近代麻酔の夜明け

平成8年6月


 1844年12月10日ハートフォード市クーラント紙に掲載された広告には「陽気ガスと呼ばれているガスの効能を示す大会を、ユニオンホールで開催します。・・・・最上級の紳士の方にしか、ガスはご用立てしません。・・・ガスを使用する目的は、粋な楽しみを味わって頂くためです。・・・詩人ロバート・サウジイはかって、もろもろの天の上の、いと高き天の味わいは、このガスから生まれると言いました。・・・・アット皆様のど肝を抜く二三の化学実験を楽しみ会の最後に行います。入場料は25セント、ただし女性は無料」とあった。 ハートフォードの開業歯科医師H. Wells はこのコルトンの主催する楽しみ会に出席し、顔見知りのサムエル・クーレイがガスを吸入し、向こう脛を椅子の角に強くぶつけたのを見て、彼の心に稲妻のように閃いたものがあった。
「外科の夜明け」より抜粋

 当時の米国では、亜酸化窒素やジエチルエーテルの吸入を楽しむ大会が各地で有料で行われていた。しかし、これらの薬物に麻酔作用のあることに気付き、手術に応用しようと考えた者はいなかったのである。

H. Wells は偶然の機会から抜歯にこの笑気の吸入を利用しようと思いついたのである。

 1844年12月11日10時、ウェルズ、リグズ、コルトン、コルトンの兄、そしてサムエル・クーレイがウェルズの診療所に集まった。
 「ウェルズは深く呼吸した。今はその顔からひどく血の気が失せ、青みを帯びていた。両眼がぎらぎら光った。瞼が閉じ、頭ががっくりと前に垂れた。・・・リグズは抜歯用の鉗子を取り上げた。・・・ 悲鳴、呻きを聞いたことは、これまでに何千回か数え切れないほどだが、・・・ 今ウェルズは静まり返って身動きもしない・・・ 」  ウェルズの歴史的な言葉が、この時語られる。「針ほどの痛みもなかった。われわれの時代の、もっとも素晴らしい発見だ。」  この日以来、ウェルズの人間は一変した。妻も忘れ、家庭も忘れて、一途にこの発見に打ち込んだ。暑いにつけ寒いにつけ、ガスを吸入し、その他の無数の実験を試みた。

 1845年1月15日マサチューセッツ総合病院の古ぼけた手術室で、ウェルズは笑気吸入による公開抜歯術を行った。しかし、患者が悲鳴をあげたため「インチキ」と評価され、侮蔑と嘲笑の中ウェルズはドアの外へ去ったという。  1846年10月16日再び新しい、あの茶番劇を楽しもうとする人達の中で、モートンはウェルズの時と同じ手術室でジエチルエーテルによる公開麻酔を行い成功し、ついに麻酔の有効性は広く認められることになった。 患者はギルバート・アボットという名で、顎下腺と舌の一部が侵されて腫れている若い結核患者だった。
 「ワレンのメスのもとに、一人の青年が、それまで無数の人々が耐えてきた想像に絶した苦痛を少しも感じないで横たわっていた。彼は、かすかな声もたてず、身動きもせず、まったくの無感覚状態にあった。
 ワレンは無言のまま、メスを手にとった。電撃の様な迅速さで、最初のメスを入れた。・・・第二、第三のメスが、前よりも更に深く入れられた。・・・ワレンは腫瘍の最後の部分を切り取った。・・・・やはり何事も起こらなかった。深閑と静まり返っていた。ワレンはついに絶叫した。


color reproduction of Robert C. Hinckley ’s `First operation Under Ether`

 ( これは、いかさまものではありませんぞ )
 われわれの世界は、この僅か数分間の手術で一変した。あの苦悶の暗黒の中から、一筋の光が射し始めたのだ。それはあまりにも輝かしい光で、そのまばゆさのためにしばらくは目がくらむほどだった。」
この手術室は、最初の外科麻酔の公開実験の記念物として今も残され、エーテルドームether dome と呼ばれている。

 このモートンの魔法の種が、エーテルだと云うことは説明されていなかった。それは大昔から周知の化学薬品であり、笑気ガス同様、娯楽にも供されるし、肺疾患にも用いられてきた薬品だった。

 近代麻酔の創世記には麻酔の研究にウェルズ、モートン、コルトンをはじめ多くの歯科医師たちが携わっていた。この当時歯科医師たちが、いかに痛みなく抜歯をしようと腐心していたか、が伺える。
 麻酔ガスの発見者でありながら認められず、絶望したウェルズは1848年1月23日に自殺した。ニューヨークのホテルがウェルズの終焉の場所だと言う者もあり、ニューヨークの獄舎だという暗い物語さえある。
 しかし、現在ウェルズは近代麻酔の創始者として全世界から認められ、その名誉が与えられている。1994年には米国において記念切手の発売が計画された。
 また、モートンも不幸な晩年の運命をたどった。しかしモートンは今では、麻酔の導入に関する評価を正当に受けている。
 ボストン近郊のMt.Auburn Cemetery にある Dr.Morton の墓の上にはボストン市民によって建てられた記念碑がある。それには次のような碑文が刻み込まれている。

William T. G. Morton

Inventor and Revealer of Anaesthetic Inhalation.
Before Whom, in All Time, Surgery Was Agony.
By Whom Pain in Surgery Was Averted and Annulled.
Since Whom Science Has Control of Pain.


William T. G. Morton

吸入麻酔法を創案し世に知らしめた人。
君が現れる以前は常に手術は苦悶そのものであった。
君により、手術の疼痛からのがれ、疼痛は去った。
君が現れてから、科学は痛みを征服している。

 一方わが国における麻酔と手術の歴史をみると、1804年華岡青洲が通仙散を患者に服用させ乳癌の手術を行っている。またモートンによって初めて公開麻酔が成功した年から4年後の1850年(嘉永3年)、杉田成郷(杉田玄白の孫)によって「亜的耳吸法試説」が翻訳出版された。 さらに彼は1855年(安政2年)、乳癌の手術にわが国最初のエーテル吸入麻酔を行った。