過去に行われてきた歯科における笑気麻酔


 長い間欧米では笑気が歯科治療に盛んに応用されてきた。しかし、笑気の麻酔作用は弱いので、その吸入方法は現在の常識とはかけ離れたものであった。
 吸入麻酔を実施する際には、十分の酸素を投与することは現在の常識である。ところが笑気の麻酔作用は弱いので高濃度で吸入させねばならず、そのため軽度の酸素欠乏を伴うのはやむを得ないことであると考えられてきた。
 「十分な酸素を投与すると、Guedel の3期1相以上の麻酔深度にすることは不可能である。したがって、軽度の酸素欠乏を伴うことで更に深い麻酔に達することができる。笑気麻酔の徴候の一部は酸素欠乏によるものであるが、しかし中等度の酸素欠乏は短時間であれば、患者を障害するものではない」。
 この目的に合わせ考案開発された代表的歯科用吸入麻酔器が、BOC社製 Walton gas oxygen apparatus Model 1,2,3,4 & 5 である。 最新のWalton 5 のガスコントローラの目盛りは、酸素 0%〜15% までは 1 % 刻み、あとは 20% と 50% が刻まれているだけである。
 実際の吸入は鼻マスクをセットし、まず100% 笑気(酸素 0%)を3期の外科期に達するまで吸入させる。そこでコントローラを回して酸素を6〜10%加える。数呼吸ののち酸素濃度を 1〜2% 下げ笑気濃度を上げる。
 麻酔が浅すぎる時には100% 笑気を1〜2回吸わせたあと、酸素濃度を1%下げる。深すぎるときには酸素濃度を1〜2%上げる。この1〜2%の調節がスムースな麻酔のための大切なコツである。

 以上が歯科治療、おもに抜歯のための笑気吸入麻酔法であるが、実際にこの麻酔を行ってみると難しいものであった。十分な知識と経験がなければ実際の役には立たない。この方法では、必ずチアノーゼが現れるが、短時間で軽度の酸素欠乏は害がないと考えて行われていた。
 しかし英国での歯科麻酔に関連した死亡事故の報告によると、1952年〜1956年の間に87症例が死亡したが、これらの死亡の原因は主に酸素欠乏である。 V. Goldman は英国で行われている歯科の麻酔法を  anoxic anaesthesia とよび、どんな短時間の酸素欠乏でも避けることが事故を防ぐために重要であり、吸入麻酔では常に20%以上の酸素を併用するべきであると主張している( Br J Anaesth 40 )。
1961〜1965年には歯科麻酔による死亡が31症例に減少したが、これは Anoxic Anaesthesia の危険性が認識され、さらにハロタン、メトヘキシトン、プロパニジドなどが臨床に応用されるようになったことが、大きな要因と考えられる。