真夜中図書館・所蔵図書試用版


 

あけまして

しじま

 

(あ〜あ、僕何やってんだろう……師走も差し迫った頃だっちゅーに……)
 さっきから同じ疑問だけがグルグルと頭を回っている。
 何故に男が男に子守歌を歌ってやらなきゃならないんだ!
 胸の辺りで手を組んで、奴は静かに横たわっている。心なしか、固かった表情も穏やかになってきたようだ。
 僕だって好き好んでこんなことをやっている訳じゃない。これにはそうせざるをえない状況ってものがあった訳で。
 ブラームスの子守歌をRAで歌いながら、心の中でひとしきり溜め息をつく。
(まったく気持ち良さそうにしちゃってからに!)
 事の起こりは、一時間ほど前にさかのぼる―。

 

 ドビュッシー組曲「子供の領分」にのせて、僕は道を歩いていた。見慣れた景色が、音楽一つでたちまち趣のある絵となるのだから、不思議だ。
 最近はクラシックばかり聴いている。特にピアノが好きだ。
 今の僕には、規則的に色分けされた石畳までが鍵盤に見えてきてしまう。ちょっと中毒みたいなものだ。
 外に出るときには必ずウォークマン持参。今日もほんの十分ほどの歩きだけど、こうして耳にイヤホンを突っ込んで、音の洪水のなか歩いている。
 もう九十六年もあと十時間足らずで終わりだ。
「大晦日、かぁ!」
 普通なら家でのんびりコタツに入りながらみかんでも食べているところだが、ある事情があって鈴木んちに向かっているのだ。
 鈴木―一応三年間を通してクラスメイトだった奴だが、
いまだによく性格を把握できていない。掴みどころがないというか、ある時は先頭をきって仲間と馬鹿騒ぎするかと思えば、ある時は神妙に本を読んでいたり、妙にジジくさい説教めいたことを真面目に言ったりする。
 成績は良く、整った顔立ちのせいか、くやしいことに結構モテていたようだ。クラス内でもロマンスの噂をたてられたりしていた。
 僕とはたいして仲がいいわけでもない。が、たまたま隣の席だったよしみで昼飯代を借りたのだ。単なる昼飯代といってもバカにはできない。気が付いたら積もり積もって、なんと六千円にまで膨れ上がっていたのだから。
 まったくもって自分のズボラさ加減には呆れてしまう。しかし鈴木はなんとも気持ち良く金を貸してくれるのだ。今日はもう昼抜きでいいやとふて寝を決め込もうとしているときでさえ、実にタイミング良く金を出してくる。感じのいい笑みまで浮かべて。まるで有能な高利貸しのように。いや、それでは鈴木に対して失礼だ。彼は一度だって貸した金の請求などしたことはなかったのだから。
 突然の律義さを発揮して、僕は年明け前に借金を返したいことを電話で告げた。すると意外にも返ってきた言葉は「うちまで来いよ」だった。家が近かったことに、その時初めて僕は気付いた。
 鈴木の家―一体どんななのだろうか。
 そういえば人の家を訪ねるのなんて久しぶりだ。意外な展開だが、なんだか少しワクワクしてくる。
「……ここ、かぁ」
 電話で教えられた通り、派手なパチンコ屋の角を曲がった所に、その家は建っていた。
 思い描いていたのとは違って、ごく普通の二階建だ。中流家庭の、ちょうどのび太君一家が住んでいるような家。
「やあ、今こたつでテレビ観てたんだ」
 玄関に立つ鈴木はジャージにトレーナーで、思いっきりラフな格好をしていた。制服姿で見慣れているのでちょっと新鮮だ。
 僕はすかさずジャケットのポケットから剥き出しの六千円を差し出した。
「長い間、返さなくってゴメン。有り難う」
「ああ」
 なんでもなさそうにくしゃくしゃの紙っぺらを受け取ると、彼はいかにも親しげに言った。
「ちょっと上がってけよ」
 僕はこの後ヒマだった。断る理由もなかったので、そうすることにした。玄関を上がってすぐのところにある階段を、彼に続いて上っていった。
 それはごく一般的な高校生の部屋だった。パイプベッドとCDラジカセに合わせて、家具は黒で統一されている。壁にはバオバブの木の大きなポスターが貼ってあった。
「へぇ〜キレイにしてるんだなぁ」
 僕の部屋とは違って、物がきちんとあるべき場所にしまわれている。鈴木はベッドにドスンと腰掛けると言った。
「ああ、大掃除終わったばっかなんだよ」
「ふぅん」
 相槌を打ちながら、出かける直前の家のゴタゴタを思い出した。姉貴と母さんがほうき片手に大騒ぎしてたっけ。
 ふとラジカセの横にズラリと並んでいるCDが目に止まった。興味を引かれて近寄ってみる。
 それはすべてリラクゼーションに関するものだった。
 「瞑想1」「瞑想2」から始まり、「睡眠」「安眠」「心と身体」「南国の休日」「風と波音」―
 普通の音楽が、ものの見事に一枚もなかった。しばらく立ち尽くしていると、背後から声がした。
「眠れないんだ」
 溜め息と共に吐き出すような言い方だった。
「……ここんとこ、ずっと」
「ずっとって、どれくらい?」
 思わず聞いていた。鈴木は頭の後ろに手をやるとゴロンと横になった。
「んー、かれこれ一年半くらい」
 僕は少しびっくりした。確かに授業中、居眠りをしている姿はよく見かけたけれど。
「だからこういうの、聴いてんだ?」
 天井をにらみつけているような彼の瞳からは、不眠症の苦悩は見当たらない。
「気休めだよ、そんなの。効きゃあしない―といっても、
真剣に聴いてないからかもしれないな。でもなんでだか右から左に抜けてっちまうんだ」
「どうして……なんか原因でもあるの?」
 今まで触れたことがない、こんなプライベートなことを聞き出そうとしている―たいして親しくもない奴なのに。
 でも最初に切り出したのは本人だ。何か話したかったのかもしれない。僕はひととき悩み相談役になってやろうと心に決めた。
「忘れられないんだ」
 ふいに鈴木が言った。唐突で意味が分からない。黙っていると、沈黙に堪忍したように続けた。

つづく



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