シンデレラ

 

沙風吟

 

 

 二度目の母が家に来てから、ルクレジアの生活は確かに大きく変わった。
 継母とその二人の連れ子は我が物顔に屋敷中をのし歩き、ルクレジアを屋根裏の煤けた小部屋に追いやった。父親が仕事で家庭を離れている間に、継母たちはこの家の小さな娘を女中同然にこき使い、薪を燃やしたり暖炉の掃除をしたりして灰だらけになっている娘をからかってシンデレラと呼んだ。
 娘が不当に扱われた理由の最たるものは、彼女の容姿だった。継姉のアナスタシアとドリゼラはどちらもあまり器量の良い方ではなかったが、シンデレラは灰に塗れてもなお、輝かしいばかりの美しさを放っていたのだ。幼いながらにその差をはっきりと知った姉たちはシンデレラに辛くあたり、彼女を虐待した。
 けれど、娘は平気だった。彼女の最大の美点は、その姿形ではなく内面にあった。広い屋敷を掃除するのは楽しかったし、料理も洗濯も元より好きだったので少しも苦にならなかった。贅沢な事に別段興味があったわけでもないし、綺麗な洋服への執着も無かった。
 彼女は賢い娘だったので、もしもこのような境遇にあるのが自分ではなくもっと内気で不器用な娘だったら、それは辛い生活になっただろうということは判っていた。しかし実際のところ、本当の母が死ぬ以前の甘やかされた暮らしよりも、くるくると一日中働いている方が娘の性には合っていた。彼女は決してへこたれなかったし、いつも元気だった。
 そんな風にして何年かが過ぎ、やがて継母や姉たちは、自分たちがシンデレラを虐げていることをすっかり忘れてしまった。

 

「本当に全然行かないの?  ドレスだったら、あたしのを一日貸してもいいのよ」
 ドリゼラが云った。両手を上げて、鏡の中の自分の前髪のはね具合を気にしている。シンデレラは彼女のドレスの背中をとめる紐をきつく引っ張りながら答えた。
「いいって。あたしは舞踏会なんて興味ないもの。楽しんでおいでよ」
「だって、今度のは王子様の花嫁選びって話なんだよ?」
 オレンジ色のリボンを髪に巻き付けようとしていたアナスタシアが、振り向いて口をはさむ。
「そりゃあ、あんたが来なければライバルが減って助かるけど……」
「ちょっと、駄目だよアナスタシア」
 紐を結わえ終えたシンデレラは、小走りに上の姉の側へ行って、もつれかけた彼女の頭からリボンを取り上げた。
「そのドレスにオレンジのリボンは合わないって云ったじゃないか。ブルーかホワイトのじゃなくっちゃ」
 アナスタシアはちょっと唇を尖らせたが、継妹のセンスの確かさは良く知っていたのでおとなしく化粧棚の小箱から数本のリボンを取り出した。
「そう、その刺繍入りのやつがいい。かして、やってあげるから」
 手際よく癖のある姉の髪をまとめあげると、シンデレラは鮮やかな手つきでそこに青いリボンを結ぶ。ドリゼラは羨望の眼差しで継妹の作業を見ていた。どんなに意識を集中しても、シンデレラのように巧くリボンを結べたことがないのだ。
「別に王子サマと結婚したいとも思わないね……第一どんな人か知らないし」
「そんなの関係ないわよ。見初められればお妃様よ?  お城で毎日美味しいもの食べて、歌ったり踊ったりして暮らせるんだから」
「堅苦しい儀式やらなにやらで疲れちまうよ……はい、出来上がり」
 リボンの位置を軽く手で触って確かめながら、アナスタシアは溜め息をついた。
「あんたって本当に醒めてるんだね」

 

 若い王子の帰国を祝って開かれる城の舞踏会は、彼の嫁選びだというのが専らの噂だったし、事実その通りだった。近隣の年頃の娘たちはこぞって華やかに着飾り、家で礼儀作法の特訓をしてから城へ向かった。三夜連続で行われる王国主催のこのパーティは、ここ十数年でも最大の催しものだった。国中の娘たちとその親たちが浮足立っていた。
 国内で盛り上がっていない若者は、たったの二人しかいなかった。

 

 ようやく静かになった屋敷で、シンデレラは一人窓枠にもたれかかって夕焼けを見ていた。屋根裏部屋は確かに狭いし埃っぽいが、窓からの眺めは屋敷の中でも一番良いのだ。
 迎えの馬車が来るまでの狂騒が嘘のような静けさだ、と娘は思った。およそ望みの薄い夢についてあれこれと心配したりきゃあきゃあ騒ぐ姉たちの姿は、愚かしかったが同時に可愛らしくもあった。今頃どこの娘も、自分が王子と結婚することになった後のあれやこれやのことに本気で胸を高鳴らせているのだろう。
 姉の云う通り、自分は醒めているのだろうか、と、ふとシンデレラは思った。もしかしたら、だらしのない姉たちの世話をして思い上がるうちに、自分は随分と可愛げのない娘になってしまったのではないだろうか。
 急に心配になった彼女が振り返ると、部屋の隅に太った老女が立っていた。娘は咄嗟にそばにあった箒をつかみ、身構えた。
「心配しなくても大丈夫よ。あたしがちゃあんと舞踏会に連れてってあげるから」
 にっこりと微笑んで、老女は云った。

 

 魔法使いとか妖精とか、とにかく自分はそんなようなものだと老女は云い、シンデレラの本当の母とは親しい関係だった事を語った。信じられないような話だったが、いつの間にかシンデレラの部屋に入って来ている時点で不思議な人物であることは判明していたので、ともかく娘は素直に頷いた。
「可哀相にねえ。あなたはこの家の正当な娘なのに、舞踏会にも連れて行って貰えないなんて」
 老女の同情はさほど間違ったものでもなかったが、娘には不要のものだった。それで、シンデレラは肩をすくめて反論した。
「そりゃあ外から見ればそんな風に見えるかもしれないけど、これでもうちはそれなりにうまくやってるんです。それに、舞踏会にだって、あたしが行きたくないって云ったんです」
 老女は両眉をつり上げた。
「おや、それはまたどうして?」
「堅苦しいのって苦手だし、踊りだって知らないし。それに、あたしはドレスを持ってないから」
 あまり服を持っていないのを彼女は全く気にしていなかったが、それを人に云うのはまた少し問題が違う。シンデレラはほんの少し視線を横に逸らした。
 老女は再びにっこりと笑ってみせた。それは訓練され調整された微笑みだった。実のところ、この魔法使いの最も得意とするところは魔法の力ではなく、その巧みな話術だった。
 そんなの全然問題じゃないわ、と老女は持ちかけた。好きなようにしていればいいし、ダンスは男たちがリードしてくれる。それにドレスならとびきりのやつを出してあげるから何も心配はいらない、と。
「たまにはゴージャスな思いもいいものよ。それに何事も経験っていうじゃないの」
 老女の話を聞くうちに、娘はだんだん乗り気になってきた。そう、時には着飾ってみるのも悪くないかもしれない。なんといっても自分は若いのだから。
「でも、どうしてそんな事を云ってくれるんですか?」
 ほとんど話がまとまりかけたところで、シンデレラは訊いた。老女は悠然と微笑んで、
「云ったでしょう? あなたのお母さんに頼まれてるのよ。娘の幸せへの手助けをね」
 と答えた。
 それから魔法使いは目についたカボチャや鼠やトカゲに向けて魔法の杖をふり、それらを立派な馬車や馬車馬や馭者やお供に仕立て上げた。最後に彼女がシンデレラの質素な部屋着をきらびやかな純白のドレスに変えた時、娘は初めて亡き母親に感謝した。ドレスはシンプルだが大胆で、銀の糸で縫われていた。靴は見たこともないようなガラス製の舞踏靴に変化した。そしてそれらの衣装は、生まれつき備わった娘の美の素養を極限まで引き出した。
「素晴らしいわ。あなた、ものすごく綺麗よ」
 満足そうに老婆は頷いた。
「……うん。すごいね」
 鏡に映る自分の姿に見とれながら、シンデレラは答えた。自分が器量良しなのは知っていたが、ここまで圧倒的に美しいとは思っていなかった。固唾を呑むような気分で、彼女は恐る恐る鏡から離れた。
 魔法が真夜中の十二時に切れるという話を聞いた時、シンデレラはむしろ安心した。夢は醒めるからこそ夢なのだ。明晩とその次の夜の来訪を約束した魔法使いに礼を云い、娘はうきうきと馬車に乗って城へと向かった。

 

 今や王国で気分を高揚させていない若者はただ一人、若い王子その人だけだった。
 彼はハンサムで優しく逞しい青年だったが、奥手で気が小さかった。恋らしい恋の経験もなかったし、留学中はそのせいで友人にからかわれてばかりいた。坊やだと思われるのは癪なので、彼はいつも必要以上に軽薄な態度をとり、プレイボーイのふりをしていた。
 舞踏会は何時間も続いた。大広間で、彼とのダンスの順番を待っている娘たちの行列を見やって、王子はうんざりしたように溜め息を吐いた。花嫁選びは父である国王の意思であって、彼の望みは一人でゆっくり休むことだった。それが叶えられるのは少なくとも三日は先だ。
「そのような顔をするものではありません」
 いつの間にか背ろに立っていた年老いた従者が、王子の背中をつついた。彼は昔からの王子の理解者だったが、同時に王の忠実な僕でもあった。
「だって、退屈なんだ」
「娘たちは皆、真剣です。それに、国王陛下も」
「わかったよ」
 逃げるように王子が広間の中央の方へ歩き出すと、娘たちが列を崩してわっと彼に群がる。曖昧な笑みを返しながら、彼は色とりどりのドレスのフリルをかきわける。これは結構な拷問だな、と思う。
 フロアにいる女性の半分くらいは、王子との結婚を諦めて、他の貴族たちと楽しそうに踊っている。相手を見つけて消えて行く者もいる。畜生、いいなあ、と、王子は内心で舌打ちをした。その不満が辻褄の合わないものだという事も承知している。
 最後の結婚志願者をかわした時、王子は背中に扇状に連なる娘たちを引き連れる形で、広間のちょうど真ん中にいた。巨大なシャンデリアの真下に彼が立つと、まるでそれが合図だったかのように大扉が開き、遅れて来た一人の娘と目が合った。
 瞬間、誰もが言葉を失った。音楽までもが止まった。
 次の瞬間、誰もが一斉に喋り始めた。感嘆と溜め息と一種類の質問が、大広間中を飛び交った。口を開かなかったのは王子だけだった。彼は、走っていた。
 シンデレラは、自分の登場が巻き起こしたセンセーションと、真っ直ぐに彼女の元へ駆けて来た礼服姿の青年を、目を丸くして見つめた。息を切らせながら、青年は娘に丁寧にお辞儀をして、「やあ」と云った。
「こんばんは」
 と娘は答えた。
「あなたは?」
「君の王子様さ」
 自分が冗談だか何だか判らない事を口走っているのに王子は気づき、恥ずかしさと当惑とで真っ赤になった。世にも麗しい娘は、不審そうに首を傾げて彼を見つめている。
「いや、あの……踊ってくれませんか?」
「えーと」
 とシンデレラは云った。それは遠回しな拒否などではなく、自分が本当に宮廷作法を知らない事を思い出した娘の独り言だったのだが、王子は泣きそうなくらいに傷ついた。
「あ、あの、あたし、踊りってよく知らないから……」
 いきなりしょげかえってしまった王子に、シンデレラは慌てて両手を振って説明した。
「だから、その、教えてもらえれば」
 王子の顔がぱっと明るくなり、同時に広間の照明が落ちた。スポットライトが二人を照らし、音楽はよりムードのあるものへと変わった。娘たちは敗北を悟り、突如現れたどこかの国のお姫様とおぼしき人物を遠巻きに見つめ、或いは諦めて隣の部屋で行われている立食パーティへと繰り出した。
「あなた、本当に王子様なの?」
 慣れないステップに戸惑いながら、シンデレラは訊いた。
「ええ、まあ一応……いてっ」
 ガラスの靴で踏まれるととても痛い事を王子は発見した。
「ゴメン」

 

 十二時十五分前に、麗しの姫は城から去った。踊るのに夢中で名前を聞くのを忘れた事に王子が気づいたのは、大時計が鐘を鳴らし始めた頃だった。
 その晩は、王国中が正体不明の若い女性の噂で持ちきりだった。様々な憶測が放射状に伝達される中、シンデレラの継母だけが、正確な情報を握っていた。
「あれはシンデレラだね」
 帰りの馬車の中で、彼女は二人の娘にそう告げた。
「あの子の死んだ母親が、魔法使いと懇意にしていたって話を聞いた事がある。大方、あのドレスも魔法で出してもらったんだろう」
 元より望み多い見合い話ではなかったので、娘たちはさほど意気消沈してはいなかったが、それでもその話はショッキングだった。特に妹のドリゼラは王子の端正なマスクに夢中になっていたので、動揺を隠そうともしなかった。
「そんな! 知らなかった。水くさいよ、云ってくれればよかったのに!」
「それじゃ、あたしたちを出し抜こうとしたってこと?」
 アナスタシアの方は主に宮廷の財産に興味があったので、もう少し冷静だ。
「まさか」
 母親は軽く受け流した。
「そんな子じゃないよ。本当に行く気がなかったところを、魔法使いにそそのかされたってところだろうよ。おまえたちにとってはついてない話だけどね」

 

 二晩目にも、謎につつまれた姫君は黄緑色に光る馬車に乗って現れ、国王や従者たちを安堵させた。王子はいそいそと彼女を誘ったが、二人とももうダンスには懲りていた。軽く食べ物をつまんでから、シンデレラと王子は庭園を散歩した。
 王子は乗馬や遠征や帝王学について話した。もっと気のきいた話をしたかったのだが、他に何も思いつかなかったのだ。もちろんシンデレラには何のことかほとんど理解出来なかったし、自分が出来る話が掃除や洗濯のコツくらいのものであることも、彼女をがっかりさせた。

 

「あたしたち、いい友達にはなれそうにないね」
 ひとしきりの噛み合わない会話の応酬のあと、シンデレラは力なく云った。
「そんなことないさ!」
 内心の焦りをなんとか隠そうとしながら、王子は大げさな身振りで否定した。
「人は自分に無いものを相手に求めるものだし……それに、友達にはなれなくても、恋人にならなれるかもしれないよ」
 シンデレラは肩をすくめた。
「そういう事を云うんならどっちか片方にしておくべきだったと思うね」
 素っ気ない態度を取りながらも、娘は内心では王子に魅かれ始めていた。王子の軽薄さの底にある誠実な魂にも気づいていたし、コンプレックスからくる彼の不器用さも可愛いと思った。
 けれど、シンデレラにとってこの夜は夢でしかなかった。魔法という都合のいい理不尽さによって培われた今の立場は、本来の彼女の姿とは違う。気さくだが根が真面目な彼女は本気でそう思っていたし、ハンサムな王子とのロマンスも、いい夢として明日の真夜中に終わらせるつもりだった。
 彼女は再び十二時十五分前に姿を消し、王子はまたも名前を聞き忘れた事に気づいた。

 

「あの人が羨ましいなぁ。ずうっとあの王子様とお話ができるなんて」
 瞳を潤ませながら、ドリゼラは云った。舞踏会から帰った後、灰まみれで寝ころがっているシンデレラを無理に起こし、うっとりと舞踏会の報告をしているのだ。
「すごく綺麗な人なの。みんなは異国のお姫様だろうって云ってるけど。王子様は間違いなくあの女の人をめとるおつもりね。あーあ、ホントに羨ましい」
 少女らしく首を振りながら、ドリゼラはちらりとシンデレラの方を見やった。継妹はいつも通りの顔つきで、呆れたように彼女の話を聞いている。
「王子様とどんな話をしたんだろう。あの方の声ってお砂糖菓子みたいに甘くて素敵なのよねぇ。きっとロマンチックな異国の物語をしていたんだわ」
「そんなんじゃない……と思うよ」
 堪えきれずに、シンデレラは口をはさんだ。
「学問とか乗馬とか、そういう堅っ苦しい話に決まってるさ」
 ドリゼラはシンデレラを軽く睨んだ。
「あら、王子様は女性の扱いにとても長けているって話よ。恋のお相手を退屈させるなんて考えられないわ」
「……どうだかね」
 苦々しくシンデレラは呟いた。それはとても小さな声だったが、彼女の挙動を注意深く見守っていたドリゼラははっきりと聞き取った。
「ねえ、あなた王子様のこと好きじゃないの?」
 継妹の顔を真っ直ぐに覗き込みながら、ドリゼラは訊いた。なるほど、間近で見れば確かにあの美しい女性と同じ顔だ。
 シンデレラは僅かに目を逸らした。
「知らないよ。会ったこともないんだから」
 どんな事でも器用にこなすシンデレラだったが、嘘をつくのだけは下手だ。ドリゼラはそれを知っている。
「……それもそうよね」

 

 三夜目、シンデレラと王子はもう一度ダンスに挑戦してみることにした。二人とも昼間のうちに隠れて練習していたので、一昨日とは見違えるように上手く踊れたし、ガラスの靴が王子の足を痛めることもなかった。王国最高の楽隊が奏でる優雅なワルツに合わせて踊る二人は、何故だかもの悲しいくらいに美しかった。或いはそれは、娘が夢の終わりを予感していたからかもしれない。王子がその儚さを感じていたからかもしれない。
 軽口をたたくこともせず、不要な気を使うこともなく、二人はただ踊り続けた。懸念も不安も忘れ、文字通りの無我夢中で踊り続けた。天窓から照らす月光が、この地上にも希有な美しいカップルを、魔法のように光らせた。

 

 鳴り始めたのが十二時の鐘である事に気づいたシンデレラは、思わず叫び声を上げていた。
「信じられない! このあたしが時間を忘れるなんて」
 身を翻し、広間の出口へと駆けだす。一瞬、呆気にとられた王子は、慌てて彼女を追いかけ始めた。今夜帰られてしまっては、もう会う機会も方法も無い事に気づいたのだ。
「待って!」
「ゴメン!」
 娘は信じられないくらいに足が速かった。他の娘や貴族や衛兵の間をすり抜け、宮殿の出口へと急ぐ。鐘が六つめを数える。
「また会いたい! いつ会える!?」
 みるみる小さくなってゆく娘の背中に、王子は叫んだ。
「もう会わない! ありがと、楽しかった!」
「名前、君の名前は!?」
 顔を歪めながら、王子は声を限りに叫んだ。が、もはや娘からの返答は無かった。鐘が九つめを数えた。
 鐘が十を数えた。
 鐘が十一を数えた。
 鐘が十二を数えた。とぼとぼと大階段を下りていた王子は、そこに月光を弾いて光るガラスの靴が落ちているのに気づいた。

 

「そんなのおかしいよ、本末転倒じゃないか!」
 シンデレラは珍しく怒っていた。昨夜、帰路の途中で魔法が解け、家まで走って帰る羽目になった。くたくたに疲れて眠って起きると、朝には国中が大騒動になっていたのだ。
「だって、そういう風に聞いたもの。ねえお母様?」
 アナスタシアが肩をすくめ、パンをかじりながら母親を見やった。今朝はシンデレラが寝坊したので、全員の朝食が二時間ほど遅れている。
「ああ、そうだよ。その残されたガラスの靴がぴったり足に合う娘を、王子様は花嫁に貰うっていうおふれが出てるんだ。じきにうちにも来るだろうよ」
「足の大きさが同じ娘なんて、国中にいくらでもいるさ! それに、本当にぴったり合う靴だったら階段で脱げたりしないよ!」
「階段?」
 ドリゼラが聞きとがめ、シンデレラは慌てて椅子に座り直した。
「いや、例えばの話さ」
「でも、その靴ってかなり小さいらしいわよ。普通の娘じゃはけないくらい」
 テーブルの下の自分の足とシンデレラのそれを見比べながら、ドリゼラは溜め息をついた。とても自分にははけそうにないと判ったのだ。
「おまえたちには無理だよ。だいいち顔が違うじゃないか」
 母親が問題の本質をついたので、二人の娘は顔を見合わせた。
「でもさ、もしも違う顔でも、靴がはけて自分がそうだって云い張れば、向こうも引っ込みが付かなくなってお嫁に貰ってくれるかも」
 アナスタシアの推論に、ドリゼラもうんうんと頷いた。シンデレラだけが仏頂面でミルクをカップに注いでいる。
 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

 

 訪問者は、太閤殿下と衛兵二名、それに当の王子と、その年老いた従者の五名だった。王子が直接現れたことで、娘たち、特にドリゼラはすっかり舞い上がってしまった。シンデレラは奥の部屋に引っ込んで、様子を伺っていた。
 太閤がおふれの内容を読み上げ(それは既に伝わっていた噂とほぼ同じ内容のものだった)、それから娘たち二人が靴を試すことになった。
 アナスタシアがはけるはずのない靴に挑戦している間に、シンデレラが隠れている奥の部屋にドリゼラが入って来て、戸棚からナイフを取り出した。
「ちょっと、なにをするつもりさ」
 継姉の顔がすっかり青ざめているので、心配になったシンデレラは訊いた。まさか、王子が何か乱暴なことをしているのではないか。
「ん……ちょっと思ったんだけどさ。このナイフであたしの踵を削ったら、あの靴がはけるかな……」
 シンデレラはドリゼラの横面を張り、ナイフを取り上げた。
「馬鹿なこと云うもんじゃないよ、ドリゼラ! あんた、そんなことしたって、すぐばれるに決まってるじゃないか」
「だって……そうすれば、ちょっとの間だけでも、あの方のおそばにいられるかもしれないって……思ったんだもん」
 ドリゼラは床にへたり込み、しくしくと泣きだした。シンデレラの頭にかっと血がのぼった。拳を痛いくらいに握りしめて、彼女は部屋の扉を思い切り開けた。
「シンデレラ」
 ついに靴をはくのを諦めて苦笑いをしていたアナスタシアが、呆気に取られたように呟いた。憤怒の形相のシンデレラは、怒りの女神のようだった。
 一晩中、寝ずに愛しの君を捜し続けていた王子は、一目で彼女がその女性である事に気づいたが、しかし喜びの言葉が発せられる前に、シンデレラは王子に詰め寄っていた。
「これがあなたのやり方ですか!」
 継母が止めるよりも早く、彼女は怒鳴った。どうにも納まらない激しい怒りが、彼女の全身を震わせていた。
「たった一人の女を捜すために国中を騒がせるのが一国の王子のすることですか! あなたのそんな無神経な行動で、一体何人の娘たちが傷つくのか考えたことがありますか!?」
 憤りの言葉を吐きながらも、目の前の王子へのえも云われぬ奇妙な感情に、シンデレラは胸を詰まらせていた。
 彼は、そんなにまでして、自分を捜してくれていたのだ。終わらせた夢の向こうから、必死で、自分に会いに来てくれたのだ。知らず、涙が頬を伝った。
「貴様、無礼な……!」
「よせ」
 剣を抜きかける衛兵を、老従者が片手で制した。彼は傍らのガラスの靴を拾い上げると優しく娘に手渡した。
「これは、あなたのものでしょう」
 シンデレラは放心したように、手の中の何故か魔法の解けなかった靴を注視していた。それから顔を上げる。にこやかに微笑む老従者と、真っ赤な目で自分を見つめる王子。
「試してごらんよ、ルクレジア」
 継母が云った。久しく忘れていた自分の本当の名を呼ばれ、娘ははっとして家族を見回した。継母はいつも通り、皮肉な笑みを頬に上らせて、彼女を見つめている。アナスタシアは興味津々の様子で、面白そうに椅子に腰掛けている。振り返ると、ドリゼラは涙を拭いながら、彼女に微笑みかけてくれた。
 娘は息を吸い、ゆっくりと吐いた。
 それから、ガラスの靴を肩の高さにまで持ち上げ、床に叩きつけた。あっけないくらい小さく高い破壊音と共に、靴は粉々に砕けてしまった。
「……わたしは舞踏会には行きませんでした。わたしはあなたを知りません」
 震える声で、けれどはっきりと、娘はそう云った。
 ああ、と太閤が呻いた。衛兵は今度こそ剣を抜き、指示を待った。
「ルクレジア……という名なのですか、あなたは」
 王子が静かに問うた。
「或いはシンデレラ」
 アナスタシアが小さな声で云い、母親にきつく睨み付けられた。
「ルクレジア、或いはシンデレラ。僕と結婚してください」
 王子のこの言葉には誰もが呆気にとられた。
 涙のとまらない当の娘でさえも。
「え? あの、でも……」
「確かに僕は間違っていた。靴は要りません。僕は自分の目を信じます」
 後ろの部屋でドリゼラが感激のあまり失神しかかって倒れた。アナスタシアは熱烈な拍手を王子と継妹に送った。
「だけど……あたしはあんたを知らないって……」
「僕らは三つの夜を踊り、語ってきた。ロマンスが生まれるにはそれで十分です」
 赤面しながら語る王子の気障の裏側には、確固たる信念と情熱があった。娘にはその熱さが痛いほどに感じられた。それがひどく嬉しかった。
「でも……」
「おまえは魔法の世話になった事を気に病んでるのかもしれないけどね」
 継母が厳かに口を挟んだ。
「王子様を好きになったのも、見初めて頂いたのも、魔法の力ではないだろう?」
「そして、王子は質素な服を着た今のあなたに結婚を申し込んだ。それが答えなのではありませんかな」
 老従者が後を継ぐ。
 娘は、感激のあまり鼻の頭を真っ赤にして、ただ震えていた。
「答えを聞かせてくれますか、ルクレジア=シンデレラ」
 王子が跪いて訊いた。
「お……」
 それは只の恋だった。魔法が少しだけ関与し、立場が少しだけ複雑になった、しかしそれはまぎれもなく青年と娘との恋物語だった。
 そして、もはやそれは夢ではない。
「オッケー」
 頬から涙を落としながら、娘は破顔した。

 

(おわり) 

 


作者の本棚へ


エキスパンドブック版
ダウンロード

熱血童話劇場
もくじ