である。これらの県での食生活を家森教授が調査した結果、以下のことが判った。

 沖縄では、食塩の摂取量は一日8グラム以下、昆布の消費量は日本一、ブタ肉は良く煮込んで油を落とす、肉魚豆腐によって蛋白質を十分に摂っていることが指摘されている。

 高知県では、とくに四万十川の上流地域の人たちが長生きしている。この地域では昔から米が穫れないのでトウモロコシを主食にしてきた。 また、野菜を多く摂り食塩の摂取量が少なく、しかも土地に含まれているCa2+が多いので、Ca2+の多い水を飲んできた。つまりトウモロコシにはK+が多く含まれているし、そのほか野菜のK+、水からCa2+をとっていることが長寿に結びついている。また、トウモロコシには必須アミノ酸のうちリジンとトリプトファンが欠けているが、他の食品からこれらのアミノ酸を補えば良質の蛋白源と同じになる。

 島根県では、魚料理イカ料理で内臓も一緒に料理して食べ、また海藻をたくさん食している。

 最近の話として、甲州地方では4年間で以前よりも高血圧の人が増加していることが判った。その一因は、以前は井戸を使用していたが、新しく水道が施設されたことにあった。井戸水にはCa2+が多く含まれていたが、水道水のCa2+含有量ははるかに少なく、そのためCa2+摂取量が減少したことが血圧を上昇させたのである。近代化工業化は、中国広東省での高血圧患者の増加と共通の原因として考えられる。

 それでは日本の長寿県での食事をまねすれば、自分も長生きできるのだろうか。そう考えるのは早計である。まずその地域または種族の人々の遺伝的要素を考えなければならない。現存の人たちは何十世代にもわたって淘汰されて生き残った人々の子孫であるかもしれない。あるいは、乳幼児期に弱いものは淘汰されてしまっているのかもしれない。平均寿命と長寿者率が一致しないのは、このような事情によることもあるだろう。食物摂取条件は地域や人種によって異なり、長い歴史的背景をもつものである。

 Dahlの高血圧ラットの実験結果、さらに他の多くの知見から、厚生省は国民の食塩摂取量を一日10グラム以下に抑えようと指導している。しかし、「食塩は体にとって必要なものであり、死に瀕した病人の治療にリンゲル液を投与するのをみても、塩が体に悪い筈がない。重病人によくて健康な人に悪い、などということは大矛盾・混乱以外の何物でもない。食塩を多めに摂ったからといって血圧は上がらない。したがって熟成発酵塩であれば、塩を一日10グラム以下に制限する必要はない。塩味のうすい味気ない食事を強いられることは、なんて不幸なことだろう。」と主張している人がいる(八藤 真氏 「塩と水の聖なる話」より)。この理屈は、一見尤もの様ではあるが、大切な点に気付いていないのか、意図的に無視しているのかもしれない。第一に輸液剤に含まれている塩類の量や濃度を度外視し、静脈内投与の輸液療法と経口摂取との生体に及ぼす影響を同列に論じていることが不合理である。口から入ったものがそのまま血液中に吸収されるものではない。また、死に瀕した人の治療にリンゲルの用いた冷血動物用の処方はもちろん、非生理的なリンゲル液(日本薬局方)を投与することはない。リンゲル液を一時に大量に投与すればアシドーシス、長期に連用すれば高Na血症を起こし浮腫や心不全を招く。

 熟成発酵塩は調味料であって輸液剤ではない。もちろん、熟成発酵塩に含まれているカルシウムやマグネシウムなど多くのミネラル類や有機物を取り除きNaClのみに精製した精製塩よりも、熟成発酵塩の方が調味料として優れている。しかし、われわれの生理機能を維持するために、この熟成発酵塩が最も理想的なミネラルバランスを実現した食品と、八籐氏が主張する根拠は不明である。熟成発酵塩から体が必要とする全てのミネラルを摂ることができるというのだろうか。あるいは食塩は熟成発酵塩からのみ摂り、味噌醤油その他の食塩含有食品は食さないとでも主張したいのだろうか。八藤氏は「熟成発酵塩は薬ではない。食品であり血圧を一方的に下げるなどの作用をもつものではない」とも述べているが、極めて誤解を招きやすい主張である。八籐氏も指摘しているように本態性高血圧症の人のうち、3040%の人が食塩感受性と考えられ、さらに複数の血管調節関連因子の異常をもつ人では食塩の過剰摂取によって高血圧の発症が促進される可能性を考えると、これらの遺伝的高血圧誘発因子をもつ人たちでも熟成発酵塩を無制限に摂ってよいとは決して言えない。しかも、一般市民は自分が遺伝的素因をもっているかいないかが、自分で判断できない。そこで生活習慣病を予防し健康を維持するための日常の基準として、熟成発酵塩はもちろん、味噌醤油を含めて全ての食塩含有食品の塩分、すなわち塩化ナトリウム総量を一日10g以下に抑えることが健康のために必要であろう。

 なぜ濃い塩味の食事を摂らなければならないのか。うす塩の料理が味気ないと感じるのは、幼児期からの濃い塩味の「お袋の味」による悪習慣が作りあげた味覚である。濃い塩味を好む人は、塩味によって食材本来のうまみが覆い隠されてしまい、ただ塩味のみを楽しんでいるだけの不幸な味覚の持ち主とも言えよう。しかし、これは味覚だけの問題ではない。

 我々の体にとってNaClは絶対に欠かせないが、同時に他の電解質である適度な量のK+Ca2+Mg2+P3-S2-などの存在によって生理機能が維持されているのである。しかし、食塩NaClの摂取量が極端に多くなり過ぎれば、同時に摂る水の量が多くなり過ぎる。さらに、たとえそれが熟成発酵塩であっても、NaClの量に見合うだけのK+を多量に摂ることは、どのように多くの食材を組み合わせても不可能になる。食塩の多量摂取は、食塩感受性因子を保有している人ではなおさら高血圧を招き、それが死亡の原因になっている。この事実は多くの疫学調査の結果明らかである。つまり、食塩の過剰摂取は高血圧発症要因の一つであって、食塩過剰摂取イコール高血圧という短絡的因果関係を意味していない。事実、食塩を多量に摂っていても高血圧にならない正常血圧の人がたくさんみられる。

 輸液療法においても同じことがいえる。我々が経口摂取のできない患者の輸液にリンゲル液ばかりを投与すれば患者はどうなるか。食塩過剰の結果電解質バランスは崩れてしまう。臨床では水分電解質の補正、体液の維持、利尿の有無、術後回復時など患者の水分電解質状態に合わせて適切な輸液剤を選択している。

 食事と健康との関係を考えると,食塩を摂りすぎず全ての食材についてバランスよく偏らず摂る事につきるようだ。肉を食べる時には野菜もたくさん食べることは健康維持のためによい。それは肉を食べると体液が酸性になるからではない。我々の体には、かなりの偏食をしても血液のpHが簡単には変わらないような仕組みが備わっている。体液の酸性アルカリ性が問題なのではなく、目的はNa+に対するK+の摂る量を相対的に多くすることにある。つまり野菜をたくさん摂れということはK+をたくさん摂れということである。昔ながらの塩田で生産された熟成発酵塩には各種のミネラルが含まれているからといっても、八籐氏も指摘しているように塩化ナトリウムが8090%も含まれている。これを無制限に摂ればNa+の摂取量が多くなりすぎ、これだけではカルシウムもカリウムも必要量を摂ることはできない。しかも腎臓にはNa+の排泄を極力抑える仕組みがあり、K+Ca2+などのように欠乏する可能性は少ない。事実臨床の患者でNa のみの不足の為に輸液をすることは経験しない。しかしK+は毎日一定量を排泄するので、摂取量が不足するとK+は容易に欠乏する。さらに八籐氏も指摘しているように偏食による蛋白質やビタミン類の不足が食塩過剰摂取の障害を招くことを考えれば、「熟成発酵塩であるから食塩摂取量を制限する必要はない。食塩制限の考えは誤りである」と結論づけるのは、あまりにも短絡的ではなかろうか。チベットの人たちは精製塩ではなく、各種のミネラルを含んだ自然塩を摂っていたけれど高血圧の人が多かったのである。また八籐氏が悪玉と主張している精製塩は世に出回ってから四半世紀になるが、東北地方で食塩摂取量が多く脳卒中が多発したという調査結果は、それ以前のものである。食塩の消費量は高血圧ばかりではなく胃ガンの罹患率とも相関し、食塩の摂取量を減らすことで胃ガン患者が減少したことはよく知られている事実である。我が国の胃ガン患者が減少し結腸ガンが増加している原因の1つに食塩消費量が昔に比べて減少したことも考えられる。いずれにしても塩化ナトリウムの多量摂取は高血圧をもたらす、あるいは無関係という短絡的結論は切急すぎる。熟成発酵塩は調味料として優れているうえ体のためにも良いであろう。しかし、無制限に摂って良いという根拠はなく、偏らずバランスよい食材を幅広く摂ることが大切である。

 ここで家森 幸男氏のによる長寿食の秘訣10ケ条を紹介しよう。

 1 塩は控えめ,塩はなくても生きられる(熟成塩でも同じことである)

 2 動物脂肪は適度に控える 油を落として肉食べる

  チベットでは,お茶にバターや塩を入れる

  大量の塩と動物性脂肪の組み合わせは最悪

 3 野菜果物たっぷりと,ブドーは皮まで。種までも

  昆布,ワカメの海藻類でカリウムをたくさん

 4 Ca2+補給には牛乳ヨーグルトを十分に

  マサイ族は一日3g以上のミルクを飲む

 5 魚をたくさん,内臓捨てるはもったいない。

  魚のとれない地方では牛,ブタ,羊の肉とともに内臓を,畑の肉である大豆をたくさん。(蛋白質とタウリン)

 6 食材は偏らずに,虫までも

  コオロギのフライ,田圃の虫料理等食材はいろいろある(中国での話)

 7 適度の運動,軽く汗をかくほどに

 8 栄養の知識も程々持って

 9 食事は楽しみながら,大勢で

10 小さなことや過去にこだわらず,ものごと前向きにとらえて

  過去は変えることができない,反省サルは長生きできない

 なぜ「塩はひかえめ」にするべきなのか。すべての人について考えると、基礎に遺伝素因としての血管調節関連因子の異常を持っているのか、いないのかはわからない。そこで、食塩を多量摂取しても血圧に異常をきたさない人は勿論みられるが、日本国民の食塩摂取量の基準として一日10グラム以下に抑えようというのが指導の主旨である。そして塩味の好みは幼児期からの家庭における食生活の中で作られるものである。濃い塩味のいわゆる「お袋の味」は、食塩過剰が生活習慣病の一因になりうることを考えると、果たして健康のためによいのか再考する必要があろう。良い食習慣を子供の時から付けるべきである。

 動物性脂肪には飽和脂肪酸が多く含まれている。したがって不飽和脂肪酸の摂取量とのバランスを保つためには、その摂取量を制限する必要がある。

 面白い調査結果がある。心筋梗塞は以前からイギリス人で多く、食生活との関わりが考えられてきた。しかし,同じヨーロッパ人であるフランス人は日本人に次いで罹患率が低い。そこでフランス人の尿を検査したところ,魚をあまり食べないフランス人の尿にはタウリンが日本人同様に多く検出された(French paradox)。タウリンは動脈硬化、心筋梗塞の予防に有効なアミノ酸である。そこでフランスの家庭料理を調査した結果,彼らは肉とともにその内臓料理も食べていることがわかった。タウリンは魚肉とその内臓、またウシ、ブタ、ヒツジの内臓とくに肝臓に多く含まれている。

 適度の運動が健康維持に大変よいといっても,過激な運動は逆効果になる。それではスポーツを職業としているプロのプレイヤーたちはどうなのか。短命の人が多いのは事実である。

 激しい運動をすると体の中にfree radical , superoxideが多量に生成され体細胞を障害し,その結果寿命を縮める。そこで,心あるスポーツマンは食事には抗酸化物を多く含む食材,つまり野菜をたくさん摂るよう心がけている。激しい運動をするほど抗酸化物であるビタミンA C Eなどsuper oxide scavengerを摂るよう食事の献立に配慮することが大切である。

 「小さなことや過去にこだわらない」のはなぜか。精神的緊張がストレスを生じ交感神経緊張の持続のため、血圧は上昇し動脈硬化を促進する結果になる。昔、徳川家康のシンクタンクであった天海僧正は長寿の秘訣として「粗食、正直、日湯、ブラブラ(男性にのみ適応)、そして時おり下風」という5項目の言葉を残した。「正直」であればウソを隠す努力もいらず、精神的緊張のために命を縮めることはないということである。

 家森 幸男氏はさらに10ヶ条を判りやすく「アイウエオ」にまとめられた。

 ア あっさり塩味,油味,淡泊な味で蛋白を

 イ いろいろ食べて腹八分

 ウ 運動適度に,汗かくほどに

 エ 栄養は子供の時から習慣で,良い習慣をつけよう

 オ 美味しさを頭と心で味わおう

 最後に長寿食に欠かせない食材をあげよう。 それは「孫は優しい」。

マ 豆類   ゴ ゴマ   ワ ワカメ   ヤ 野菜   サ 魚

シ シイタケ,茸類   イ 芋類

                             おわり

 参考資料  木村 修一    現代人の栄養学 中公新書

       家森 幸男    長寿食の謎を探る NHKラジオ談話室