真夜中図書館・所蔵図書試用版
僕たちにはもう死ぬ以外の道は残されていない
羽鳥弘次
それは誰もが子どものころに友達と語ったことがあるだろう話題。
「明日死んでしまうとしたら、どうやって今日を過ごす?」
「あと一週間の命だとしたら?」
「あなたに残された人生は一年間だけです」
時折、思い出したようにそんなやりとりがはやったことを裕之は憶えている。道徳の授業をつかって自主的にアンケートをとった時もあった。たしか、中学生のとき。
腹いっぱいおいしいものを食べる。悪事のかぎりを尽くす。好きな人に告白する。今まであった人全てにありがとうと言いたい。中には「ひたすら走り続ける」というものもあり、それぞれの答えは興味深かった。
彼らは死が唐突に、なんの脈絡もなしにやって来ることを知らなかった。同時に、死が自分をふくめた誰もに到来するものだということも認識していなかった。また唐突ではなくとも、生きているかぎりは常にゆるやかな死に向かって時間を過ごしているのだということを、彼らは知らなかったのだ。
例えば、アンケートにはこんな質問があった。
「あなたの命があと三〇年だと知ったら、どうしますか?」
まともに答えられた回答は皆無に等しかった。
中学三年生。一五歳だった彼らは、三〇年という時間がどんなものなのか実感ができなかった。三〇年間で何が出来るかも知りえなかった。それだけの時間が経過したのち、四五歳になった自分がどうなっているのか、あるいは興味すら持てなかったのかもしれない。
最近はアロマテラピーにこっている。
近況報告といった具合で、裕之は口を開いた。最近、という言い方はとらえ方の問題だろうが、この場合適切といえるのか。彼がハーブやポプリに興味を持ちはじめたのはもう一年ばかり前になる。
夕花は聞き逃したふりをして、彼の顔を見上げる。頭一つ以上違う身長。ほぼ真上を見る感覚だ。
「最近、アロマテラピーにこっているんだ。ほら、ハーブとか。そういう、香りの」
直訳すると「芳香療法」とでもなるのだろうか。ワープロ辞書にも登録されていない言葉を説明するのに、裕之は少し手間取っている様子だった。
腕時計の位置を直しながら、夕花は目線を水平に戻し、廊下の向こうで談笑しているかつてのクラブメイトたちの姿を見遣った。
「知ってる」
と、夕花。裕之はびっくりして目を見開く。と、夕花はその雰囲気を察したのか、あわてて体を九〇度ほど回転させ、彼に向き直った。
「違くて。知ってるのはアロマテラピーがなんたるかであって。あなたがそれにこっているのことは知ったのはついさっきのこと」
「さっきって、いつ?」
大体こんなところでこんな時期に夕花に会うということは裕之にとってはまったく予想外の展開だった。二年前まで恋人だった彼女のことを忘れたはずはないが、とりあえずのところ現在の彼の生活に表面上かかわりがある人物ではなかった。彼女と再会したのはつい四分ほど前。彼女は裕之と同期の黒井と一緒にここにやってきた。黒井と夕花のあいだにどんな交友関係があるのは知らないが、アロマテラピーについてのことを彼に聞いたというのも考えづらい。裕之は黒井とは趣味について語り合うほど仲がいいわけではない。それに彼とも、もう半年以上連絡をとっていなかったのだ。
「あ、ごめんね。さっきというのはつい五秒前。裕之本人の口から聞いて知ったの」
夕花は小さな鼻の前で両手を合わす。彼女が時たまこういう言葉の使い方を知らなかったわけではない。裕之は以前彼女と恋について語ったときのことを思い出し、懐かしさを感じた。同時に、少し嫌悪。
つづく
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