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          真夜中図書館・所蔵図書試用版 
         
         
         
          
         
          
         
         アテレコ劇場 
         
           
         
         Mme
         chevre
         
           
         
          あなたは、『三番テーブルの客』という深夜番組のあったことをご存じでしょうか。三谷幸喜という脚本家のひとつの台本を毎回違う監督が演出する、という趣向のプログラムがそれです。台本が同じわけですから、毎回、台詞は同じです。けれども、演出による状況設定の違い、場の雰囲気、役者の立居振る舞いなどによって、本当にこれも前回と同じ台本かと思わせられることが多い番組でした。 
          さて、これを小説でパラフレーズしたらどうなるでしょうか。小説の場合、演出や役者の雰囲気によって完成をみる台本とは違って、文面ですべてを説明しなければなりません。そこで、わたしは『三番テーブルの客』のコンセプトとは逆に、シチュエーションだけをそのままに、台詞を替えて同工異曲の小説を書くことに思い至ったのです。 
          つまり、これからお読みいただくのは、音声を消した画面にアテレコをしてみよう、という実験小説です。もちろん、画面が同一であることが前提条件なので、台詞を自由に当てはめていくといってもかぎりがあります。とりあげた画面は、あなたが町でよく目にするであろう、日常的な光景です。 
          昼下がりのビストロで、食後のコーヒーを前に、男女一名ずつが会話してはいるものの、そう盛り上がっているとは見えない。とくに派手なやりとりも起こらないうち、昼食は終わり、女がさきに出ていく。つまり、ドラマティックなことは何も起こりそうもない、そういう光景が設定されたシチュエーションです。むしろ、あまりに日常的なために、気をつけていなければ目に留まらないかもしれない、これはそんな光景かもしれません。 
          この、ごくふつうの光景に台詞を当てはめ、小説にしていく試みが、成功するか、失敗するか、つまりは、おもしろいかおもしろくないかは、これを読むあなたの日常生活によってそれぞれ違ってくるでしょう。あるひとには、取るに足りない場面に感じられるかもしれませんし、またあるひとには身につまされる光景と映るかもしれません。けれど、それでいいとわたしは思います。同じものに対するそうした感じ方の違いこそが、わたしがインスパイアされた『三番テーブルの客』という番組を成り立たせていると思うからです。わたしは、同一の画面から派生したヴァリエーションを読んだあなたから、さまざまな解釈や感想がでてくることをお待ちしています。 
         
         ◆
         
         さっきまで恋しかったひと 
         
          あたし、やっぱり、まだ、このひとのこと、好きだなあ。 
         「平日のこんな時間に酔ってるなんて、自堕落な生活だよなあ」 
          デザート・スプーンをくわえたまま、くぐもった発音で言う望月を見て、あたしは思う。きのうの夕方、あたしは、ディナーが終わるころには、望月と別れようと思っていた。けれど、眼の調子が悪いから、とめずらしく眼鏡をかけて、一心にワイン・リストをたどる望月を見ているうちに、なんだか言い出せなくなってしまったのだ。 
         「いま、何時?」 
         「ねぇ、それ、お行儀悪い」 
          あいかわらずスプーンをくわえ、両手を頭のうしろで組んだままの望月を、あたしはたしなめる。 
         「そろそろ、三時よ。なんか、予定でもあるの?」 
          別れ話を言い出せないままに、彼がどこかへ行ってしまうのではないかという思いに、あたしは一瞬、ほっとして、すぐに、あばらの下あたりが痛むような焦躁に駆られる。望月は、そんなあたしのなかの空気に気づかずに、午後の陽光に眼鏡を光らせながら、あたしにおねだりする。 
         「ねぇ、おやつのぶん、デザートもう一品、頼んでもいい?」 
         「だめ、太るでしょ?」 
          ナルシストの望月は、痛いところを突かれて、黙る。 
         「ただでさえあたし、あなたのこと甘やかしてるんだから」 
          コーヒーのためにウェイターに合図しながら、あたしは望月の眼から、視線をはずす。 
         「体型くらいは、管理しとかなくちゃね。」 
          不満そうに口をとがらせていた望月は、遠い眼になると、首のうしろで組んでいた手を下ろし、頬杖をついた。 
         「ほんと、あたし、あなたのこと、甘やかしてるよね」 
          あたしは、本題に入るために、おなじ言葉をくりかえした。 
         「ほんとだよね。きのうもさ、おれ約束あったんだけど、フイになっちゃって。持て余してたとこにあなたから電話が来て」 
          あたしの言葉の意味を解さずに、望月は、自分の甘さをあたしのせいにしようとする。コーヒーを出すのとひきかえに、ウェイターがデザート・プレートを下げていく。いまなら、まだ、いつもどおりの会話に戻せる。あたしは、汗をかいた手をゆっくり開いて、ひざの上に戻す。 
         「つい、だらだらしにあなたのとこ、来ちゃうんだよね」 
          あたしは、自嘲気味に笑いながら、ポケットのなかの煙草を探る望月の表情をうかがう。 
         「なんだかあたし、あなたが大人になるのを、遅らせてるような気がするわ」 
         「おれもそう思うよ」 
          あたしの言葉の裏を知っているみたいに、眉をしかめて、望月はうなづく。 
         「ねえ」 
          あたしは、望月の目尻の上でかたちよく伸びている眉を見ながら、切り出す。 
         「大人になる訓練、してみない?」 
          煙草を点けようとかがめていた背をゆっくり起こして、望月はあたしを見た。その強い眼の光に、あたしは思わず眼をそらす。 
         「どういう意味だよ」 
         「もう、会うの、やめましょう」 
         
           
         
         つづく 
         
         
         
          
         
         
          
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