ただ祈りだけが

〜セブン・イヤーズ・イン・チベット〜

 

 ハイ、みなさんこの映画、どうでしたか。一見、いかにも大箱向けの大ヒット狙いの作品と思いますね。わたしも最初見たときはそう思ったよ。でもよぅく観てみるとね、コレそうとも言い切れない、静かな、祈りの映画。

 淀川さん風に言うなら、この映画に対するわたしの感想はこんな感じだ。

 ブラッド・ピットの登山家ハラー、最初イヤな男、じつにイヤね。父親になりたくない、言いながらやることやって臨月にした奥さん置いて、遠い、当時で言ったら無事に戻る確率半々のヒマラヤに遠征に行くような、そんな男。ヒマラヤでの登山中も、登頂成功焦るあまりに、バディ組んでる仲間の命もろくろく顧みない。戦時中で時局が変わって逃亡生活してる間も、自分は時計3個も持ってる、ゆうのに、仲間が大事にしてる時計、手放させたりね。でもそんなイヤなイヤな、ハラー、旅の途中から見たくもなかったはずの息子に手紙、書き始めるのね。それが、祈りのような、子ども向けとはとても思えん、内省的な、そんな手紙。

 そんなイヤな男が、平和のために祈る人たちに触れて変わっていく、ブラッド・ピットの演技もすばらしいけど、この映画で一番のみもの、ダライ・ラマ役の少年俳優ね。実にさわやかな笑顔を浮かべるけど、そのさわやかさ、いわゆる普通の少年のさわやかさとはちがう。年若くして、チベット仏教の真理を知ってしまった貌ね。チベット仏教の祈りは、世界の全ての、つまりこの現世と来世、そしてその二つを結ぶ中道で苦しむ魂すべてのために絶えず捧げられる祈り。そしてこの祈りの意味は、生きて人としてあるわたしたちは、因果に苦しむ魂のためには、ただ祈るしか最後にできることはないという考えに支えられてるのね。この映画のダライ・ラマ役の俳優は、このチベット仏教の諦念を知って、なおかつ「でも祈るしかないならそれをやるんだよ」と言い出しそうなさわやかな表情、よくまぁ体得したね。

 そしてサウンドトラックに参加している、ヨーヨー・マ。すばらしい、芸術家。パリ生まれの中国人ですけれども、自分のルーツの国の、チベットに対する決定に逆らう趣旨のこの映画のために、チェロを弾きました。コレ、わたし戦時中のマレーネ・ディートリッヒのこと思い出したね。ドイツ人のディートリッヒ、第二次世界大戦中に、祖国には母も姉もいたのに、米軍の慰問団に入って、世界各国の米軍キャンプで兵士を勇気づけた。自身のリスクをかまわずに信念に従って行動したね。そのこと、思い出しました。そして、ヨーヨー・マのチェロ、エンド・ロールに延々と流れますけども、激しくほとばしる直前で止めた、静かな叫びのような、祈りに似た演奏。すばらしいね。

 淡々と、他者のために祈る人々の国の消滅を描いたこの映画に、わたしは実は観たあとからじわじわ感動している。そのことへの照れが、こんなあからさまにパロディめいた感想文を書かせる羽目になったのだ。けれど、この世界の、個人の意志を越えた現状を変えるのは、ただ祈ること、それも懸命に祈ることしかないとささやいているように思われるこの映画に、わたしは照れながらもうなづきたい。映画の最後、キリスト教の国に生まれたハラーが、活仏であるダライ・ラマの前に頭を垂れたように。

Mme chevre

映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』データ

原題:Seven Years in Tibet、'97年アメリカ映画

監督:ジャン・ジャック・アノー

原作は「チベットの七年」の邦題で角川書店より出版

ダライ・ラマ役の少年俳優の名はジャムヤン・ジャムツォ・ワンジュク

index