真夜中図書館・所蔵図書試用版


寅さん随想

 

折笠由利子

 

 「ものの始まりが一ならば国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこちらのおばちゃん!」
 だの、
「ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ色は黒くて食いつきたいがあたしゃ入れ歯で歯が立たないよときた!」
 あとお下品バージョンとして、
「四ツ谷赤坂麹町ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立ちションベン白く咲いたが百合の花!」
「お兄さん行っちゃうの? 寂しいねえ、君と俺とはズボンのおならだ。右と左に泣き別れ」
 とか何とか威勢のいい声を張り上げるテキヤさんはもう今時見かけなくなってしまった。
 私が行く祭り(例えば秦野のたばこ祭)で店を開いている人たちは、ただ奥にじっとすわって時折「いらっしゃーい、お姉ちゃん寄ってってー」などとけだるそうに言うか、それかただ黙々とタコ焼きか何か焼いているかのどちらかで、つまりは元気がない。あれでもし寅さんを見習って歯切れのいい声でタンカを切れば自然と人も集まるだろうし、活気のないところにも活気が生まれるだろうにと思う。眉毛がない分元気がなくっちゃ。

 

 渥美清さんの最後の出演作となってしまった『寅次郎紅の花』では、寅さんは神戸で震災にあっている。冒頭では腕に腕章などしてボランティアに励んでいるのだけれど(当時の首相村山さんと一緒の画面でニュースに登場)、その様子はいつもの明るくおもしろい寅さんだ。道を歩いていてもすでに馴染みになった人々が自然と集まり明るい笑い声が広がっていく。リリー(浅丘ルリ子)と奄美大島で喧嘩別れしたあと寅さんはやはり神戸に行くのだが、するとまたすぐに人々が集まって嬉しそうに迎える。
 寅さんは被災して生き残った時、自分には何ができるかと懸命に悩んだに違いないけれども、寅さんは寅さんのまま、そこにいてくれるだけでいいのだと私は思った。もし現実に寅さんのような人があの神戸にいてくれたらどんなにいいだろうかと思う。

 

つづく



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