真夜中図書館・所蔵図書試用版


 

ある夜の訪問者

しじま

 

 気が付くと、部屋の中は真っ暗だった。
 私は帰ってきたままの格好でベッドに横たわっていた。
 いつのまにか眠ってしまったらしい。曖昧で抽象的だった夢が、一瞬のうちに消え去っていった。
 上半身だけムクリと起こす。
 きつく結い上げたはずの中国風おだんごヘアーが、無残にもすっかりほつれていた。髪の一束が、パラリと頬にかかる。
 それはひととき蛾の羽の感触を思い出させた。慌てて手で払いのける。
「食事の時間だよ。夕飯!」
 ふいに、入口にほっそりとした人型の影が現れた。
 ルームメイトのさつきだ。
「何にも言わないで帰ってきたと思ったら、そのままベッドでバタンキューだもんね……一体、どうしたの?」
「ん、ちょっと友達の恋愛相談してたら疲れちゃっただけ」
 とりあえず、彼女に続いて台所に入った。
 台所、といってもきちんとした食卓用テーブルもあり、ついでに何故か燭台も備えてある。ちょっとしたホールのような部屋だ。
 テーブルには相変わらず個性的な料理の数々が、所狭しと並んでいる。部屋の明るさに目をしょぼつかせながらも、思わず驚きの声を挙げた。
「すっごいねー、毎度毎度どうも!」
 一緒に暮らし始めて、かれこれ4ヶ月ほどになる。
 そのほとんど毎晩、凝った料理を出してくれる。
 彼女は家事が趣味という、ずぼらな私にはなんとも有り難いお人なのだ。特に料理が大好きで、季節の行事やイベントに合わせた創作料理が得意。
「料理とは日常における最も身近なアート」
 これは彼女の口癖である。もっとも1日の大半を家で過ごしているお気楽な身分だからこそ、出来ることなのだが。
 一応、フリーのイラストレーターと名乗ってはいるが、怪しいものだ。これまでで彼女が絵を描いている姿を見たのは数えるほどしかないのだから。
「今日のメインはね〜情熱の薔薇ソースきのこ炒めなのっ。すごい奇麗な赤色が出てるでしょ? 副菜はそらまめの天火焼き、飛魚のハーブ蒸し、人参とパインのグラッセ、で、これはね―」
 とりあえず一通り、辛抱強く説明を聞く。かつて一度中断させたとき、すっかりへそを曲げてしまったことがあるのだ。
 それにもう作ってあげないと言われたら困るし。
「……さつきはもう食べたの?」
「あ、私、お昼遅かったから。まだ当分、先」
「ふーん。じゃ、いっただきま〜す!」
「どうぞ、召し上がれ」
 食欲に突き動かされてモグモグする私を、しばらく彼女はじっと見ていた。が、それにも飽きたのか、気が付くと消えていた。
 料理のほうは、どれも一筋縄ではいかない変わった味だが、バラエティーに富んでいるところがいい。
 しかし飛魚を直に見たのは初めてだ。魚屋で普通に売っているものなのだろうか? まったく人間という生き物は何でも食べてしまうんだなぁとボーッと考えていると、ふいにドタドタと音がした。
「ちょっとどーしよう! 巻絵がいるっ、お、屋上に」
 さつきが血相変えて、部屋に入ってきた。
「は〜? 何なの一体」
「あ、あんたがいんのよ、もう一人! 石、持ってこいって」
「石」
 何故かそのとたん、ピンとくるものがあった。
「……もしかして、これのことかな」
 私の左手の人差指に、燦然と輝いているもの―。
 数日前の出来事が鮮やかに甦ってきた。

 

つづく



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